ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

2016年6月 奈良旅の記録 その9 栃尾観音堂

この日、泊まった宿はペンションミルキーウェイさん。


ちょっと画像がヘタすぎるので、ペンションのホームページに飛んでいただいた方が、印象がいいと思うのですが(笑)この画像の手前側が、すぐに天川大弁財天の駐車場になっています。



入り口によく手入れが行き届いたお庭があって、中でもこの植物、なんていうんだっけ?と2人とも思い出せなかった画像を貼っておきます(笑)

ペンションの玄関を入ったところに「夜も玄関の鍵は閉めないでください!」みたいなことが書いてあったのにびっくり。

天川さんは24時間お参りがOKな神社なので、そういう意味もあって24時間、鍵は開けておくようにという注意書きなのかも。

宿泊の手続きをしている時に、まずはまほろば館のおねえさんのご忠告に従って、わたしたちは「栃尾観音堂に行きたいのですが、歩いて行けますか?」と相談しました。

まほろば館では「一本道だし、宿に到着が2時代なら、余裕で夕飯までに帰って来れるんじゃない?」なんてアドバイスをくださっていたのですが、そうは言っても、なんでも自分達でなんとかしようとせずに、その道のプロに尋ねなさい!とのおねえさんの言葉を思い出して、言ってみることにしたのです。

そうしたら、聞いて大正解。

とても歩いて行ける距離感ではないことが判明(笑)

ええーーーっ!?そうだったんだ!!よかった〜勝手に歩き出さなくて(笑)

驚いていたわたしたちに、宿のご主人はおだやかに「どこから来たの?」「東京と埼玉?」「そんな遠いところからはるばる〜」なんてやさしい口調でとても歓待してくださり・・・

「時間に余裕があるかどうか、ちょっと考えてみるから、部屋で待っててください。大丈夫そうなら、せっかく遠くから来てくれたんだし、車で送ってってあげよう!」とありがたいお話があり・・・

「行けたらで全然いいです。」「ご迷惑にならなければ」と、恐縮しつつ、ひとまず部屋に入りました。

案内されたお部屋は、2階の真ん中辺、駐車場側に面していて、ベッドが二つ、大きな窓がある洋室で、清潔でとても気持ちのいいところでした。

ルノアールの絵があって、それがとても似合う雰囲気で、お手洗いやお風呂、食堂は共用ですが、どこも気落ちよく使えました。

テレビとかよけいなものはなく、それもまた天川の夜的にはとてもいいことだったような気がします。

前日の夜もつないだウォークマンのスピーカーはこの日も真っ先に出して、コンセントに繋いでおきましたけど。

「天川スペシャル」みたいな天川で聴きたい曲のプレイリストを作って行ったので、夜はそれをかけつつ、ゆっくりとおしゃべり三昧です。

さて。

部屋に入ってややしばらく、ノックの音がして、さっきのご主人が「車、出せることになったから、5分後に下へ降りておいで。」と言ってくださるではないですか!!

なんてありがたい!!

歩いて行けないとわかった時点でほぼあきらめかけていたので、とてもとてもありがたく思いつつ、車に乗せていただきました。

道々、ずっとご主人の子どもの頃の天川村のお話などを聞かせていただいたのですが、何度も来ているのに、そんな詳しいお話を地元の方に伺ったのも初めてで。

とてもとても興味深く聞きました。

当時は学校も地区ごとにいくつもあって、子どもの数もたくさんいたそうです。
(今は残念ながら、幼稚園も、小学校も中学校も1つだそうで、距離があるので、バス通学だそうです。)

当時も冬は雪が降って、とても大変になったけれど、中学生になると、最低2〜3キロの距離をみなさん、どんな冬の寒い日でも、自転車で通ってらしたとか。

特に苦だった覚えはないそうで。

さきほどの「鍵はかけないように」の注意書きの話から、今でも、普通のおうちの方も、2〜3泊くらいのお出かけなら、鍵は特に掛ける習慣がない・・・みたいなことをおっしゃっていたのがとても印象的でした。

