ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 再び「joy」

少し前にアルバム「joy」やらシングルの「JOY」について日記に書きました。これらの曲たちには本当に励まされていて、ここのところ元気をもらうための、とても大切なアイテムだったのです。
 ところが先日YUKIさんが2歳直前の息子さんを本当に突然に亡くされたニュースを聞いて、胸が詰まりました。人々の心を明るく元気にする音楽を世に送り出した彼女にそんな哀しいことが起こっていたなんて・・・。何も知らずに毎日のん気に聞いてたなあなんて。音楽雑誌でもあんなに前向きに、音楽のことや仕事のことを語っていたのに。だからこそ余計にこのニュースが哀しくて、せつなくて呆然としてしましました。
 ニュースを聞いてからしばらくは、「大切なわが子を突然に亡くしてしまった哀しみ」の気持ちがあまりに容易に想像できたので、あまりに胸が痛くて「JOY」を聞くことができませんでした。なんだかとっても怖くなってしまったのです。
 ところが聞いてみたらやっぱり大好きだったし、変わらず元気をもらえたし、これからもいっぱい聞きたいという気持ちにちっとも変わりはありませんでした。何を怖がっていたんだろう。
 その後もずっと考えていて、メーテルリンクの「青い鳥」のお話がよみがえって来ました。生まれる前の子ども達が集まって、時の番人と一緒に生まれるその瞬間を待っている場面です。昔劇団四季のミュージカルで見た場面がそのままよみがえってきました。
 みんながいろいろなおみやげを持って世の中に出て行くとこになっていて、その中に主人公のお家に来る妹だったか弟だったかも混ざっていました。その子は病気も携えていて「3歳には死んでしまうんだ」なんて淡々と言うのです。中には名誉やら栄光やらを持っている子もいれば、彼のように病気やら負のおみやげを持って行く子もいるのです。そんな風に袋の中にあらかじめ決められた運命を淡々と手に持って生れ落ちていく場面です。
 人がどんな風に生まれ、どんな風に死んでいくのかそのメカニズムは生きている誰にもわからないのだけれど、人の生死は、人間の努力やら考え方とは全く関係ないところで大いなる力にコントロールされている気がします。「それがその子の運命だった」なんてそれだけであきらめがつくものでは決してないとは思いますが、そうとしかいいようがない事もあるに違いないと思うのです。
 わたしは彼女の大ファンというわけではありませんし、ましてや彼女の友達でもないので直接何も力にはなれないけれど、このアルバムを今後もいっぱい聞いて、元気をもらって、この中の音楽をずっと大切にしていくことで、隅っこからちょっとでも間接的に彼女を応援できたらいいなあと・・・おこがましくもそんなことを思っています。