ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 「白線流し〜夢見る頃を過ぎても〜」

 このドラマが初めて世に出たとき、わたしはマレーシアで悪戦苦闘の日々を送っていました。「海外に住んでいるんだよ」というのが恥ずかしいくらい恵まれた環境で、当時、コンドミニアムの入居者は9割くらい日本人だったし、一階のミニマーケットには醤油から弁当用の日本の冷凍食品まで買えるくらいでしたし、なんの文句があろうぞという感じですが、やっぱり日本ではないのです。
 なまりのある英語を理解したり、中国語やマレー語と格闘したり、日本のあちこちからやって来た職種もさまざまな方々との交流。同じ会社から来た奥様方と、うまくつきあって行かなくてはという気負い。子ども同士のトラブルに現地人のおけいこ事の先生たちとのトラブル。ボロボロになっていたのです。
 そんな頃に見たこのドラマに、気がつけばどっぷりはまりこんでしまいました。逃げ込む場所ができたような気がして、余計にはまったのかもしれません。なんとなくセピアっぽいトーン。うまくいかない日常。ぶつかり合う個性、うまく言いたいことが伝えられなくて無口になってしまうこと。大好きなスピッツの「空も飛べるはず」。それから、松本の美しい風景を見ては日本を思ったり・・・。実際のわたしはやしの木にさわさわと渡る風の音を聞いたり、灼熱の太陽の照りつけるブーゲンビリアの植え込みなんかを目の端っこに入れつつ、このドラマを見ていたのでした。
 その後のスペシャルは見たり見なかったりでしたが、最終章である今回のスペシャルは、当時の自分と向き合いつつ、とてもなつかしく見ました。
 実際の物語としては、やっぱり連ドラの時が一番好きだったのですが、「なつかしいなあ」とか、「そうそうこんなこともあったのよね。」とか、私自身が同窓会で近況を聞いているような気持ちでした。「あら、今そんなことになっているの?」なんて。美里と籍を入れていなかった辺りや、彼女の死の場面、そこから最後にプラネタリウムで再会する辺りは、もう少し時間の変化がほしかったです。見ているわたしの方も、気持ちの整理ができませんでした。普段のドラマでは1年後とか時間が飛ぶのはあまり好ましくありませんが、これに限っては、せめて3回忌くらいに時間が飛んでくれてもよかったのに・・と思ったのです。
 それから園子の教え子たちのその後のエピソードを描くくらいなら、もっと主要メンバーのエピソードがいっぱいあったらよかったなあとか。「優介かわいそう」これは毎度思うことですが、今回もやっぱりそう思いました。(気の毒ですが、これは一種のお約束かしらん?いつか彼が幸せになるといいなあなんて、ドラマだっていうのに、彼の未来の幸せに思いを馳せるわたし、笑)
 とはいえ、渉と園子のちっとも変わらないまっすぐさや、7人のメンバーの絆は相変わらずで、松本の風景もやっぱりあまり変わっていなくて、良かったです。余貴美子さんの先生もお元気そうで、郷愁たっぷりにちょっとせつなくなつかしく最後まで楽しむことができました。
 それにしても回想シーンの園子のかわいらしいこと。お嬢様なのですが、ちっとも嫌味がなくて、大好きでした。寡黙な渉もわたしにとっては、長瀬くんのドラマの中で3本の指に入るくらい好きです。(あの頃は、長瀬くんって素もああいう子かと思ってました、笑)思いがけないところで、今年は星やプラネタリウムが鍵を握るドラマを二つ見たわけですが、どちらも好きだったなあと振り返っています。
 連ドラを見ていたあの頃、コンドに松本出身、信州出身の方がたくさんいて、とてもコンプレックスでした。たまたまかもしれませんが、皆さんとても聡明で、世の中に長けている感じがしたのです。あれから10年。気がつけば彼女たちともすっかり仲良くなって、いまだにつながりが続いています。この間、一緒にプラネタリウムを見に行った彼女も松本にゆかりの方の一人です。人間関係は、つくづく日々変化するのだなあと思います。自分の気持ちひとつで、同じ人が同じドラマが全然違う風に見えることもあるらしいです。
 時を経てみてみると、あの頃はちょっと近寄りがたい感じがしていた松本が、昔馴染みの街のようになつかしく思えるから不思議です。