ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

[日記] この気持ちはなんだろう〜♪

 「この気持ちはなんだろう〜♪」という歌詞を気がつけば歌っています。なんだっけ?としばし考えて思い出しました。混声合唱曲の「春に」です。このエントリーはわたしがピアノに対する想いについて書いたものです。どうでもいいことをつらつらと書いているので、お時間がない方にはお勧めできない内容となっておりますので、念のため。
 昨日は、自分のレッスンに行って来ました。ここのところ、時間は短いですがかなり集中して練習しています。
 「趣味はピアノです!」とはりきって言ってしまいそうなくらい、習いたての子どもみたいな純粋さで(自分で言うかって感じですが、笑)楽しくて楽しくてたまらないのです。もちろん譜読みはいつだって大変だし、40を過ぎてからは、ちょっと弾きすぎれば、簡単に腱鞘炎になったりします。それでも楽しいのはどうしてなんでしょ?!
 考えてみれば子どもの頃は、練習することが半分義務でした。音楽は好きでしたが、叱られるのが怖くて練習していた時もありました。結構厳しい先生についていたので、毎回嫌味を言われながら、泣きそうになって通った日もありました。受験期や学生時代は、試験に追われたり発表会に追われたりして、本当の意味で楽しむ余裕がなかったのかも。
 そして自分の子育て時代は、レッスンと家事、育児の両立が精一杯で・・・やっと、自分の楽しみだけのためにピアノを弾く自由ができたのは、最近なのかもしれないと思うこの頃です。
 折りしも、先生のお宅に伺ったら、先生は受験生を15人も抱えていらっしゃるようで、大わらわ。そんな中、今更受験とも無縁なわたしのレッスンまで入れていただくのは申し訳なくて、そう言ったら、「大丈夫。もうほとんどの子は第一希望に決まったから。後は芸高の発表待ちの子がいるだけよ。」と涼しい顔の先生です。演奏活動もお忙しいのに受験生を育てることにも十分に自信を持っていらっしゃるみたい。その上、わたしたちみたいな指導者の指導もなさいます。ご近所の主婦や耳の聞こえないお嬢さんの生徒もいるそうです。そのバイタリティーがうらやましいです。さすがです。
 さて、ただ今のわたしは、この間ちらっとここでも触れた名曲中の名曲で、先生のリサイタルのダブルアンコール用の十八番曲、リストの「愛の夢」を継続中です。(レッスン中は先生のピアノを聞き放題なのですが、隣であの「愛の夢」を聞いてしまうと、自分が弾くのがイヤになります、笑)あとは、バッハの平均律、二長調のプレリュードとフーガ。
 どの曲も学生時代にやったことがある曲なのですが、最近になってから、当時どうしてもわからなかったことがちょっとだけ見えかけている気がしてなりません。「わかったぞ!」と胸を張って言えるほどの自信はないのですが、答えが見え隠れしている感じがするのです。
 なので、ここのところとってもピアノに情熱を注いでしまうのだと思います。力の入れ方抜き方、肘から指先への力の伝え方、伝わり方、力と音のコントロール、オクターブで動く時の指の運び、音楽の緩急、ハーフペダルの微妙な響かせ方、左側や真ん中のペダルの効果的な使い方、そして音楽との向き合い方。
 散々人に教えてきて、しかも何十年もやっているのに、やっと「見えかけて来た」なんて生徒たちに対しても失礼千万と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、音楽は数学のように公式があるわけでも、答えがひとつなわけでもない分野なので、結局ひとりひとりが答えを体得する旅を、死ぬまでずっと孤独に続けていくような、そんな気がするのです。
 お金を稼ぐ種としてピアノをやってるんでしょ?なのに、どうしてまだまだレッスン料を払い続けているの?高いんでしょ?とか、これからピアニストでも目指すわけ?とか、大学にでも戻るつもり?という素朴な疑問を友達から投げかけられたこともあります。そうよね、今更よねと思うわたしもいるのですが、そういうのとも違うんだな・・・これが。とにかく弾きたい、何かを掴みたいという気持ちは、誰との比較において思っていることでもなく、自分の心の中だけのもの。なんでこんなに必死なのかは自分でもわからないのですが・・・
 な〜んてことをつらつら、考えていたら冒頭のような「この気持ちはなんだろう〜♪」という歌が止まらなくなったというわけです(笑)それにしても、もう40年以上、黒い箱の中のハンマーを叩き続けているんだなあと思うとなんだかとても不思議です。
 ただ、少なくともわたしが練習している姿を生徒たちに見せるのは、悪いことじゃないだろうと思うし、これからもやっぱり、理屈抜きで、お金が続く限り?!行ける限り、ピアノは続けるんじゃないかと思うのです。