ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 特別展 仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護

先週、上野の東京博物館に行ってきました。
『特別展 仏教伝来の道 平山郁夫文化財保護』を見てきました。

画像はわたしの今年のほぼ日手帳に貼ったチケット半券です。チケットにも平山氏の絵が印刷されていて、大切に持って帰ってていねいに伸ばして手帳に貼りました。
博物館のこの特別展に関する案内はこのページに書いてあります。
平山氏作の「大唐西壁画」は、奈良の薬師寺に行った時に何度か見てきました。
今回これらを国立博物館で見ることができるというので出かけて行ったわけですが、全長49mというこの大作壁画のみならず、見どころがたくさんある展示物の数々にとても心動かされて、もう1週間以上も経っているのにまだ余韻に浸っています。
戦火で破壊された数々の文化財のことを思い出すと心が痛くなったり、買って帰ったシルクロードの絵の絵葉書を眺めては「う〜ん、絵葉書じゃなくてやっぱりあの大きな壁画が奈良で見たい…」とため息をついたり。
ちょっと前のわたしだったら「こと美術に関しては才能皆無なわたしにわかるはずがない」「ムリ」でスルーしてしまったと思うのですが、最近わからない人でもわからないなりに楽しめるし、素晴らしさを感じることができるということに気がつきました。
何事も入口を入ってみなければわかりません。
わたしたちが行った日は、たまたま薬師寺のお坊さんが特別に博物館の講堂でお話をしてくださる日でした。
しかも会場に入ってすぐに何やら左の方でお坊さんたちが案内していらっしゃるのが見えて、なんだろう?と行ってみたらすぐにお話が始まったという…奇跡のような出来事でした。
誘ってくれた友人もわたしも薬師寺が大好きなので、「東京で」薬師寺のお坊さんのお話を聞くことができたこともうれしかったです。
お話の中で、お坊さんが興味深い話をしてくださって、とても心に残りました。

薬師寺の「大唐西域壁画」の中のひとつ「ナーランダの月 インド」をよく見ると道の途中にひとりの人のぼんやりとした人影があるのだそうです。
この人影は、平山氏がこの絵の依頼を受けた当時薬師寺管主をされていた、高田好胤氏とも言われているのだそうです。
平山氏のこの素晴らしい大壁画は、完成までに長い長い月日を要していて、完成前に高田氏は亡くなってしまいました。
そのことをとても残念に思った平山氏が、この絵の中に合掌している高田氏のシルエットを入れたとも言われています。

