ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 いつだってどこだって

あの震災の日から今日でちょうど2年です。
時間近くになって、NHKにチャンネルを合わせたら追悼式典の映像が流れていたので、一緒に黙祷して・・・・・・数分後。
そろそろレッスンと振り返ったらちょうどチャイムが鳴って、ああそうだったと不意に思い出しました。
なんの偶然か、あの日と同じ生徒が、ほぼ同じ時間にやってきたのです。
あのときはレッスン中だったから、多分2時スタートだったと思うのですが、今日は3時から。
あまりにも長い揺れに、途中でバロンまで二階から連れてきて、一緒にレッスン室でみんなで肩を寄せ合っていたのがきのうのことのように思い出されます。
そしていろいろなことが一瞬にして蘇りました。
あの後からみんなが帰宅難民になって大変だったんだっけ。うちの家族はとうとう誰も帰ってこなかったんだっけ。
こんなにいっぱい揺れたんだから、てっきり関東が一番震度が大きい地方だったんだと思っていたら、とんでもない。この辺なんてまだ全然マシな方で・・・
テレビをつけて東北の状況が刻々と入ってくるにつれ、ただ事じゃないということがわかってきて、まるで鉛を飲み込んだような重苦しい気持ちになったこと。
仙台の友達の消息は気になるけどもちろん連絡など取れようはずもなく、彼女が泣いてないかなぁ、ごはん食べれてるかなぁと何度も顔が浮かんだこと。
そんな最中にも当地でも何度も大きな余震があって、日頃聞きなれない防災のサイレンが鳴り響き、深夜になってもやっぱり携帯電話は使えず・・・一晩中服を着たまま犬や猫たちとひとつ部屋でうとうとするだけの一夜を明かし・・・いろんなことが次々と思い出されました。
関東とはいえ、かなり南の方にあるうちの方でさえ最初の夜はあんな風だったんだから、被災地はいかばかりだったことでしょう。
そして時間の経過と共に、全貌が見えてくればくるほどやってきた胸がつぶれるような思い。無力感。そして原発の事故の恐怖。
ええ?もう2年?そんなに経ったんだっけ?ちょっと信じられない思いです。
この気持ちは「この日だから思い出す」とか「この日だから忘れないように」・・・ということではなくて。
いつだってどこだって、ふと折に触れて思い出すのは、あの日以来この世から唐突にいなくなってしまった数多くの人たちのこと、残されたご家族の今も続く痛みのこと。元には戻せない時間、こと、もの。
さらにはいまだに現在進行形で明らかに危険と隣り合わせであろうこの国での暮らし。
今後も起こりうる、多分そう遠からずに起こるであろうとまで言われている危険に対する不安。備え。
マレーシアに住んでいた頃は、日本は世界一安全で安心な国だと思っていたし「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という側面もあったかもですが、海の向こうからこの国のことを、この国に生まれたことを、いつかこの国に帰れる日がくることを、とてもうれしく誇りに思っていました。
このままで、次世代の子どもたちに美しい日本を、安心で安全な日本を残してあげることが果たしてできるのか、復興はちゃんと成し遂げられるのか、次世代の子たちは、日本人だということを誇れるのか・・・そんなことを考えると、大人として大きな責任と痛みを感じます。
いえいえ。その前にその前に・・・
今、わたしたちにできることはなんだろう?まだまだ今も大変な思いをしている方々のためにできることを・・・日々にかまけてないで、もっとちゃんと考えたいです。
そして。
ちゃんと屋根の下で眠れることに感謝。ライフラインが通じていることに感謝。今日を健康に終えられることに感謝。
街に家々に、あかりが灯っていることに感謝。ごはんが毎日おなかいっぱい食べられていることに感謝。
安全な環境で十分に眠れることに感謝。電車が動いていることに、パソコンでみんなと語り合えることに。
好きな音楽が聴けて、好きなテレビが見れて、好きな本が読めて、好きな人たちに会えることに感謝。
そんな気持ちで今日は眠りにつきたいと思います。
最後に・・・いつもふぇるまーたを読んで愛してくださっている皆さんにも感謝!
コメントレス、拍手コメントレス等は、明日させてくださいね。いつもありがとうございます。
あたりまえのことを、あたりまえに、今一度ちゃんと考えて口に出したいと思った3月11日の夜・・・でした。