もう何年も土曜日の6時から来ている生徒Kちゃんは高校一年生です。
小学校一年生からピアノをスタートして、もう一番長い生徒のひとりです。
練習嫌いですが、抜群の初見力(初めて楽譜を見て弾く力)と手の形に恵まれていること、持ち前の器用さで、趣味でピアノを弾く子としては、まあまあ人並みのスピードを保ちながら、もうちょっと欲を出せば無敵なのになぁ…と思いながら見守ってきました。
アネの同級生の妹で、おかあさまとはPTA仲間なこともあり、なんでも言い合えるので安心と言うこともあります。
この子は何よりとてもおとなしくて、いつも笑顔ですが、最初の6年間くらいはほとんど声を聞いたことがありませんでした。
買い物などでおかあさんに会うたびに「大丈夫なのかしら?楽しんでいるかしら?」と聞くと「ものすごく楽しいって。『先生は無理やりしゃべらせたりしないところが、すっごく楽。相性いいと思う』って言ってるわ。愛想なしで申し訳ないけどよろしくね。」と言われて、「それならいいんだけど。」と安心したりしていました。
その子が中学になったら吹奏楽を始め、県大会では金賞を取るなどして、音楽好きは加速していきましたが、やっぱり練習は嫌いでレッスンは相変わらず静か。時々声を出して笑ったり、自分から「いきものがかりもやってもいいですか?」とか「このバッハは好きです。」とか言うようになりました。
それでも練習量は変わらず、欲がないので試験やコンクールが近くなると簡単に休んでしまうこともありましたが、一方で何かが終わるとまたいつもの淡々に戻って、いつものように静かにニコニコとやってきました。
高校には吹奏楽が強い学校に推薦入試で早々に入学を決めていたので、中3の3学期になってからは、一度も休まずに来ていたのですが、入学後はムリだろうなぁと思ってました。
高校の吹奏楽部は中学のそれよりも更に拘束時間が長いし、欲がないKちゃんはきっと来なくなるだろうと思ったのです。
案の定、3回連続でお休みしたので、これはそろそろ…と思っていたところ、GW直前から3週連続でやってきて「部活は大丈夫なの?」と言っても「大丈夫です。」というのでヘンだなあと思っていたのです。
そうしたらきのうおかあさんからこっそり電話がありました。
「実は2週間前からまったく学校に行けてないんです。入学してひと月も経たないうちに不登校になってしまいました。今はピアノ以外、一切外出していないんです。ピアノだけは行かないと言わないので、一応先生のお耳に入れておきたいと思って。もしイヤじゃなかったら、今後も行かせたいんですけど…」
もちろんイヤなわけがないし、ダメなはずもなく…むしろ大歓迎。
うちのアネにも不登校ぎりぎりになった時期があったので、おかあさんの気持ちもわかるし、生徒自身が来たいと言ってくれるならこんなにうれしいことはありません。
というわけで、その話を聞いて1時間後、いつものようにKちゃんが淡々とやってきました。
いつもとなんら変わらない表情、10年間変わらない静かなレッスン。
練習嫌いの彼女とのソナチネのレッスンは、必ず片手練習から入るのですが、わたしが左手を弾き、彼女が右手を。彼女が左手を弾き、わたしが右手を。言わば連弾のようにむずかしいところをさらいます。
これもずいぶん前からやっていることなので、今では初めての曲であっても、何も言わなくてもぴったりと呼吸を合わせてひとりで弾いているかのように音楽を鳴らすことができるし、どこで引っ掛かるか、どのあたりでテンポが揺れるか、だいたい見当がつくのもいつものこと(笑)
わたしはもちろん何も言わなかったし、彼女も何も言いませんでした。
彼女がどんなことを抱えていて、どんな葛藤を胸に弾いているのかはわかりません。
わたしが支えになろうなんて思うのも何か違う気がします。わかったようなことも言えません。
でも、たとえ週に一度であっても、10年近く毎週重ねた一緒の時間はちゃんとお互いの中にあるのだし、これからも彼女がレッスンを求めてやってくる限り、同じペースでゆっくりと続けられたらいいなぁと思っています。
「相変わらず詰めが甘いよね。だからミスタッチが多いの。もうちょっと練習すれば、飛躍的に上手になるのに…Kちゃんは欲がなさすぎ」と言ったら「あははは」と笑ってました。
やっぱりこれだな。いつも通りで行こう。