ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 「みんなちがってみんないい」と「赤毛のアン」と「茂木健一郎氏」

 連休はのんびりムードだったので、KinKiの札幌ライブのレポを拾って夜更かししてしまいました。楽しそうでいいなぁ。ライブツアーはまだまだ続いているんだなあと久しぶりに実感しました。
 さて、ここのところ、「コメント欄の方が断然おもしろい」という拍手コメントやらメールやらいっぱいいただくのですが、そうかもそうかも(笑)
 特におとといアップした日記ではちょっとしたハプニングからとっても面白い発展があって、出先でコメント欄を読んで吹き出してしまいました。楽しすぎです(笑)
 無邪気に楽しませていただいちゃって、両S嬢にはちょっと申し訳なかったですが(笑)反響がいっぱいきて、皆さんすっごくほのぼのしてとても楽しかったそうなので、どうぞご勘弁くださいね。
 「いつもお友達がたくさん集っていて楽しそうですね〜。」とよく言われるのですが、コメントをしてくださっている皆さんのほとんどは、ここをきっかけに知り合った方で、最初から知り合いだったわけではないのです。気がつけば普通に友達になっている方も多いですが、それはだんだんにライブなどでごあいさつをして広がった友達の輪なのですよ。
 そんなふぇるまーたなので、はじめましての方もたまたま通りすがりの方も、混ざりたい方はどんどん混ざってくださって大丈夫です。そうやってみんながクスクス笑えたり、ちょっと元気になれる場所になれれば本望です。
 「日記本文を読んだときには、レインの真意がわからなくて当惑しましたが、コメントのやりとりを読んで真意がよくわかりました。」なんてこともあるらしいです(笑)お時間がある方は、コメント欄も含めて遊んでいってくださいね。
 今回の話題もコメント欄から発展したお話なのですが、「嵐ライブ」の感想のところで触れた話です。とはいえ、内容は直接嵐とは関係ありません。
 わたしがコメントの返信で「みんなちがってみんないい。」と書きました。この言葉を元々発せられたのが、金子みすず氏だったか、相田みつを氏だったか、とっても記憶が曖昧で眠気と戦っていたわたしはあえてそこに触れずにアップしたのですが、この話のその後です。
 実際に検索してみたら「みんなちがってみんないい」は金子みすず氏の「わたしと小鳥とすずと」だということがすぐにわかったのですが、この検索中にとっても面白い内容のブログを見つけました。
 それは三年前に書かれた、茂木健一郎氏のクオリア日記の中にありました。2005年11月5日のブログです。
 こんなに前のブログにトラックバックしていいものやらどうやらちょっと迷ったのですが、あまりにもわたしが考えていたこととど真ん中の内容だったので、あえてトラバさせていただくことにしました。
 内容についてはこちらから飛んで見てみてください。
 このブログの中で茂木氏はもちろん「みんなちがってみんないい」にふれていらっしゃるのですが、この件に関してそもそも「赤毛のアン」をからめて書いていらっしゃることに感動してしまいました。
 ご存じの方もいらっしゃることと思いますが、赤毛のアンはわたしにとって、バイブルのような小説なのです。
 ちなみにわたしが全巻持っている訳は村岡花子さんのもので、この文庫たちです。

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

 これは1巻ですが、10巻まであって、最後はアンの娘リラが主人公になり、第一次世界大戦の戦時中の話にまで続いていきます。
 そして、あちこちのページを中学生以来ボロボロになるまで読み返しているので、ブログに書いていらっしゃるマニアックな赤毛のアントリビアには、ほとんどすべて答えられるくらいマニアなのです(笑)
 さて、茂木氏のブログでは、モンゴメリ女史の書かれる物語の特性について、

モンゴメリは、主演の役者だけでなく、
脇役にこそ個性あふれる人を配置していて、
その人たちが、どんなに変わりものでも、
 人生の日陰を歩いていても、
それでいいんだという暖かい目を向けていた
んだな、と納得された。

 アン自身が孤児院からもらわれてきた
わけだが、
 プロットのため、という仕掛けは別として、
必ずしも陽の当たる場所にいない者に
対する暖かい目を、モンゴメリは持っていた
わけである。

 最近の「勝ち組」「負け組」という
分類のいやらしさとは
無縁のヒューマニズムである。

 これを読んで、わたしが「嵐」や「KinKi Kids」、「33分探偵」を見て漠然と思っていたことの大元は、こういうことなんだなあと思いました。
 わたしはどちらかというと、ちょっと変わっている人が好きで、癖がある人に強烈に惹かれる傾向にあるのですが、ルーツは赤毛のアンなのかもしれません。
 茂木さんも例に出していらっしゃる、雇い主の奥様たちより尊大で変わり者だけど愛すべき使用人のレベッカデューとか、ご近所の超噂好きのレイチェルリンドさんとか、後々アンの家の家政婦になるスーザンとか。
 大金持ちでハンサムじゃなきゃ結婚したくないと豪語していた癖に、結局はとっても貧乏な神学生と熱烈な恋に落ちて結婚したアンの親友のフィリパとか。
 妻に逃げられて頑固でつきあいにくいけれど、実はとってもいい隣人のハリソンさんとか(笑)それはそれは一筋縄ではいかないむずかしい人たちがたくさんたくさん出てきます。
 更に赤毛のアンのシリーズ10冊中2冊「アンの友達」と「アンをめぐる人々」はアンがほとんど出て来ないお話で、彼女の周辺の人たちを主人公にした短編集なのですが、これがなんともユニークでヘンテコな人満載で、これらが本当に好きだったなあと思いだしたりしています。
 (特に好きな短編は「失敗した男」「ロイド老淑女」「隔離された家」あたりかな、笑)
 赤毛のアンというと、夢見る夢子さんのお話だと思われがちですが、全然そんなことはなくて、意外とシニカルだったり頑固なおばちゃんとか癇癪持ちの老人とか、底意地が悪いけど実はやさしいおばあちゃんたちとか、いろいろな個性の人物が山のように出て来るのですが、この本を読んでいると、そういう人たちひとりひとりが愛おしく思えてきたり、大変だなあと思いつつもこんな人たちの中で暮らしてたら楽しいだろうなあと思わされたりもします。
 また、モンゴメリ女史の著作にはアンシリーズ以外にも、素敵なものがたくさんあって「ストーリーテラー」シリーズとか、「丘の上のジェーン」とかも、やはり脇役の隅々まで魅力的なお話が多いです。
 最近は人との関わりを深く持つことを怖がる風潮がありますが、こういう物語を読んでいると、たいがいのことは気にしなくていいかも!?いい人と思われなくても変人と思われたってわが道を行って全然平気と思わされる何かがあります。
 まさしく「みんなちがってみんないい」なのです。
 茂木氏の文章の中に出てくる武者小路実篤の「君は君 我は我也 されど仲よき」という色紙の話にもとっても勇気が沸きます。
 何もまわりにすべて考えを合わせなくても人と仲良くやっていくことはできるんだなあと思います。仕事でちょっと悩んでいることに対してのヒントにもなったし、うんざりするようなくだらないバトルを回避するための切り札でもあるような気がします。
 それにしても、茂木さんが、そんなに熱心に赤毛のアンシリーズを読まれていたとは意外でした。普段テレビや著作で見ているお顔とはちょっと違うように感じたので(笑)
 すっごく面白い発見をしたような気持になったので、トラックバックさせていただき、日記を書かせてもらいました。