ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 品を持って生きる

 このタイトルは、仲良しのお友達bonyarihitsujiさんの日記「ぼんやりひつじのお久しぶり日本生活」この日の日記のタイトルなのですが、とてもとても心惹かれるエントリーだったので、いつかちゃんとトラックバックさせていただいて日記を書こうと思ってました。
 そういえば、最近ライブについて感想を書こうとしても「事実」を追いかけることに精いっぱいで、こんな風に深く考えることを忘れかけてました。そもそも記憶があまり得意でないわたしなのに、いつのまにか、不得意な方向にばかりがんばって、本来書きたいことが十分に書けていなかった気がします。
 bonyarihitsujiさんにはたくさん刺激をいただいて、ありがとう!という気持ちです。
 
というわけで、まずはとてもステキな内容なので、リンク先に飛んで行って中身を見ていらしてくださいね。

 さて、日記の内容はわたしが赤坂BLITZに行った日の前日のレポになっていて、MCレポのあたりもとても興味深いのですが、特に後半の「品を持って生きる」ということについて書かれた部分が、とても心に残りました。
 bonyarihitujiさんがつよしさんの発言から、ご自分のこと、現代の社会の問題点について考えた文章です。
 たとえば、引用させていただくと

『多くを求めると品が無くなる。』その一言に大きくうなづきながらも、日々の生活の中でついつい多くのことを求めすぎてしまって飽和状態にいる自分がいることを改めて認識させられました。『品』を持ち続けるには、自分をよく知って、そしてどういう人間でありたいか常にきちんと見極めていないといけない。きっと彼は日々そういうことを怠っていないんだろうな・・・。だから、一人一人が「いろんなことに惑わされずにほどほどに分相応に暮らす。」そうしたら社会も変化するかも知れない、そんなことを言いたくて『品』という言葉をあえて口に出してくれたのかなと思いました。

耳が痛い文章ですが、まさしくそうだなあと思いながら読みました。
 自分の最近の日々を考えるに、最近特にいつも頭の中が飽和状態で、だから考えがまとまらなかったり、せっかく感動したことや大切に思ったことが、日々どんどん流れてしまうことが多いです。
 どれもこれもと欲張るあまり、本当に大切な思い出やつながりまでも気がつけば忘却のかなたに流れて行ってしまいます。
 テレビ番組にしても本にしても雑誌にしても、なんでもかんでも手を出し過ぎて上っ面だけを追いかけて終わってしまうのはとてもとても悲しいことだと思います。
 まさしく「品」がないことをしているのかも!?ということには薄々気がついてはいましたが、このMCの中にはわたしにとって聞き流してはいけないことが混ざっているような気がして、読んだ後もさまざまに考えるきっかけになりました。
 「足るを知る」ということからかけ離れて、「あれもこれも!」といろいろと欲張った結果、たくさんの忘れ物をしている気がするのです。
 最近「彼」が言う「いらないものを捨ててシンプルな生活を」というのは、友人やわたしにとっての課題でもあって、ライブ初日、奈良のMCでそれを聞いた瞬間は、ショコラさんと顔を見合せて「またシンクロしてる!」と目で会話しました。まさしく出てくる新幹線の中でも、そんな話をしたところだったので。
「彼」関係の雑誌の切り抜きなどを捨てる気はさらさらありませんが(笑)家の中には物があふれ、意識してあふれたものを片づけようとしてさらに収納グッズを増やし、食を正そうとしてレシピ本を増やし、あるいは食材を書い足し、さらに体重を増やしたりもし(笑)心を安らかに暮らしたいと思いさらに本を増やしCDをDVDを増やしまた物に囲まれる。
 人として意識の高い暮らしを心がけるつもりが、更に物があふれる生活に拍車をかけているこの現実(笑)
 知らないうちに、どんどん「がつがつ」と品がない暮らしをしているのかもしれません。
1日は誰にとっても24時間。その限られた時間の中で果たして「分相応に暮らす」ことができているのでしょうか。
 わたしがライブに入った日には「品」という言葉は発せられてはいませんでしたが、今年彼がMCで話している言葉には、心に残る言葉がたくさん混ざっています。
 ごっちゃにしてはいけないかもしれませんが、特に彼の「美我空アルバム」のシンプルで音を絞った楽曲の数々には、シンプルなだけに気が散らず、彼の声や詩、思いがよりストレートに伝わってくる気がします。
 また、ライブのために訪れて奈良という場所やそこに住んでいる人の暮らしぶりに触れると、夜にはきちんと街も眠り、静寂と闇が訪れ、便利すぎない暮らしがあって「人としての分相応」ということの意味を思い出しますし、古代からの大切なものをなるべく壊さずに、上手に共存し文化があり、本来の日本人の良いところはかくのごとくあって、かくのごとく暮らすことが本来心地よいことなのかも!?というヒントをもらえたりもします。

 もうひとつ、bonyarihitsujiさんの文章を引用させていただくと

情報が氾濫し、価値観が多様化している、そのためにおそらくかなりの日本人がやり場の無い不安を持ちながら日々暮らしているということ。
価値観が多様化しても、その様々な価値観をすべて受け入れてくれる社会ならいいのですが、そういう社会になりきれていない今の日本。強い感性を持った彼はそんな閉塞感を人一倍きっと感じていて、それをアーティスト活動を通して打開すべく、いろいろもがいてくれているのかなと感じました。

氾濫する情報の中で、一見価値観はどんどん多様化しているように見えますが、意外に社会はレアな価値観に対しては懐疑的で、排他的な気がします。
教育においても会社においても「自由な発想で」とか「個性を大切に」と言いながら、奇抜なもの、多数派ではないものに対しては否定的なニュアンスのコメントが流れたり、個性的な人をからかってみたり公然と笑いものにしたり。どうかすると変人扱いされていじめにあったりもします。
 そんな風潮の中で「自由な発想を!!」なんて言われたところで、出てくるわけないじゃないと思うのです。一方で教育は管理しやすい形を常に求めていて、本当に自由な発想を求めているとは思えない場面がたくさんあります。
 また、あらゆる情報が毎日メディアから飽和するくらい流れてきて、黙っていても情報が降ってくるこの世の中の中で、自分にとって必要な情報だけを選び出したり、いらないものを切り捨てることは相当にむずかしいことだと思います。
 かといってすべてをシャットアウトしてしまっては社会人としての生活に支障をきたすこともあるかもしれないし、また本当に必要な情報を知ることができずに後悔することにもなりかねない…なんて思うから、やっぱり情報の海の中でずっと立ち泳ぎしているような気持になったりもします。
 そんな暮らしを余儀なくされているわたしにとっては、最近の彼の言動の中の潔さがまぶしいですし、彼の奏でる自由で、最近の風潮に媚びない音楽からも、現状を打破すべく勇気をもらっている気がします。
 「品がある人」はいつもそんなにガツガツしていなくて、余裕を持ってことにあたり、何事にもちゃんと腹八分ということを知ってるような気がします。
 あれもこれもと欲張りすぎず、あれはダメこれもダメと否定せず、いつも2割くらいはスペースを空けておくくらいの暮らしができたらいいのにと思います。
 そんな暮らしの中できちんと何事も腹八分目に抑えて、睡眠時間もきちんと確保して、大事に大事に好きなアルバムに何度も何度も耳を傾けたり、楽しい思い出を何度も反芻したり、じっくりと友情を育てたり…そんな暮らしができたらいいのにとつくづく思います。