というのがそのお話の内容でした。
わたしたちはかの大壁画を一度ならず数回は見ているはずですが、いずれの時も絵の中にあるはずのこのシルエットには気がついておらず、今回は高田氏のシルエットを確認することがとりあえずの目標ね!と言いながら特別展の入口を入りました。
わたしの知っている平山郁夫氏という方は、芸大の学長をされていた方で、日本画家としてとても名を成した方。そして、薬師寺の大壁画を描かれた方というくらいの認識でしたが、この特別展ではそれとは別の側面、世界各地で危機に瀕している、かけがえのない文化遺産の保護に尽力されたという側面について詳しく知ることができました。
あれだけの地位も名誉も既に手に入れられ、素人考えではそれだけでも十分だろうと思うのに、なぜ更にそのような活動をされるに至ったのか?…
という疑問があったのですが、パンフレットを見たりいろいろな文章を読んだりしているうちに、彼が被爆者だったということを知りました。
この被爆体験が原点となって、平和への強い祈りから、自ら100回以上渡航して世界各地の仏教関係の遺跡やシルクロードなどへ飛び、精力的に取材を重ねスケッチをされたのだそうです。
展示物の間に奥さまが書かれた文章があり、覚えている限りで書くと
「(郁夫氏は)取材を受けたり飛行機に乗ったりしている間も、寸暇を惜しんで常にスケッチブックを離さず、それこそ「行」(ぎょう)のようなつもりで文化遺産を描き続けていました。」
文化財を戦火から守るために私財を投げうって買い求め、戦争が終わった後に元の国に返還したりというような活動も行っていました。」
というようなことが書いてありました。他にももっといろいろと心を揺さぶられることが書いてあったのですが、思い出せない鳥頭がとっても残念。
後々調べていたら、奥さまの美知子さんという方も、やっぱり芸大を首席で出られたとても才能のある芸術家でいらしたにも関わらず、夫を支えるために潔く筆を折られた方なのだそうです。そして、夫と共にシルクロードを旅しながら常に彼を支えた方なのだそうです。
彼女の文章を何度も何度も黙読したり、展示されている素晴らしい文化財の数々や、平山氏が実際に訪れて描くことによって戦火の前と後の文化財がどんなことになってしまったかを思い知らされる絵の数々を見ていたら、だんだんことの重大さが身を持って感じられるようになりました。
特にアフガニスタンの「バーミアン大石仏を偲ぶ」という絵と、その後訪れて描いた「破壊されたバーミアン大石仏」という絵。
その迫力のある絵を見ていたら、何の説明もなくともそれがどういうことなのか一目瞭然、彼が言いたいことがひしひしと伝わってきて、これを見ることができてとてもよかったと思いました。
戦争で破壊されたものがどれほどの価値があるものなのか。平和がいかに大切なのか。覆水盆に返らず…こんなことを繰り返してはいけないというメッセージが静かに迫ってきます。
この方が他人が集めてきた写真を元に絵を描いたのではなく、自分の足でインド・パキスタンアフガニスタンカンボジアなどを何度も訪れ、自らの目で見たもの感じてきたものを、自らが選んだ構図で自らが描いたということがとてもとても重要なのだと思いました。
稀にみる美術の才能、画力のある方が、自らの身を削って行った活動であるからこそ、文化財保護活動の意義や意味が広くその作品に触れる人や彼の話を聞く人たち伝わったのだということを強く思いました。
続いていよいよ「大唐西域壁画」のコーナーへ。
これらの壁画は本来門外不出のもので、薬師寺以外で見ることができたのは本当に特別なことだったのですが、何よりも明るい照明の下でこの大きな大きな壁画を見ることができたのがよかったと思いました。
薬師寺のこの壁画のある場所は薄暗くて、細かいところの印象が薄かったのですが、今回隅々まで明るいところでしっかりと見ることができました。
もちろん「ナーランダの月・インド」のところでは立ち止まって息を止めて(笑)じっくりと絵に見入っていたのですが、ありました!ありました!ちゃんと薬師寺のお坊さんに伺ったとおりのシルエット!!
なんだかとても大切な「心」を見つけた気持ちになってしばらく無言で立ち尽くしていたのですが、この絵を始め3枚の壁画をじっくりと見ることができて、しかもこの絵が生まれた経緯や、この絵の元となるスケッチや取材ノート、大きな大きな方眼入りの「大下図」と呼ばれる下絵が見れたこともとても意味があることだったように思いました。
広島で被爆した平山氏は、被爆後遺症により生死の境をさまよっていた28歳の時に、はじめて玄奘の旅を作品に描き院展に入選したのだそうです。
以来、自ら玄奘が歩んだ道を辿り、何千枚というスケッチを描きながら彼もまた玄奘の旅を何度も何度もシルクロードを旅することで追体験して、30年もかけてこの大壁画を完成させたのだそうです。
平山郁夫氏は2009年にお亡くなりになりましたが、この方がまたご健在でいらっしゃるうちに、もっといろいろなことを知っていたかったなぁ。知った上で薬師寺に行き壁画たちに出会っていたらもっと意識が違ったかも…というのがつくづく思ったこと。
今度奈良に行った時、薬師寺に行ってふたたび「大唐西域壁画」を見るのが楽しみです。
それから今回の展示会で初めて知った、同じく平山氏が描かれたとされる天井絵や、今まで気がつくことができなかった細部についてもじっくりと見て来れたらいいなあと思っています。
最後に、今amazonでポチろうかどうしようか迷っている本とDVDを書いておきます。
(またかよ!というツッコミはごもっとも! 笑)

NHKスペシャル 三蔵法師 祈りの旅 [DVD]

NHKスペシャル 三蔵法師 祈りの旅 [DVD]

ぶれない―骨太に、自分を耕す方法

ぶれない―骨太に、自分を耕す方法