ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 久々クラシック語り 父とシベリウス

 父との長い語りのなかで、一番面白かったのが、シベリウスについてのくだりです。最近わたしが一人でこっそりはまっていたのですが、その話をしたら父も数年前にシベリウスブームが突然にやって来ていたらしいです。そして父と母はその後フィンランドを訪ねていて、それはシベリウスの故郷をたどる旅でもあったという話を聞きました。「へ〜?!」と始めて聞いたように返事をしたら「お前にも話したはずだぞ」と言われたのですが、ちっとも覚えていません。自分に興味がないことって案外心に残らないのかも。それじゃなくとも、「生返事のレイン」は親しい人の間では有名なのです(笑)
 わたしはピアノ曲ばかり聞いていると言ったら、それを聞くならこれを聞いてみなさいと「交響曲2番」を貸してくれました。父が言うにはこれを始めて聞いたとき、好き加減が「新世界」を超えたなあと思ったのですって。我が家的には、「新世界」と言えば相当聞き込んでいる曲なので、これを超えたと言うくらいなんだからさぞかしすごいんだろうと期待しています。まだ聞いていないのですが、シベリウスに関しては、もう少し聞き込んでから再度きちんとエントリーしてみたいです。
 どうして急にこんな風にはまったのかは、この間「樅の木」がきっかけだと話しましたが、それだけではなくて、シベリウスの感傷的な雰囲気と今の心境がぴったりだったからだと思います。ロマンチックでやさしいのですが、ちょっと手痛い感じがする音楽が多数あって、そういうのが元々の音楽の傾向としてとても好きなのです。そしてなぜかここのところ、音楽に対してものすごく感傷的になりたがっているわたしがいるのです。(元々はあんまり感傷的に音楽を聞くタイプではないはずなのですが・・・)
 シベリウスの温かさや優しさや甘美な感情の中にちょっと痛みが混ざっている音楽というところにとても惹かれます。これは何もクラシックに限ったことではなくて、玉置さんやKinKi Kidsやエンドリ氏の曲たちにも共通している気がします。哀愁とか郷愁とか、そういうものかもしれません。シベリウスの国、フィンランドは父の話では他国からなかなか独立できず苦悩した国だそうですし、第二次世界大戦でも、賠償金を払った国なのだそうです。シベリウスを正しく理解しようと思ったら、フィンランドの歴史を紐解くのが早道のようです。地理的条件も気候についてもおぼろげにしか知らなかったし、図書館へでも行ってみようかという気になっています。なにから調べたらいいのか、どんな本を読んだらいいのか、ちっとも見当はつかないのですが・・・。
 さて、もう一つ実家で心に残った音楽体験はというと、ヴェニスバロック・オーケストラが、ビバルディーの「四季」を演奏するDVDを見せてもらったこと。「四季」=イ・ムジチというのがわたしの中にあって、イ・ムジチ版のCDも持っていれば、演奏会にも2度ほど行ったことがあるので、「四季」というのはこういうものだという頭があったのです。
 ところがヴェニスバロック・オーケストラは、全然違っていました。まず古楽器を使っていて、音がより多分ビバルディーの時代に近いのであろうこと、それからスタイルとしては、ほとんどの楽器が立って演奏していること。そして何より、演奏者がみんなものすごく表情豊かで奔放で躍動感のある演奏をしているのです。なんだかバロックと言えばカチっとした決まりごとの中で丁寧に演奏されるもの・・・という印象だったのが一気に変わりました。のだめが言っていたところのバッハは「正しいカレーライス」っていうくだり。そして、「そんなもんじゃないよ」と返すリュカのおじいさんを思い出しました。
 楽団の中の一人の人はとても顔の表情が豊かで、「まるでエンドリライブのギターの中村氏みたいだね」と妹とマニアック語りをするわたしたち。本当に素敵で、目がハートになりました。
 このDVDは父が録画したものだというのですが、びっくりするほど音がいいので聞いてみるとなんと教育テレビの芸術劇場を録画したものだというではありませんか。考えられません。我が家では教育テレビは映りも音もイマイチなのです。そういうと、父がニヤニヤしながら、「オマエたちと買いに行ったじゃないか!」と。先日の秋葉原で買ったあのスピーカーたちとつないであるのです。おまけに父の家のはテレビもHDDももちろんデジタル対応のもの。レートも最高で録られているわけです。う〜ん!我が家のおんぼろテレビと安物オーディオセットでは、どんなにがんばってもこんな音では聞けそうにありません。また実家で聞かせてもらえばいっか。とあきらめて帰って来ました(笑)