ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 どの子もみんな

ひょんなことから、受験生予備軍(高校2年生)に音楽理論を教えることになりました。
そうこうしているうちに、もうひとり…保育科に行っている生徒も音楽理論の授業にまったくついて行けないので助けてほしい…と言ってきて、久しぶりに大学受験で使った参考書や問題集を引っ張り出してきて復習しながら週2時間、音楽理論も教え始めました。
高校3年生の時に必死でやったことを30年近く経ってまたやることになるなんて予想だにしなかった展開ですが、乗りかかった船ですから…水面をすいすい泳ぐ鳥のように、目に見えている部分ではできるだけ優雅にふるまいつつ(ウソ、笑)見えないところで必死にバタ足する毎日です。
自分のピアノの練習も最近さぼり気味だったので、毎日できるだけ時間を取ることにしているのですが、なんせまだスプレー噴射で痛めた肘がなかなか治らなくって。いやん年かしら。
いい機会なので、痛いところと上手につきあいながらレッスン(習うのも教えるのも)する方法をいろいろと試しています。
最近はだんだん生徒の年令が上がってきて、ただただお互い楽しくレッスンすればOKというわけにはいかない子も増えてきました。
ピアノは好きだけど勉強は嫌いという子。天才的に譜面を見るのが早い子。練習好きの子、上手なのに極端に練習嫌いな子。飽きっぽい子。「シールがほしい」が何よりも優先になっちゃってる子(笑)
どうしても弾けなくて好きなのに苦しんでいる子、更年期や仕事が忙しくてがんばりたいのにがんばりきれずストレスを溜めている大人たち。
おねえちゃんや友達と比べてしまってなんとなく卑屈になっちゃってる子。もうちょっと絶対にうまくなれると思うのに、なんだか現状に満足しちゃっててもうちょっと引っ張り上げてあげたい子。ゆっくりペースだけど気がついたら飛躍的な進化を遂げている子。みんながどうあれどこ吹く風ののんびりさん。
そしてNちゃん。
Nちゃんは今年4年制の大学の保育科の一年生に上がりました。
彼女はうぜーよ姫のおねえちゃんで、年の離れた当時保育園児だった妹と一緒に中学に入ってからピアノを始めました。
性格は明るくて真面目。妹の面倒をよく見るやさしいおねえちゃんですが、一方で本当に不器用で、両手で弾けるようになるのに1年以上かかりました。
いくつもシリアスな持病を持っていて、おかあさんは学習障害の気もあるのではないか?と心配していらっしゃるのですが、めちゃくちゃ頭が切れてはしっこい妹の良さも彼女の良さもちゃんと受け止めてらして、それぞれの娘たちを厳しいですがとっても暖かい目で見てらっしゃいます。
何よりNちゃんには決してあきらめない不屈の闘志があって、何度も泣いたり怒ったり、受験で一旦長期で休んだりしながらも、誰に言われたわけでもなく、また自分から戻ってきてピアノを続けています。
何があってもあきらめない子でしたが、大学に入ってすぐに周囲の反対を押し切って体育会系のバスケ部に所属したら半年の間にまったく授業についていけなくなってしまい、前期だけの単位を2個も落としてしまったのだそうです。
片方は英語だからわたしには助けてあげられませんが、もうひとつ落としてしまったのが音楽理論。前期の基礎がまったくないのだから後期の応用編もかなり危ない事態ですが、現在は試験前ということで週に3回も通ってきて猛勉強中。バスケをやめることになったのは残念ですが、とりあえずは勉強とピアノに集中するそうです。
現状ではかなり厳しいです。
イメージするならば、繰り上がりの足し算がまだできない子に余りのある割り算を教えているような感じで、応急処置的な勉強ではとても追いつけそうもないのです。
そして試験はもちろん他にもたくさんあって、ピアノの弾き歌いの試験も英語もフランス語も一般教養も、保育関係や発達心理学など試験もあるのです。
でも…彼女があきらめていないのにわたしがあきらめるわけにはいきません。
我が子たちもただ今試練の時。

