ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 こんな日は本を読もう!

 そもそもそんな日ではなかったのです。妹とふたり、原宿や渋谷を歩いて、おいしいランチを食べて、楽しい話に花を咲かせて。しかも帰りの電車に乗ったら、ダイヤが変わっていて、渋谷から地元駅まで直通の急行ができていて、「すご〜い!一時間ちょいで帰って来れるのね!」とハイテンション。レッスンもまあまあ順調に終わり、気分良く夕食の準備をしよう・・・そう思いつつ、「その前にちょっとだけ休憩」とネットを開いたら、意外なところで地雷を踏み、さっきまでの充足感が嘘のように、心のお天気も急降下。こういうことってありませんか?皆さん。
 こころのお天気というものはやっかいで、一度崩れ始めると際限がありません。しかもオンナの女たるゆえんだそうですが、どんどん怒りの矛先がずれて変わって行くのです。最近心を悩ませていたあの問題、この問題へと飛び火してゆき、気がつけばカリカリしながら食事の支度に精出すわたし。千六本に切った大根をダシ汁の中に放りこみ、火にかけたところまでは覚えています。煮えるまで、ちょっとだけ洗濯物を畳もうと思ったのも覚えてます。しかししかし・・・怒りにまかせて仕事をしつつ、次に気がついたときには、コンロがパチパチ言ってました。傍目にも真っ黒な鍋と、もうもうと上がる煙。鍋底に張り付いた大根の残骸。薄手の軽いアルミ鍋は重宝なので、一つだけ持っているのですが、焦げに弱いので、またまたダメになりました。(わたしは良くお弁当用のおいもを焦がすので、今の鍋が3代目だったのです。他の焦げに強い鍋はなぜか焦がさないのに…不思議です)
 おかげで夕飯の時間は大幅にずれるし、近くにいたはずの子供たちには、盛大に八つ当たりしてしまい(ごめん!)、あとでドッと落ち込みました。その時はまだ怒りが燃えたぎっていたので、盛大に焦げた鍋をみて、「ここまでだと、むしろあっぱれだわ」なんて自虐的に大笑いしてみたり。小さいなぁ!わたし。
 そのうちに、怒りが落ち込みにシフトしてしまい、益々やっかいな事態です。目の前にぶらさがっているいろいろなことに、なんだかとっても限界を感じはじめ、頭を抱えてしまいます。これも一種の5月病なのでしょうか。まだ、ちょっと早いですが。考えてみれば、いつもわたしの5月病はちょっと人より早く来ます(笑)こんなことじゃダメだ!なんだかなぁ」と思うことが多すぎです。大人がこれじゃダメだろう。と自分が悔しくなってきます。無力だなあとせつなくなります。道徳観とか、正義感とか、死生観とか、なにが正論でなにが間違っているのかわからなくなって、途方に暮れてしまいます。一応答えを出したところで、気持ちはまた別モノで・・・理屈だけで納得なんてできるもんですか!
 そんなことをとりとめなく考えながら堂々巡りをしていたら、テーブルの隅っこに自分で置いた藤原正彦さんの本が目に入りました。これです。

父の威厳 数学者の意地 (新潮文庫)

父の威厳 数学者の意地 (新潮文庫)

この方の本を読むのは3冊目です。実を言うとすっかり虜になってしまい、次々読んでいます。そのわりに、感想を書いていないのは、ちゃんと消化してから書きたいと思っているからで、どの本を読んでも英知とユーモアにあふれ、読みやすい文章だし、今一番のお気に入りです。(この方の本については、別エントリーで触れたいと思います。)
 思わず手にとって読み始めたら、気がつけば夢中になっていました。心が元気になって、ゲラゲラ笑いつつ心底すっきりしました。笑いがちりばめられていながら、聡明さがにじみ出ているこの方の文章を読んだら、大人としてやっていくためのコツみたいなものが、ちょっとだけ見えて来た気がしました。どうあれ、要は心の持ちよう一つということなのでしょう。