ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 アイドルを探せ その1

 このテキストは壮大な計画の元に書こうとしながらも、考えすぎ、温めすぎて何度もぽしゃりかけたものです。
 そもそもお友達の「MIKIくるくるさん」(ふぇるまーたでは、bonyarihitsujiさんというハンドルです。)の「ぼんやりひつじのひとりごと」の中でこの記事を見たのが、まだ春爛漫の3月21日でした。
 MIKIくるくるさんが文中で山田ズーニー先生の文章を引用されていて、その部分はこんなこと。

人生には、時折、すごい求心力を放つ
人物があらわれ、ひきつけられ、幻惑されることがある。
でも、そのとき、考えてみてほしい。

自分は、なぜ、その人にひかれるのだろうか?

 すごく興味が沸いたのでとりあえずコメントを書こうと思ったのですが、あまりにも考えるところがありすぎて全然まとまらなかったので、「後日トラックバックをさせていただき、これについて書かせてくださいね」と思わずメールをしたのは直後のこと。快諾のメールをすぐにいただいておりながら、そこからなんと丸半年も温めてしまいました。ダメダメです(笑)
 さて、最近のわたしにとってのアイドルと言うと、「ふぇるまーた」では今更言う必要もなさそうですが、1998年頃からこっちは堂本剛さんが、そしてKinKi Kidsがずっとトップの座に君臨しております(笑)わたしにしては、異例の長さです。その前は、1年ごとくらいに、あっちへふらふらこっちへふらふらしていましたから、我ながらよく飽きないもんだとびっくりしたりしています。家族にも「今度のは長いなぁ!」なんて感心されたりしています。
 かと言って、彼らにほぼ定まってからも、彼ら一本槍でもなくて、時にはべつのミュージシャンだったり俳優さんに、時には作家さんに、時にはクラシックの演奏家さんに・・・と、程よくあちこちに情熱を散らしつつ、程よい距離とテンションを保ちつつ、日々の活力を得ているという感じです(ま〜た!大げさなこと言ってという感じですが、意外にそうでもないのです、笑)
 思えばミーハーであることは、わたしにとってはIDのようなものです。祖母譲り、ある意味筋金入りのミーハーです。4〜5歳の頃から今に至るまで、常に様々な分野のアイドルにうつつをぬかし、ある時は気持ちをもてあましたり、コントロールがうまく行かず心を焦がしたり、ある時は当時のアイドルを心の支えにしつつ、ちょっとずつ距離感を上手に取るコツを掴みながら、ここまで来た気がします。
わたしの母方の祖母という人は、亡くなるぎりぎりまで、TV雑誌を定期購読して、隅々まで読み込んで常に外の社会にアンテナを張っているような人でした。新しい面白CMや今をときめく歌手の新曲を誰よりも良く知っていて、常に少女のような心を持ち、通販のカタログも隅々まで目を通し、常に遊び心を忘れない人で、子ども心にも自慢の祖母でした。
 晩年はリュウマチに悩まされ、外にもほとんど出られず、日常が痛みとの戦いでかなりつらい毎日だったと思いますが、いつ遊びに行っても好きなレコードの話に目を輝かせたり、通販でおいしいものを頼んだり、わたしが高校生当時大好きだったアイドルが特番に出るのを「もう知ってる?」と教えてくれたりしました。
 痛みに襲われて目が覚めた孤独な夜中にも、「オールナイトニッポンを聞いていたら、楽しかったよ!」なんて話をしてくれたり、好きなシャンソン歌手のレコードを聞かせてくれたかと思うと、ピンクレディーをかけて妹たちを躍らせたり、人生の楽しみ方を知っている素敵な大人に見えて、そんな祖母が大好きでした。
 その祖母は1999年にすでに他界しましたが、年々歳々ミーハー度を増していく自分を見ていると、なんとなく祖母との血のつながりを意識したりします。そんな祖母懐古の気持ちも織り交ぜながら、わたしにとってのアイドルトークを、MIKIくるくるさんのところで紹介されていたほぼ日刊イトイ新聞の中の山田ズーニー先生の「おとなの小論文」Lesson111のアイドルを探せをテキストにしつつ段々に書いて行きたいと思います。
 文中リンクからズーニー先生の文章へ飛んで行っていただければわかりますが、最初に引用した部分以外にも、とても面白くて考えさせられる内容がたくさんあって、どなたが読んでもとても面白いのではないかと思います。
 この文章を書きながらもふと思ったのですが、誰か応援している人(ここではアイドルと書きます)がいて、その人の情報を探したり、その人の作品を楽しんだりという作業の楽しいこと。そして、そんなことをしている時の自分のエネルギッシュなこと。お仕事の時には考えられないタフさと辛抱強さでびっくりするくらいです。
 一方で、恋にも似たこの感情は、現実の恋と違って、「最も純粋にして見返りを求めないキレイな気持ち」だという気がします。たとえば「アイドルが元気でいてくれるだけでいい」とか空を見上げてふと、「わたしのアイドルが、今日もしあわせだといいな」なんて思う気持ちには微塵も裏がないし、誰にほめてもらおうと思って考えるわけでもなく・・・
 もちろん十分すぎるほど大人にもなると、人生の甘いもすっぱいも苦いもいっぱい日常に転がっていて、時に明日が怖くなったり怒りに震えたりもするわけですが、そんな日常のさ中にあっても、この「アイドル」に向ける気持ちという場所は、利害だとか人間の醜さとは無縁に、きれいなまま、心の中の美しい場所にしておきたいなあなんて、思ったりするのです。
 というわけで、このテーマのエントリーは不定期に、とりあえずさしあたっての話題がないときに、のんびり進めて行きたいと思います。