ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 暖簾に腕押し!! 

 今月は予定がままならなくてイライラしています。
 子どもたちの間でインフルエンザが大流行したこともあって、元々振替が続出していることが原因なのですが、3人ぐらいの子にとことん振り回されて滅茶苦茶です。何度も予定をすっぽかされたり忘れられたり。あまりに続くし、何度電話しても連絡が取れないのでほっておいたら、翌週涼しい顔でしれっとやってきたり。たいがい3月には、1度や2度こういうことがありますが、それにしてもこんなにひどい3月は初めてです。
 何がイライラするって、この3軒とは子どもたちではなくて、おかあさま方とうまくコミュニケーションができません。子どもがピアノをすっぽかしても電話ひとつしてきません。こちらから電話をしても一緒になって「あら?どうしたんでしょう?」なんて他人事のように涼しい顔。「本人がいないのでわかりません。いる時に電話を掛けなおしていただけます?!」なんて…ふざけるな!
 もちろん全部が全部そうではなくて、ほんの一部の一部なのですが、コミュニケーションがむずかしいお宅が3軒くらいあって、たまたま今月の振替はそういう家の子ばかりなのです。心底当惑しています。
 どうして「子どもが帰って来たらこちらから掛けなおします。」と言わないのか、ひとこと子どもになり代わり「すいません」と言えないのか、理解に苦しみます。中学生以上なら子どもに責任を取らせてもいいと思いますが、8つや9つのわが子のことです。どうして「わたしには関係ありません」と思えるのかわかりません。
 わたしだって予定をやりくりしてその時間は他の子のレッスンを入れず待機しているのだし、何度も何度も本人をつかまえるために電話をしなくてはならないなんてそもそも変でしょ?!
 低学年の子どもには、まだまだ「約束」の意味さえあやふやな子どもだっているのです。たとえばお友達と遊ぶ約束がうまく伝えあえずに片方が待ちぼうけをくらったり、時間を間違えたり。そんなことを何回か繰り返して懲りごりしながら約束の大切さやポイントを勉強したりするのでしょう。
 でもそういうのはお友達同士の遊びの中で練習するのであって、ピアノの「約束」はちゃんと親が間に入って守らせてもらいたいのです。それってそんなにむずかしいことなのでしょうか?!
 百歩譲って、「今日はピアノだよ。」と声掛けくらいはしてほしいし、時間変更は必ず親御さんとも話してあるのだから、おかあさんの方だって一度子どもに言っただけでおしまいにしないで、ちゃんと気にしておいてほしいのです。
 大手のピアノ教室なら、「事前に連絡なく休んだ場合振替はしません」と歌ってあることがあたり前ですが、わたしのところは個人経営だし、基本はお互いの常識と善意により「振替は何度でもします。ひと月に4回は必ず確保します。」というルールを作っているわけです。今まではそれでうまく行っていたし、誰にだって「うっかり忘れる」ことはあるわけで、「今回はすみませんでした。」「いえいえ、次回は気をつけてくだされば大丈夫です。」「わかりました。忘れないようによく言ってきかせますから」でおしまい。そういうやり方でうまくいっていたのです。いつからこんなになってしまったのでしょうか?
 昨日なんて、その1レッスンのために、実家からかなり早めに帰って来たというのに。待てど暮らせど来ません。むしろこの男子(3年生)はしっかりした子なので、なにかあったのかもと思い「家に帰り次第電話ください。」とメッセージを残しておいたら、夜も8時を過ぎてから電話が鳴りました。
おかあさま:(開口一番!)「あのね、おとうさんと遊びに行ってたらしいです。」
わたし:(沈黙。気を取り直して)「それでピアノのことを忘れてしまったんですか?」
おかあさま:「ねぇ。」(ねぇってなんだ?ねぇって!!)
わたし:「Dくんがピアノを忘れるなんて珍しいですよね」(しつこく振る)
おかあさま:「今日は夫が当番の日なんで、ピアノのこと知らないで、連れ出したんじゃないですかね?」
(お父さんが「当番」だとしたって、今日はピアノだとその前の「当番」のおかあさまから『申し送り』くらいしたっていいんじゃない?!)
わたし:(気を取り直して)「明日の午前中なら時間が作れますが、Dくん来られますか?」
おかあさま:「さぁ?わたしは残業中でまだ会社なの。家に電話して本人に聞いてもらえます?」
わたし:(一瞬絶句!)「今はおうちにいらっしゃるんですか?」
おかあさま:「さぁ?!どうだろ?今日はおとうさんが当番なんで、子どもたちのことはわたしは関知してませんから」
わたし:(えぇ〜?!再び絶句!)「この間は1時間続けてレッスンして振替に当てたのですが、そういうやり方をしてもいいでしょうか?」
おかあさま:「それをわたしに聞かれてもね。本人に聞いてください。わたしはお金を払う人。習う人は本人ですから。」
(絶句!!)
 かくして本人は9時過ぎにやっとつかまり、「今日の10時に来る」とわたしに言いました。
 ご両親とも7時過ぎには都内の職場へ出かけてしまうので、ちゃんと起きているかどうかも不安な春休みです。ちゃんと自力で来るでしょうか?!
 いずれにせよおかあさまは全くあてにならないので、今日もしちゃんと本人が来たら、きちんと言ってあげなければ。「今後はアナタがしっかりして水曜日はピアノの日だとご両親に言ってちょうだい!」と。
 ここまでひどい例は久しぶりだったのですが、総じておかあさま方の意識が変わってきたことを感じ、挫折気味のこの頃です。
 権利はとことん主張するけれど、「自分たちはサービスを受ける側だ」と思っている節があるので、わたしの方にもまた「都合」があるとはあんまり考えていないみたいです。「インフルエンザが多くてなかなか予定どおり行かなくて!」なんて言おうものなら、「でも、先生はそれが仕事ですよね!」ととても手厳しいひと言が帰って来たリもします。
 というわけで、コミュニケーションはいつも平行線です。そもそもピアノの先生ってサービス業なのかなぁ?という疑問がふつふつ。わたしが子どもの頃なら「わたしのやり方に不満があるなら、今度から来なくて結構!」とレッスンも受けられず泣かされて帰されたりもしたのですが、そういうやり方はそれこそ傲慢だと思うし、できれば生徒たちとは温かい雰囲気の中で彼らの音楽を育てたいと思うのです。でもどう考えても真意が伝わっていない気がしてなりません。
 もしかして、おかしいのはわたし?!
PS:さて、ここまで下書きしたのが9時半。その後10時5分前にちゃんと「きのうはごめんなさい」と言いながらDくんはやって来ました。そうなのです。本人との関係はもう6年越しですがちっとも悪くないのです。そして本人に言いたいことを噛み砕いて言ったら、「今日帰ったら、キッチンのカレンダーの4月4日のところに『6時からピアノ』と誰にでもわかるように書いておくね」と言いました。それはとってもいいアイディアです。賢い子です。
 そうでした。わたしの生徒はDちゃんなんだから、わたしのやり方を本人にちゃんと伝えて彼をちゃ〜んと育ててあげればいいんだわ!と当たり前のことに気がついて、ちょっとすっきりです。