ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

2009 7月10日 堂本剛薬師寺ライブ 感想その5 完結編

 わたしがライブに参加した日の翌朝に、なつかしいお友達のひとりからメールをもらいました。
 その方は男前さんとおっしゃる方で、「rosso」ツアーの頃から一方的に素敵な方だなあと思って応援したり共感したりしていた方です。
 彼女は7月10日の夜、わたしたち共通のお友達、桜的日々の桜子さんとご一緒されていて、わたしのことを思い出してくださったそうで、11日の午前に「ちらっとでも会えませんか!?」とメールをくださったのです。
 残念ながらわたしはその日昼過ぎには奈良を発ったのでお会いすることはかなわなかったのですが、メールを何度か交換しているうちに、とてもとても大切なことを思い出しました。
 実はわたしたちは、2007年の「HIGHERイベント」の時、おとなり同士で薬師寺と同じように、つよしさんと東儀さんのコラポを見ていました。そしてそれがわたしたちの出会いだったのです。
 あの日は5時間近い長帳場だったし、歌だけじゃなくてファッションショー的な要素があったり、福山くんの写真のコーナーやオノヨーコさん関係や、それはそれは盛りだくさんなイベント内容だったので、初対面ながらも結構会話を交わしながら見てました。
 その日の思い出がよみがえるとともに、この時に思ったことと、今回薬師寺のライブで思ったことには共通点やつながりがあるように思えることがたくさんあって、お互いにメールし合いながら「感慨深いですね〜」なんて話をしました。
 その後なつかしくなって、自分の日記の過去ログをたどったら、自分が当時書いた文章があって、それを読んでいるうちにこのことについても書きたくなったので、ちょっと引用してみることにしました。
 文章については多少いじってありますが、ほぼ2007年に書いたとおりです。今の文章と区別するために、自分の書いた文章ですが一応引用文扱いしておきます。

このHIGHTERイベントの前に東儀さんと会ったのは堂本兄弟が最初だったそうです。
堂本兄弟では、笙やいろんな楽器を目の前で演奏してもらってENDLICHERI☆ENDLICHERIと何か共鳴してもらえるものがあるんじゃないかと思い、本人が直接筆でお手紙を書いたのだそうです。

 今回、リハーサルのために初めて会場入りした東儀さんは、ご自分のコンサートとの共通点をたくさん見つけたそうです。たとえば東儀さんも、昨年のコンサートで龍のオブジェを舞台に置いていたそうですし、(今年は鳳凰を置いていらっしゃるらしいです。)ステージのコンセプトも似ていると。ふたりは出会って2度目、お互いのライブについては全く知らなかったので、偶然それらが似ていることにびっくりだったとか。

 また、tankにたくさん使われている「紫色」にも感じるところがあったそうで本人に聞いてみたら、ケリーが(聖徳太子が制定したとされる)官位十二階などをイメージし、自分で意図して選んだ色だということを知って、更に驚かれたとか。また、ケリーの楽屋を見て、その場所が「夢殿」に似ているとも思ったそうで、双方の共通点「聖徳太子」には東儀さんもとても縁があるのだよ・・・と。

 東儀家は1300年続く家系で、わかっている一番前の先祖が聖徳太子の参謀として遣えた雅楽師で、それらの偶然からケリーの中に「聖徳太子」の魂を見たように思い、出会うべく運命だったかもしれないと思ったそうです。同じくケリーもまたスピリチュアル関係の方に、なぜかわからないけれど「うしろに聖徳太子が見える」と何度か言われていて、不思議だなあと思っていたとか。

 そんなこんなで、東儀さんの方もこの偶然にかなりご縁を感じられたらしく、彼の方から「今日が(このご縁の)スタートだよ」とおっしゃったことが、とても心に残りました。聖徳太子の参謀だった祖先に習って、『ボクはつよしくんをサポートする運命なのかもね』というようなことも大真面目におっしゃってました。

 そういえば、「奈良遷都1300年のイベントに出たい」と言うケリーに「そういうのは口に出して言っておいたほうがいいよ。言えば現実になるかもしれないから。」と東儀さんがおっしゃる場面もありました。「じゃあ、言っとこ。出ます」と断言するケリー。ご一緒に参加なんていうことになったらどんなに素敵なことでしょう。