それだけ治安がよくて、お互いが信頼し合って暮らしているっていうことなんだろうなぁ。

そして、5年前に起きた大きな水害の話。

確か、平安神宮ライブの時期くらいの台風で、大きな被害があったのだと記憶していますが、一番最初にわたしがこの村を訪れようとして、まだ行けなかったことがあったのと。

しばらくして、やっと行くことが叶った初天川の折も、まだ、大きな国道も、神社も復旧の途中だったことを思い出します。

今は大きな道や神社の中などはもちろんきれいに直っていますが、まだまだ完全にすべての場所が修繕されたわけではなくて、ダムも動いていないそうだし、聞いていた蛍の名所もまだ立ち入れない状況が続いているそうですし・・・

わたしたちが泊まった翌日は、朝からヘリコプターが大きな音を立てて何度も何度も往復しては、未だ、倒れている木を吊り下げて、運んでゆく作業をしていました。

5年の時を経て、いまだ手付かずの場所も多いのだそうで、大変なことだなぁと思います。

そもそもが、ご主人の子どもの頃のことを思い出してみても、これほどの災害は例をみなかったそうで、こんなことが起こるんだ!と村の方々もとても驚かれたそうです。

亡くなられた方たちもいて、とてもとても自然の脅威を感じる出来事だったとおっしゃってました。

そんな貴重なお話が聞けたのも、とても有意義だったと思います。

ペンションがある場所が中央地区で、栃尾観音堂は西部地区になります。

お話を聞きながら車を走らせていただいて、近くまで行くと、とてものどかな田園風景が広がっていて、栃尾観音堂が見えてきました。

小さなお堂のそばまで行くと、ペンションの方が「ちょっと電話を掛けてあげるから、お堂の前で待ってて!」とおっしゃいます。

円空さんが彫った仏さまたちは、いつもはお堂の中のガラス戸の奥にいらっしゃって、誰でもガラス越しに見ることができるようになっているそうなのですが・・・

運良く、ここを管理している方に電話がつながって来てもらえたら、もっと近くで見せてもらえるかも?

「500円を払って、お数珠を買ってもらう・・・ということをしてもらわなければならないけど、ガラス戸を開けて見せてもらえる方がいいでしょ?」

「わざわざ埼玉から来たんだし、ぜひぜひ見せてもらいなさい!」

と。

本当にご親切です。

もちろんお数珠をいただけるのもうれしいですし、ありがたく待たせていただくことにして、お堂の前に立ち、耳に電話を当てているご主人の方を伺っていたら・・・

なんと、お堂の中から電話を取る声がして(笑)・・・すでに連絡を取るまでもなく、管理をしてらっしゃる女性の方はここにいらしたという・・・おもしろいことに・・・(笑)

どうやら直前まで、お客さまがいらしていたのだそうで。

「ちょうどよかった!」と、笑顔でちょっと遠くにいらしたペンションのご主人と手で挨拶しつつ、「どうぞどうぞ!」とわたしたちを迎え入れてくださいました。

この方はお堂のご近所に住んでらっしゃるそうで、ご家族や、この辺りの方々みんなとこの円空仏とお堂を守っていらっしゃるのだそうです。

風貌はもちろんちょっと違いますが、雰囲気的には、ジブリのトトロに出てくる主人公一家の大家さんみたいな「心やさしい田舎のおばあちゃん」というイメージの方で、たくさんお話を伺いながら、円空さんを見せていただけて、とてもとてもhappyでした。

