ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 晴れやかに成人式の日を迎えました。

(かなり個人的な日記で、重たい現実を含む部分もありますので、この日記は飛ばしていただいても全然大丈夫です。念のため。)
うちの地区では昨日が成人式で、オトートも近所の幼馴染とともに成人式に出席してきました。
大学の入学式や学校行事、キンコンカンの演奏などでスーツを着る機会もそこそこあって、ずいぶんスーツも着慣れてきたみたいです。
きのうはさっさとネクタイを締めて颯爽と家を出て、友人たちと写真を撮ったり世間話に花を咲かせたり、ごくごく普通の、どこにでもいる二十歳の子の成人式の一日を過ごしました。
本当に本当に…ありがたいことです。
そもそも昨年末から友達と徹夜の鍋パーティー、カラオケ、地元の友達と遊んだり、今日は高校時代の友達が遊びに来ていて、遊び過ぎだろうと思っている母です。
高校時代までは、相当いろいろとストレスを溜める瞬間もあったみたいですが、大学に入ってからはまるで糸が切れた凧みたい。学校は真面目に行って一応勉強もちゃんとはやっているみたいですが、それにしても、遊び過ぎでしょ。今日もレポート用の本はもう読み終わったしね…なんて言ってたけど、しっかりしてよ〜という感じ(笑)
そんな中迎えた成人式です。
ちなみにきのうの式のあとは、久しぶりにご近所の草食系(笑)幼馴染の家に何人かで集まって、近況報告会やらゲーム大会やら…まったく色気皆無の二十歳たち(笑)
彼女がいる子は誰もいないみたいです。
どうなってんだ!このコたちは(笑)
さて。
ご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、うちの息子には筋ジストロフィー症という持病があります。
病気がわかった彼が6歳の頃には、成人式に彼がこんな風に「ごくごく一般的な」一日を過ごせるなんて、まったく思ってはおりませんでした。
あらゆるネガティブな想像をしてつぶされそうになりながら日々過ごしていた15年前のことを考えると、今のしあわせが本当に胸に沁みます。
当時彼の筋力がどれだけ、いつまでもってくれるのか、日々本当にドキドキしながら暮らしていました。
重いランドセルや辞書、体育着、給食着…数々の荷物を「疲れた〜もうダメだ〜」と放り出し、毎日玄関に座り込む彼にしてあげられることは、痛いところに手を当てるくらいでした。
わたしは宗教的なものの信者ではありませんが(笑)筋ジスには今のところ確固たる治療法がないこともあって、おかあさんのしてあげる「手あて」の効果はなぜか当時からかたくなに信じていて(というよりそれしかできなかったからかもしれないですけど、笑)小さい頃はひたすら何の根拠もないのに「治してあげるね」と言っては痛いところに手を当てていました(笑)
毎日学校から帰ってくるのを待ち構えて手を当てていた頃もありました。
小さい頃は発達も遅れていたのだと思います。どのタイミングで一年生になるのかは、その子の発達の具合で決められればいいのに…と本気で意見しようと思ったこともありました(笑)
なかなか授業について行けず、小学1年生の宿題をやるだけで2時間とか余裕でかかったりもしていました。
それでも本人は結構図太くて、たいしてイヤがることもなく、毎日親子でいっぱいいっぱいになりながら音読や計算ドリル、漢字の勉強をしていた時代も今は昔。あの頃は大変だったね〜と今では笑い話です。
こんな調子では大きくなったらどうなっちゃうんだろうと心配になったことも何度もありますが、幸いにも身体が大きくなるにつれて、荷物を持てる重量もそれに比例してちょっとだけ大きくなって、学校に通うのは少し楽になったこと。
早く走るなどはできなくても、たくさん歩くことをいやがらず、体力もついたのか、歩くだけなら途中でバテてしまうことはほとんどなくなったこと。
不器用で新しいことを覚えるのが苦手だった彼が、勉強にだんだんに慣れて、まわりがだんだんにさぼり出すとともに(笑)生真面目な彼は、少しずつまわりとの差を詰めることができたこと。
そんなもろもろがあって、ただ今のところほぼ病気の進行はなく、普通の暮らしをしています。
そんなわけで、神さま仏さまご先祖さま、彼を見守ってくださったすべてのみなさん、本当にありがとう…と心から思いながら、あたりまえのように出かけて行くその背中を見送りました。
今回二十歳になったこの機会に、ふぇるまーたの過去ログを振り返ってみようと思い、「筋ジストロフィー症」で検索をかけてみました。