 この文章を読んでいただくとわかるように、あの2007年の「HIGHER」イベントの時に、つよしさんと東儀さんはかなり突っ込んだ「今後の話」をされていたのでした。
 当時あちこちのブログでも話題になっていたし、今後どんな風に様々なコラポがなされるのかしら?!なんて近い未来の期待もあったと思いますが、実際にはあれっきり。少なくとも目に見える部分ではこの話に進展があるようには見えませんでした。
 きっといろいろとむずかしいこともあるんだろうなぁと思っていたのですが、ほぼ2年の年月を経て、今年、シングル「空」で初めて形に残る場所でおふたりのコラポがなされ、なんて素敵なコラポレーションなんだ!と思ったことは何度も日記で触れました。
 しかし、だからと言ってそのことを大々的に宣伝するわけでもなく、「剛紫ライブ」で東儀さんと共演がなされることもなく、やっぱりむずかしいのかしら?!と思いかけていた時に、「エコうた」で思いがけずファンにとっても宝物のような音楽と映像が流れ、今回薬師寺ライブの10日には、まるで2年前の続きのような素敵なコラポが行われました。
 あらためて時系列に追ってみると、この一見何の動きもなかったように見える2年間の間に、水面下では多分目に見えないいろいろな努力がなされていたのだろうなあと思います。
 一見唐突にさえ思えたNHK薬師寺でのコラポも、ずっと願ってきたことが叶うための努力を惜しまず続けていたからこそ、チャンスが訪れたとたんに道がぱーっと開けたのかも!?という風に思えてなりませんでした。
 ここのところ、ソロにおけるつよしさんのやり方を見ていると、やりたいこと、やるべきことを推し進めるための努力を惜しまず、人頼みにせずにやれることはどんどん自分でする印象があります。また、ステージの上においても自分で大人数のミュージシャンを束ね、音楽的にもまるでコンダクターのようにバンドやオーディエンスを牽引していたように思いました。
 そんな日々を経て今回の薬師寺ライブでは「いろいろな夢が叶って本当にしあわせだ」と何度も感謝の気持ちを述べる彼を見て、なんて彼が大きく見えること…と感慨深いものがありました。
 今回の薬師寺ライブでは、東儀さんの他にも吉田建さんや屋敷さんなど、ソロではこれまでご一緒したことのない方々も参加されていて、以前に「E☆Eは縁ドリケリー」とつよしさん自身がおっしゃっていたことが実感的に迫ってきました。
 東儀さんとのご縁が番組での出会いだったように、様々な出会いから得たきっかけからさまざまに柔軟にヒントを得て、常にそれが新しいものへとつながっているのだなあということをひしひしと感じさせられた感がありました。
 2007年のイベントの時に、最後に総まとめ的な感想を書いたのですが、もう一度読み直してみて、つよしさんの頭の中にある信念はあの頃からずっと変わらず、だからこそ今回のように話をもらってからとても急な感じでライブが決まったように話していましたが、それでも慌てることなく、こんな素敵なライブを遂行できたのだろうと思いました。
(ちなみにこのときの感想が書いてある日記はこちらの日記の中の★マークから後あたりに書いてあります。
 こんな風にずっと夢を追いかけ、成就するまで粘り強い努力を惜しまず…もしかしてすごい人のファンになったかも!?今後もずっとファンでいられたら、もっと知らない世界へも連れていってもらえるかも!?と思ったので、そのことを最後に書いておきたいと思いました。
 ちなみに2007年の時点で「奈良遷都1300年祭」のことにも触れられていましたが、気がつけば来年に迫っています。この時の言霊がどんな風に作用しているのかも、ぜひぜひ見届けられたらいいなぁ…と夢見ています。
 また、今回のライブで思い出したことがもうひとつあって、それは「環境と欲望 東京環境会議」という本のことです。 

環境と欲望―東京環境会議

環境と欲望―東京環境会議

 これは彼が2007年に飛び入り参加した「AP BANK!」のあとで出された本ですが、この中で小林武史さんとの対談が載っていて、対談の最後に

ENDLICHERI☆ENDLICHERI」プロジェクトを立ち上げたときも、奈良が持っている持っているメッセージを取り入れていて。
奈良には、1300年っていう途方もない歴史をちゃんと守っているというのが、奇跡でもあり、当たり前でもあるみたいな気分があって。
今の時代を生きていくために、奈良はもしかしたらすごいヒントがある場所なのかなと思っています。