「写真もどうぞ好きなように撮っていいですよ!」
「ゆっくりお参りなさってくださいね。」

とおっしゃってくださったので、遠慮なく撮らせていただきました。

そうは言ってもお堂の中はあまり明るくないし、灯りが邪魔をして、あんまり綺麗には撮れなかったのですが・・・


こちらは中央にいらっしゃる「聖観音菩薩立像」です。
137センチもあって、かなり大きい像でしたが、円空さんが彫られたものの中ではかなり大きいのだそうです。

管理の方たちは、最近和歌山の円空さんたちも見に行って来たそうですが、ここにあるような大きなものはなかったとおっしゃってました。


続いてこちらが、その右側の金剛童子像と、護法神像です。
素朴なとてもいいお顔をなさってました。


そしてこちらが大弁財天女像。

そして、この仏さまの左側に映っているのが、聖観音菩薩立像の胎内から発見された胎内仏だそうです。

つたない画像でもちょっとは伝わるかな?

どのお顔もとてもおだやかでやさしくて、まるで微笑んでらっしゃるよう。
この日偶然出会った、さまざまな場所にいらしたみなさま方ともイメージが重なって、眺めているだけで、本当にしあわせな気持ちになりました。

いただいたパンフレットによれば、円空さんは1632年の生まれだそうで、天川村へは2度入峯し、厳しい冬のさなかの越年修業を行った方なのだそうで。

その時にこれらの4体の像を残されたのだそうです。

特に護法神像は、数多く現存する円空さんが作った護法神像の中でも、一番古いものだと言われているとか。

ゆっくりと見せていただきつつも、ずっとおとなりに座ってくださっていた、管理のおばあちゃんに、いろいろなお話を聞かせていただいたのですが、この話がとてもとても興味深く、また楽しいものでもありました。

たとえば、おばあちゃんたちが子どもの頃は、まだ円空さんの作だとは知らずにいて、空海さんが遺されたというような伝説があったけれど、あまり大切に扱われておらず(それもびっくりだけど、笑)。

誰でも触れるような状態で、木の台座の上にポン!と軽く乗せてあったのだそうです。

で、学校の帰りなどに、みんなここに寄って、「女の子はこの円空仏さんたちを台座から下ろして、ままごとをして遊んだもんだ。」という衝撃の発言が!!!

えええーーーーっ!?ままごとって言いました?あのままごとですか?

知らなかったとはいえ、なんてことを(笑)

さらに、男の子は、この大きな円空仏さんをね、近くの川まで運んで行って、川に浮かべて遊んだりしてね〜」なんておっしゃるので、思わず想像して爆笑のわたしたち。

そんな雑な!!!

その頃はもうちょっと綺麗で、ヒビもそんなになかったんだけどね〜今はこんなになっちゃった・・・なんてのんびり笑いながらおっしゃるのも、なんだかとってものどかで(笑)

そのうちに、おばあちゃんたちが大人になる過程で、いろいろな史実がわかり、円空さんのものだということになってから、手厚くお堂の中に納め、こうやって来る人たちに公開するようになったのだそうです。

おばあちゃんの昔の話というのがあまりに印象的だったので、なんだか聞いていたわたしたちも、この仏さまたちをとっても身近に感じ始めました。

子ども達が毎日寄って来る日も来る日も遊んでいった円空仏さんなんて、きっとそうそうないに違いありません(笑)

円空さまもうれしかった・・・かも?

おばあちゃんたちの子ども時代は、ほんとにのどかで、ご近所はみんな旧知の仲で、近くの川や丘や、いろいろなところがどこでも遊び場だったのだそうです。

そして一般のおうちにも、小さな円空仏が他にもいくつも今も尚、残されているそうで。

そういえば、数年前、上野に円空展を見に行ったときに、円空さんはとんでもない数の円空仏を彫り、お世話になったお宅に置いていったり、村の病気などで心の拠り所を求める方々のために貸し出したりしたと書かれていましたっけ。

ここ、栃尾観音堂のパンフレットにも円空仏は、「見る人を和ませ、安らぎと生きる喜びを与え、失意の人を慰め、励まし、勇気を与えた」と書いてありましたが、実物を見ると本当に励まされる気がするし、わたしたちに「ムリ」をせず、そのままでいいよ!と言ってくださっているようでもあるし・・・