一番最初にこの話題に触れているのは2004年。彼が13歳の誕生日の時のこの日記です。
この時は「いまる」ちゃんにたとえて、生きているだけでいいや!と言っていたのですよね。なつかしい思いでです。
次に書いたのは、2005年3月。スキー教室の時
彼の病気にとって骨折はかなりのダメージなので、出かけて帰って来るまでの間、それはそれは心配したのを思い出します。
多分この時も不安につぶされそうになっていたのは、本人よりもわたしだったのかもしれません。
ちょっと前に体育の先生とトラブルがあって、ドキドキしていたら自らちゃんと解決していたという…案ずるより産むが易しでした。
そしてこれは彼が中学卒業の時、2007年3月の日記です。
次に話題にしたのは、2009年の8月
高校生だった彼が自分から初ボランティアキャンプに参加した時の話です。これがきっかけとなって、多分今の進路、福祉学部を選んだのだと思います。
次はかなり最近、2011年の二十歳の誕生日
もちろん日記に書いてないことの方が多いですが、それでもいろいろあったなぁなんて感慨深いものがありました。
たとえば病名で検索して来られた方で、小さい頃の彼のことをお知りになりたい方がいらっしゃいましたら、2006年には別サイトも作りましたので、目を通していただけたらと思います。
ただし、こちらのページはただ今動いておりません。
次に動かす時は具体的に治療法が確立されて、彼が病気を乗り越える過程を日記にできれば…と夢見ているところです。
病気の種類や事情はさまざまでも、同じように苦しい現実に立ち向かわれている方が読まれたら、ああ同じように苦労している人もいるんだなぁとちょっと励まされることもあるかもしれないと思い、もう一度だけリンクを張っておきます。
さて。
長々書きましたが、今のオトートの話をちょっとだけ。
彼は現在某大学の福祉学部の2年生です。今のところ就職は小さい頃から苦労した経験を生かして、福祉に関わる仕事がしたいと言っていますが、このご時世ですから、どうなることやら。
目下のところの悩みはバイトが決まらないこと。真面目で一生懸命やるので、多分何か彼に合った仕事が見つかればきちんと働けるだろうと思うのですが、なんせ筋力がなさすぎるので、たとえば本屋さんやスーパーコンビニなど大きな段ボールを持つような仕事はダメだし、男子で力がない、そもそも病名を言うとなかなか雇ってもらえません。
でも、それだって自分で乗り越えて行かなくてはならないことのひとつだと思い、見守っているところです。
今は映画館のモギリとか、事務系のバイトを探しているらしいです。
学校は2時間もかかるところにありますが、ほとんど休まず通い、日常生活に支障がないだけの筋肉を保ち、サークル活動でボランティア演奏のステージに立ち、友達とカラオケでオールしたり、レポートが終わらないとぶつぶつ言ったり、苦労しながらも自動車免許を取ったり、そればかりか2日連続で某声優にしてアイドルのライブに通ったり…
これもできる、これもできる…と数え始めたらいくらでもプラスの材料が出てくるしあわせを噛みしめながら二十歳のこの日を迎えました。
もちろん母親のわたしにはわからない苦労もたくさんしたことと思います。
一見すると筋力がないことがわかりずらいので、誤解されてイヤな思いをしたこともたくさんあることと思います。
自分で自分の将来が心配になったことも多分何度もあることと思います。
それでも楽しい今日がやってきて、未来に向かって努力できて、楽しい仲間に囲まれて日々送れることのしあわせ…本人もわたしたち家族も忘れずにいたいです。
わたしは今にして思えば、音楽の勉強と一緒に教育の勉強をしたのに、子育てがとてもヘタで、結局たいしたこともしないでふたりの子どもたちが成人したような気がします。
これからも一緒に泣いたり笑ったりしながら日々が過ぎていくのだと思います。
今日を境にもう親業は卒業か?というととんでもなくて、成人式が終わったからと言ってきのうと今日、今日と明日にはなんら変りなく。
多分本当の自立の時はふたりの子どもたちがそれぞれに自分で決めて巣立って行くのだと思います。
その時まであとどれだけ時間があるのかはわかりませんが、こちらからはあまりうるさく言わず、そばにいて何か信号を送ってきた時はちゃんとツーと言えばカーと答えられるような、そんな準備をしておきたいと思います。
成人おめでとう。
これからも日々、自分を信じてまっすぐに進んで行けますように。