ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 足し算していけたらいいけど。

 「ピアノを初めて8ヶ月が経ったところ」という生徒がここのところ慣れてきて、鼻持ちならなことばかり言うようになっています。自分より先に習い始めた友達のことを「この分ならすぐに追い越しちゃうね!」とバカにしたり、一人っ子で両方のおじいちゃん、おばあちゃんを含め、ほしいものは即なんでも買ってもらえる環境にいることが、自分の力のように思い込んでしまっている節があって、前後の子が持っていた「かわいいもの」を必ず翌週には手に入れて、見せて回るのもとっても気になってきていました。
 挙句の果てに、「Yちゃんってちょっとヤダ。」「Yちゃんちは100均のレッスンバックだけど、うちはお母さんとおばあちゃんが1個ずつレッスンバックを買ってくれたから2個もあるんだよ。ブランドのヤツ」なんて言いだしたので、「あのねぇ、誰かと比べてじゃないと自分のことを言えないっておかしいよ。『わたしはお気に入りのバックを2つ持ってるの』でいいじゃないよ!」「どうしてそこで一緒にYちゃんの話を出すの!?」とムッとして言ってしまいました。
 当然のごとく空気が凍り、ぎこちなくなるレッスン。言葉を放ってしまった瞬間から「あ〜あ言い過ぎたかも!」と思いはじめ、益々うまくいきません。後で考えてみれば、Yちゃんにはいつも双子みたいに仲良しなおねえちゃんがいて、Rちゃんはひとりっ子なので「実はうらやましかったんだな。」とわかりますが、そのときは余裕がなくて、うまく彼女の気持ちに沿えなかったの。あ〜あ。次回うまくフォローできるといいけど。
 経験測からすると、こういう風にどちらかが「カチン」とくるようなことを言い出したり、ちょっとしたことでお互いに不愉快な思いをしたりした時が、仲良くなる絶好のチャンスです。
 この間スランプだったSちゃん然り、最初の半年はおかあさんに無理やり習わされて納得がいかず、投げやりだったTくん然り。心を開いてもらえずむずかしい子だったYちゃんのおねえちゃんのFちゃん然り、うぜーよちゃん然り。
 ここでわたしの方が逃げに走って、気になる発言を聞かなかったことにしたり、ものわかりがよい先生を演じてしまうと、一気に事態が悪化することもよ〜くわかっています。一時的にはごまかせてもわだかまりが残ったり、「この先生はどうせ建前だけだな」と判断されて心を一切開いてくれないことにもなりかねません。
 逆に瞬間的湯沸かし器のように沸点が来てしまい、不愉快だということが顔に出たり、注意せずにいられなくて、余計なことを言ったと後悔するくらいの苦い思いの時の方が、その時はすご〜くイヤな思いが残りますが、そこからは「足し算」が始まる気がします。
 「でも、こんないいところもあったんだ!」「でもここは好き」「ああは言ったけど、意外にがんばるね!」とどんどん新しい好きが加わっていき、数ヶ月後にはほとんど例外なく「いい生徒にめぐり合えた」と思うことが多いのです。仲良くなる過程では、怖がらずにより踏み込んだ一歩が必要なこともあるはず。
 異性であれ同姓であれ、人と出会い好きになる過程では「引き算」よりは「足し算」でいくのがいいなあと思います。生徒であれ子ども達であれ、オットであれ友人であれ、作家さんであれブラウン管の向こうのアノ人たちであれ…最初に100点だと思ってしまうと、後は引き算しかないわけだし、そもそも完璧な人なんておもしろくありません(笑)
 最初50点くらいから始まって、どんどん足しながら仲良くなっていく方が好き。
 今日のわたしは虫の居所が悪すぎて、彼女の中のわたしの「お点」をかなり一気に下げてしまったことと思いますが(笑)今後のわたしを見てちょーだい(笑)彼女の中のわたしの評価も、これからちょっとずつ足していってもらえたらうれしいなぁ。
 今日のお互いのちょっとした不愉快は、明日の絆を深めるための大事なステップになるはず…ととりあえず前向きに捉えておくことにします。ハァ〜っ!!がんばれ!Rちゃん。負けるなわたし(笑)