アネは昨年8月で身体を壊して一旦休職中です。
細々と専門時代の先生からいただいた海外向けのイラスト本のページをもらったりしつつ、ハローワークに通い中。
いまだに先生が気にかけてくださるのは「この子はこの世界で生きて行くべきだと思うからです。」とおっしゃっていただいたのですが、才能はあるかもしれないけれども、なんせガラスのハートでいつもいろいろなことを感じ過ぎてしまいます。そしていつも何かに傷つき胃を痛めたり体調を崩したり。
会社時代にあまりにも心身ともに疲れ果ててしまい、一時は体重が激減して心のバランスもかなり危うかったのですが、やっと最近元気を取り戻してきて、再就職に向けて少しずつ前を向いて歩き始めました。
まだまだ新しい就職先は決まりません。
「なんでもっとハッパをかけないの!?」と言われたりもするのですが、本人だって一生懸命なのはわかっているし、何より大切なのは彼女の心身の健康。
いろいろ外向けにも自分の中ででも闘っているのがわかるので、今は我慢の時。急かさず見守りたいと思っています。

一方オトートは大学生活を楽しみつつも夏前からずっとバイトを探しています。
小さい頃から自分の身体のことはちゃんと自分で説明するように…と言ってきたせいか、そこまで言わなくてもいいのにな〜と思うことをバカ正直にバイト面接で言ってしまうので(生まれつき持っている病気により筋力がないとか、ご迷惑を掛けることがあるかもしれないとか)なかなかバイトの面接に通りません。
ピアノのNちゃんもそうだし、うちのオトートもそうですが、いろいろハンディがある分あきらめない不屈な闘志がああるし、どんな小さな仕事もバカにせずに真面目にやるし、絶対に投げ出さないし、コツコツとがんばれる力があるのにな…

たとえば犬の散歩やお世話、お花への水やり。妹の送り迎え。たとえばお風呂を沸かしたり洗い物をすること、こういうことを学校やバイトをしながらも365日誰に言われたからじゃなくて、自分の仕事として雨の日も風の日も甘えず休まず淡々とこなす力。こういうものをバカにしてはいけないと思います。どんな試練があってもくじけないダイヤモンドのハートを持つこの子たちに幸あれ。

もちろん小さい頃から、普通の生活をしているようで、わたしには見えないところでも、苦労はいっぱいしているのだろうと思います。
悔しい思いもたくさんしているんだろうなぁと思います。

子どもたちにも「わかってるよ。一緒に痛い思いをしているよ」とわざわざ言ったりはしていませんが…いろいろなことをちゃんと感じていたいです。

先日のLFの一節、こんなのがありました。

子の心が痛めば
親の心も倍痛く

その親心を感じれば
子の心もまた倍痛む

たとえてあるのは親子だけど、親子はもちろん友達関係でもそう。お仕事で関わっている生徒たちとの関係もそう。
いつも日記を読ませていただく大好きなブロガーさんたちもそう。
そしてわたしたちが応援している人たちに対してもそう。

誰かの心が痛んでいることを知ると、その人が大好きな人たち、その人に関わりがある人たちの心もキリキリと痛んだり…
一緒に苦しんでくれているんだなぁと思うと 本人の胸はさらに痛んだりするのですよね。

でも…お互いがわかろうとすること。一緒に痛がっていること。それをお互いがちゃんと自覚すること。
それって本当に大事なことだと思うのです。

自分の気持ち。みんなの気持ち。誰かの気持ちに触れることで、自分の至らなさや心の奥にしまわれていたやさしい気持ちに気がついたり。

関わりのある人が増えれば増えるほど楽しみも増えるけど、寄り添いたいと思う人が増えれば増えるほど、悩みも増えて行くけれど…
それでもいろいろな人と関わっていくことをあきらめたくないなあと思うこのごろです。