と書いてあったことがとても印象的だったのですが、その文章に触れた当時はまだ、つよしさんが一生懸命に語っていたことがあまり理解できていなかった気がします。
奈良もいいけど、東京や関東圏にもいいところはたくさんあるし、わたしたちが住んでいるこの場所ももっと好きになってもらえたらいいのに…なんて思ったこともありましたが、彼が伝えたかったことはそういうことではなかったのだなあと、ここ1年くらいでやっと理解できた気がするのです。
 今回奈良で、しかも歴史ある薬師寺で行われたライブに参加することができ、実際にあの場所で歴史のある建物や、古代からの楽器の数々に触れながら、彼の世界観に触れ、渾身の歌声を存分に堪能したら、この本の中でに彼が言わんとしていたことが少しだけ理屈ではなくて心で理解できたような気がしました。
 それにともない、旅の間に見聞きしたものが、ライブの印象と重なってさらに印象深いものとなりました。
 たとえば夜ちゃんと暗くなることの素敵さ。夜の自然な暗がりや静けさに身をまかせ、旅の夜を友と静かに語らったしながら過ごすしあわせ。広い空がただ自然にそこにあるというだけでなく、やみくもにどこにでも高い建物を建てたりせず、ちゃんと空が見える環境を守ることのすばらしさ。
 かの地に都があった頃からの歴史ある建物や場所を自分の足で歩きながら見て回っていたら、手のこんだおいしいものをたくさん食べたいと思うより、なるべく自然のままのものを、必要な分だけ食べたいとか思う自分に出会えたり…次々と供給される娯楽がなくても、平城宮跡のような静かな場所で空を見たり友とその場の素敵な空気を分かち合うだけでしあわせを感じたり。お金をかけなくてもまだまだ楽しめることはたくさんあるということを実感し、のんびりと静かな休日を過ごすことの素敵さにも気がつけた気がします。
 薬師寺でのライブは野外で自然まかせですから、土砂降りの可能性もあったわけだし、よけいな荷物もたくさん増えました。でもどうしても聴きたい参加したいライブであれば、どんなに条件が悪そうでも喜んで参加する覚悟もできましたし、きっとあの日が土砂降りだったとしても楽しめたと思います。
 また、その読めない野外の様々な条件がまた、ライブの素敵な演出効果のようになって、何が起こってもそれがまた野外ライブの醍醐味なのだということも知りました。
 それから何もかもがきっちり決められていて融通がきかない都会と違って、電車の本数が少なかったり待ち時間が長かったりするものの、一方でライブの間だけ踏切の音を下げてくださるなんていうことは、都心では誰かの一存では絶対に動かせないしありえないことだと思いつつ、なんて素敵な配慮だろうと心から感謝しました。
 どうもいろいろな社会のルールは、そもそもみんなが快適にいられるように、人の手によって作られたもののはずですが、人の数がけた違いに増えてしまってからは、「ルール」そのものが人の手を離れて独り歩きしているかも!?なんてことまでちらっと頭をよぎったりもしました。
 それから、彼をきっかけに奈良を訪れ、旧き良きものを見直すきっかけをもらい、一方で参加した人たちが誰でも読める場所で日記やブログに取り上げることによって、それらの場所にも興味を抱いていつもとは違う層の訪れる人が増えることは、ある意味社会的貢献にもなると思うし、日本人が忘れかけていた「とても大切なもの。ありかた」を思い出すきっかけにもなったのではないかとも思いました。
 もちろんライブそのものが本当にすばらしかったので、これらの感想は後付けと言えば後付けなのですが、なんだか無性にこのことにふれておきたくなったので、書いておくことにしました。
 最後に、「HIGHERイベント」のあの時と今とで、つよしさんのどこが変わり、どこが変わらなかったのか、そんなことをわたしなりに考えてみました。
 多分もっとも変わっていないのが、音楽を創造すること、ライブをすることを心から楽しんでいること。そしてソロでやっていることすべてにおいて、「一度きりの人生なんだからやりたいようにやる」と腹をくくって物事に当たる、そのすざまじいばかりの情熱なんじゃないかと思います。
 今の時代、情熱を持続させることはとてもむずかしいことのように感じることが多いですが、彼を見ていると本当に情熱の塊だなあと思ったりします。先日のスティーヴ氏の日記でもちらっと触れられていましたが、かなり近しい場所で彼を見ている方々にも、同じように映っているのだなあということがわかり、なんだか胸がいっぱいになりました。
 一方で一番変わったなあと思うのが、最近はガンガン地方へも飛ぶようになったこと。あの頃から一か所集中のtankのみではなくて、あちこち回りたいと言ってましたが、今では当然のようにツアーが行われるようになりました。
 大きいハコ小さいハコ、様々取り混ぜてまわってくれるようになって、ファンとしては何倍にも楽しみが増えました。
 それから、ここへきて更に「なんでもありー☆なんでもありー」感が増して、今年だけでも「剛紫」があって「堂本 剛」があって、今度はE☆Eも行われます。
 ライブハウスでも小さめのホールでも大きなアリーナでも、お寺でも…その場所の特性や名義の特徴に沿った何通りものライブをフレキシブルに器用に使い分けているのが本当にすごいなあと思います。何よりどこでやっても、どこで歌っても彼自身が本当に楽しそうで、この人はもはや「音楽界の回遊魚!?」はたまた「音楽の赤い靴を履いてしまった!?」という疑惑がわくくらい、タフに次々と動き続けているのがすごいなあと思います。
 話を元に戻して、薬師寺ライブについて最後にもうひとつ言うとすれば、残念ながら雑誌のレポなどはすべて11日のライブについてのみで、今のところ10日のことについてはあまり触れられていませんが、10日にも確かにカメラがこれでもかと入っていたのですし、彼のことを応援しているファンみんながこの日の映像や音楽に触れることができるように、心から願っています。
 ファンの人たちみんなであの日の感動を分かち合えたらどんなにかいいだろうと…日が経つにつれてさらに切実に思う今日この頃なのです。