お堂の中でこの方達のお姿を拝見しているだけで、とても安らいだ気持ちになれるというのを、ただただ感じて、すわっておりました。

お堂の壁に、物まね芸人のコロッケさんの写真が飾ってあって、ちらちら見ていたら、「最近ここにいらしてね、番組で紹介してくださったの!」なんて話もしてくださり・・・

そうなんですか。有名な方がいらっしゃるとやっぱりいい宣伝になりますね・・・なんて話をしていたら、唐突におばあちゃんの口から「きんききっずのどうもとさんなんかもお忍びでいらっしゃるのよ!」なんて話も出て、ドッキリなわたしたち(笑)

そりゃそうでしょうとも。ここは彼も大好きな天川村!!

でも、お忍びだそうだし、ここで必要以上にその話に食いつくのも、この村のやさしいみなさまに対しても、つよしさんご本人に対しても失礼な気がして・・・

心の中でそっとほっこりして、それ以上は触れませんでした。

つよしさんもわたしたちと同じように、このおばあちゃんの温かくて素敵なお話を聞いたかな?
同じように円空さんたちを見て、どんな風に感じられたかしら。

ショコラ嬢もわたしも、このあたり、おばあちゃんの話の腰を折らないように、一言も口をきかず、ひたすら相槌を打つのみでしたが、心の中では感慨深く、いろんなことを思ってましたよ、もちろん。

というわけで、大きく息を吸って、彼の残り香を感じつつ・・・(いつのだよ!!笑)

あれっ!?ちょっと待って!!
数珠の話がちっとも出ないけど・・・と思い出しました。

入館料くらいのつもりで、数珠代を払ってくださいね!と言われていたのに、わたしたちはまだその話を聞いていないではありませんか!!

おばあちゃんはこちらが言わなければ何も言いそうになかったので、ついにこちらからその話を切り出すわたしたち(笑)

そうしたら、とてもとても申し訳なさそうに、「数が今少なくてね〜」なんて言いながら、お数珠がたくさんぶらさがった台を見せてくださいました。

ショコラさんは透明のお数珠を、わたしはレモン色のお数珠をいただいてきたのですが
「これらもちゃんと高野山に持って行って、拝んでもらってきてあるのよ」とのことでした。

旅の記念の品がまたひとつ増えて、とてもhappyなわたしたち。

おばあちゃんは、終始お金を取るのが申し訳ないと言った風情でしたが、これだけの時間、ずっと付き合っていただいたんだし、拝観料とか取っても全然いいのに・・・

そんなところも本当に謙虚でやさしい方々ばかりにお会いして、なんだか都会の日常でささくれだっていた心がどんどん凪いでゆくのを感じました。

「今度、お祭りのときにいらっしゃい。周りの人たちがとってもたくさん集まって、それはそれはにぎやかなのよ。」とおっしゃってました。

パンフレットにも書いてありましたが、今の世相に欠けたもの、現代人の心に失われたものを思い出させてもらったような気がします。

帰り際に、おばあちゃんの旦那さまにもお会いして、ペンションの方とみんなで、しばし外でおしゃべりしました。

畑に出ていらしたそうです。

ペンションのオーナーさんとも旧知の仲といった感じで、おそらく子ども時代から、ず〜っといろんな歴史を共有してらっしゃるのだろうなぁと思いました。

そういうのもいいなぁ。

またひとつ、天川村で訪れたい場所が増えました。
田舎のおばあちゃんのうちに帰るように、またかの地を訪れたいです。

追伸的にちょっと触れておきますが、この時に、もうちょっと先まで行くと、今は廃校になった旧天川西小跡があって、「天和の里」という施設に生まれ変わり、公開されているのだとか。

総ヒノキ造りの校舎などが自由に見学できたりもするのだそうです。

おばあちゃんたちにとっては、思い出の母校で、とても大事な場所だったそうです。

いつかそちらも訪ねてみたいものだと思いました。