ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 インターネットリテラシー

 気がついたら梅が満開になっていました。近づいたらとってもいい匂いがして、梅を辿りながらバロンと遠回りして帰って来たところです。空はどこまでも澄み渡っているし、ぽっかり浮かんだ雲は真っ白です。自分が汚れた大人に見えてちょっと恥ずかしい…なんて変なことを思ってしまったわたしです(笑)
 先週ちょっと日記に書いた「小学生の殺人予告事件」は小学生女子が犯人だったと書かれていました。その顛末には唖然としつつも、彼女ひとりだけの責任ではないなあと痛感した出来事でもありました。
 以前にパソコンの検定を受けるときに覚えた用語、インターネットリテラシーという言葉を思い出しました。このことを本気で教えなくてはならない時代が来たのではないかと思います。
 インターネットの中を巡っていると、「十分大人」のわたしでも時々惑わされることがあります。どこかの文章を読んでいるうちに、気がつかないうちにすごく不快な気持ちが募ってきて、かなり過激な感情に支配されることもあります。
 もしネットの外で出会ったら「非常識」の一言で笑い飛ばせるようなことが、なぜかまかり通っているように思えたり、想像と妄想の境界線あたりで無邪気に遊んでいたつもりが、気がつけば間違った方向に刷り込まれそうになってハッとすることもあります。
 大人でさえこういうワナにはまりそうになるのですから(笑)無防備な子どもがいきなり何の予備知識もなく飛び込んでしまうであろう世界としてはかなり過激で危険です。
 今の時代、もうちょっと大きい中学生や高校生の生徒たちを見ていても、「大人子ども」だなあと思うことがいっぱいあって、大人も顔負けのいっぱしのことを言うから中身も大人なんだろうと思っていると、「そんなことも知らないの!?」とびっくりさせられることを言ったりもします。
 何事にも経験値が圧倒的に足りなくて、それを知識で補おう、取り繕おうとしている節があるし、人との距離感がわからなくて、びっくりするほど追い込まれている子をよく見ます。
 ちょっと手を貸してあげれば簡単に立ち直れることもいっぱいあるのに、誰にも言えず抱え込んでしまって追い込まれている子をみると、胸が詰まります。なんだかな〜。
 こういう気持ちを抱えたまま、誰にも言えずどこかに救いを求めたくてネットの海に深く沈んでしまうと、途方もない事態を招いてしまうのも容易に想像ができます。
 それにしても、インターネットの世界の進化に、本当の意味でついて行けていないのは、子どもではなくて「大人」なんだなあと思います。急激に身近になってしまったインターネットでどんなことが起こっているのか、正しく知らない大人が多すぎるのではないかと思うのです。
 インターネットでは世界中の莫大な知識や智恵が容易に得られる反面、アダルトな場所以外にも、危険地帯が途方もなく無防備に広がっています。いいところも悪いところもたくさんある諸刃の刃だということをまわりの大人がきちんと自覚していなければいけないのだと思います。
 母親という人種はわたしも含め往々にして、「わたし、機械のことはわかりませんから」「興味がないので」と逃げたりしますが、そうも言っていられません。大人がちゃんと考える前にすでに子どもたちの手に広く渡っているということが、すごく怖いことのように思います。
PS
 そんなことをつらつらと考えていると、ネット上に文章を載せていることが途方もなく怖いことのように思えたりします。
 すごく気をつけながら書いているつもりでも、時々誰かを不愉快にさせたり、読んでいて悲しくなるようなことを書いてしまっているのではと心配になります。何かのきっかけで常識からどんどん離れて行くのではと怖くなります。
 そんなこんなでまだまだ未熟なふぇるまーた及びレインではございますが、おかしなことを言い出したら、どうぞ叱ってくださいませませ。