ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 たどりつく先はきっと同じ

たまたま思い立って数日前から前に読んだ本たちを読み返していました。
わたしがとっても尊敬している方のおひとり、法隆寺薬師寺伽藍の再建に関わられた、最後の宮大工棟梁と言われた方、西岡常一氏の著作です。

木のいのち木のこころ〈天〉

木のいのち木のこころ〈天〉

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)

これらの本はずいぶん前から我が家の本棚の中にあり、折に触れて読み返しています。
直接書いてあることは木の話であり、先人の知恵であり、木の扱いや徒弟制度の話などですが、これは単に木の話に留まらず、わたしにとっては道に迷った時に道しるべになってくれる本です。
「木のいのち木のこころ」に関しては以前にも感想を書いています。
2008年のこの日の日記です。
この本を読んでいくと、人間はどんどん技術の向上により進歩しているようで、実はどんどん古代からの英知を忘れつつあるというのを実感させられます。
日本書紀にはすでに「宮殿建築には檜を使え」というようなことが書いてあって、その頃から実は檜の特性は知り尽くされていたという話があったり。
(でも現在の建築工法では忘れられていること、途絶えてしまった技術、今のものよりずっと質のよい道具もたくさんあるそうです。)
法隆寺室町時代に改修された部分をみると、すでに法隆寺が建てられた頃の英知は忘れ去られ、理にかなって作られたところがその意味を失い、装飾的に華美に作りかえられていたり、結果それらがとても弱くて後世にとても残らないものになっていたという話が載っていたりします。
一方で1300年びくともしない法隆寺などの木造建築は、同じ年月以上の樹齢を持つ檜で作られていて、建設当初から地震や雷、雨がたくさん降る日本の風土にちゃんと合わせた知恵を持って建設されているのだそうです。
これらの宮廷建造物の建築、修復に関しては、何世代にもわたり、この木はこの部分のための木に…ということをひたすら考えながら見守り時期が来るのを待つのだそうで、木の癖も力で直そうとはせず、その癖をどうやって生かすかという視点でじっくりと向き合っていくのだそうです。
そうやって太古の昔から守り伝えられてきた技はいつの間にか忘れ去られ、今の日本にはせいぜい500年の樹齢の檜しか育っておらず、大修復に使われた木は遠く台湾から調達されたのだとか。
そんな残念な事実を知るにつけても、木に限らず、先人の知恵を思い出すなら今じゃないの?という気持ちが時々沸々としてきます。
大好きな一節を引用すると

たくさんの人が一緒に同じことを学んでも、同じ早さで覚えられるものではありません。
自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、昔の人が考え出した知恵を受け継がなければならないのです。
なぜならすべての仕事を基礎から、本当のことは何なのかを知らずには何も始められず、何をするにしても必ずその問題にぶつかるからです。
途中を抜かしたり、借りものでその場を取り繕っても最後には自分で解決しなくては職人の仕事は終わりません。
中略
技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」なのです。そしてその手の記憶のなかに、千三百年にわたって引き継がれてきた知恵が含まれているのです。

この話はピアノを教える人としての心構えや親としてのあり方、教育に関わる人のあり方をも教えてくれているような気がして、時々この木の話がとても読みたくなり、何かをつかみたいと思った時に折に触れて読み返すのですが、それを読んでいる最中に先週のラジオの時間がやってきました。
そしてつよしさんがNijiの歌についてラジオで語った「戻ることが未来」という言葉に触れ、なんだかとっても納得してしまいました。
レイン的解釈をちょっと加えると「思い出すことが未来」という側面もあるのでは?と思ったり。
今回のNijiの歌については、もっと歌詞をちゃんと読み、曲をたくさん聴いてみなければ多くを語ることはできませんが、彼が最近言っていることとはずいぶんリンクしているように思えてなりません。
数々の先人の知恵は、どんな科学的発展にもまさる英知だし、力技でなんでも都合よく変えてしまうのではなくて、ありのまま、あるがままを生かすということの大切さをまさしく今こそ思い出すべきなのでは?という気持ちがさらにむくむくとしてきました。
いやいや…「あともどり」ということをポジティブにとらえてこその「戻ることが未来」ということでもあるのかな?やっぱり。
短いひとことの中に、たくさんの想像の余地と奥行きがあって、いろいろと考えてみるのもまた楽しい時間です。
さらに、ココロ見では倒木で仏さまを掘る伝説の木こりさん登場とのこと…
なんとなくだけど、いろいろなことがいろいろにつながってゆく予感。
きのうたくさんのテレビ誌を一気にチェックしてきたのですが、ほんのちょっとのガイドの瞳の破壊力に思わず買いそうになりながら、もうちょっと分量が多くて他にもどうしても読みたい記事があったザテレビジョンさんをお買い上げ(笑)
(読みたかった記事は、ありえないくらいはまっている「それでも、生きてゆく」の今後と風間くんのインタビューです、笑)
熊野の自然もたくさん見れそうだし、つよしさんは精悍な感じでオトコマエだし、とっても楽しみなのですが、また行きたいところがもうひとつ増えてしまうことは必至で、困ったなぁ〜とうれしい悲鳴。
彼のファンでいると、彼が見たもの感じたものをついつい追体験し考えたくなるから…お金貯めなきゃね…と思う今日この頃です。
ちゃんちゃん!
追伸:次はdwangoでダウンロードした音源と旅から帰ってきて見たPV、Nijiの詩のことなど書いていきます。
とりあえずFamily祭りも一段落したし、しばらくはふぇるまーたもつよしさん方向へ舵を切って行く予定です。
と言いながら「ふたりどんなもんや」をこれから聴くのですけれども(笑)
要は境目をあまり感じていないので、あっちこっちへ飛んでいきますが、「ふぇるまーた」だからね…ということでご容赦くださいませませ〜♪(開き直り、笑)