ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 対岸の彼女

対岸の彼女

対岸の彼女

 最初にこの本を手にしてからほぼ1ヶ月。ずいぶん感想をあたためてしまいました。オトートにこの時に書き置きと間違えられたくらい、メモ帳何枚にも感想を書きなぐったあれです。「愛して止まない小説」というよりは、たくさんのことを考えさせられる小説となりました。
 一度さらっと読んだとき、いまひとつ自分がこの物語をどう思ったのかピンと来なくて、珍しくいろいろ検索して、他の方の感想を読みました。いつもなら自分が感想を書く前に人の感想を読むことなどしないのですが。そんなことをすると人の感想に影響を受けてしまいそうな気がするのです。
 しかし皆さんの感想を読んでみると本当に深いのです。しばらくの間ぽか〜んと口を開けていたものの、あまりにわたしがこの物語の表面をなぞったに過ぎなかったかを思い知らされたので、読み直しました。繰り返し読んだ感想は、意外なことに180度変わりました。うまくまとめられるかどうか自信がありませんが、心のままに書いてみます。
 一読してわたしが感じていた違和感は多分わたしがずっと共学しか知らなくて、女の子同士で一緒にトイレに行ったり、グループの中にいたりという女子高っぽい雰囲気が苦手なせいかもしれません。実家が転勤族で転校が多かったせいで、無意識に深いつきあいを避けて、友達とはひたすらその場を楽しくすごすことに専念してきたせいかもしれませんが。
 そんなわけで、登場人物たちの「群れていないと不安」とか「今日いじめていた人が明日は手のひらを返したようにいじめられる」恐怖といっても実感がわかず、あまり感情移入できなかったのです。しかし繰り返し本を繰るうちに、じわじわと共感できることが増えてきました。もしかしたら単に鈍かっただけなのかもしれません。
 物語の中心に据えられているのは「女同士の友情」ですが、この物語の中では「葵とナナコ」「小夜子と葵」という二組の友情が描かれています。前者が過去の物語で、後者は現在進行形です。このふたつは並行して語られるのですが、途中までどうしてふたつの物語が交互に語られるのか戸惑っていました。両方に出てくる「葵」はどうみても同一人物とは思えません。ぜんぜん違うキャラクターに見えます。むしろ「ナナコ」が成長したら今の「葵」になりそうなキャラクターで、誤植?と思うくらい不自然に思えたのです。
 でも読み進めていくと、だんだんに合点がいきます。片方(A)は自分の立ち位置にちっとも満足していないのに漫然と、でも常にびくびくしながら長いものに巻かれている女、もう一方はAから見ればひとりでいることをちっとも怖がらず、すべてから自由で、別世界を運んでくる女B。(「女」であるというのもたいせつのなポイントです)2つの物語はどちらもA的性格の女の目を通して語られますが、Bから見たAもまた、別世界を運んでくる女であり、あこがれの存在であるのです。ないものねだりだったり、隣の芝生は青く見えたりするのでしょう。
別物のようで似ている2つの話。そして途中で唐突にふたつの物語の接点が現れるのです。
 そして気がつけば、「対岸は思いのほか遠くて、そのまま歩き続けても交わることは永久にないけれど、自分が、自分たちが行動を起こして橋を渡りさえすれば、いつだって手を握り合うことはできる」というメッセージを自然に受け取っているのです。
 最近は「負け犬」ブームとも言われ、社会がおもしろがって女を差別化したり分別したりしているような気がしてなりません。バカじゃない?女はふたつになんか分けられないと思ったり、案外自分たちを枠に押し込んでるのは自分たち女じゃないかと思ったりもします。世間的に勝ち組とされる女にだって「負け」だと腐っている人はいくらでもいるし、ずっと独身で結婚の予定がないベテランOLの中にも、ピカピカキラキラ輝いている人はいくらでもいます。同じ主婦同士であるなら、必ず誰とでも意見があって、仲良くなれるなんて思うはずもないし、ふと隣合わせた高校生と意気投合することだってあるかもしれません。
 でもそれでも「立場が違っても、ものの見方が違っても、ひとつだけ共感できるものがあれば、橋を渡って手を取り合うことができる」と思うことができれば、たいがいの壁は乗り越えて行けるのかもしれません。
 わたしについていえば、考え方が全く違うけれど、この先もずっと無二の親友でいられるであろうトモのこと。住む場所が恐ろしく離れても、変わりなく続いている長年の友人たち、日記から始まった年も環境もひとつとして接点のない方たちとの、ある意味とても深くて濃い交流。全部が全部わかりあっているとも、わかりあえるに違いないとも思いませんが、ほんの少しの接点をを大切にたぐり寄せながら、つながってゆく仲間たち。理想でもファンタジーでもなく、そこには簡単な事実があるのみです。
 わたしがものすごく印象に残った言葉をあえてひとつだけ拾うとすると

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない。また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」

という所、ここを選びたいと思います。物語の筋道からちょっと離れたところで場所での小夜子の独白ですが、わたしはこの部分がとても好きです。いっぱい失敗したって、いっぱい哀しい思いをしたって、何歳になったって、怖がらずに出会いに対して心を開いて行きたいです。わたし自身、一度この本を読み終わった時点では、こんなにこの物語のために一生懸命言葉をつむいでいる自分は想像さえできませんでした。多分、女の子女の子した苦さや、執拗なまでに語られる女臭さに拒否反応を持ってしまったのだと思います。
 でも、物語に心を開き始めてみたら、いろいろなことが見えました。お話の深いところまで、手を伸ばして手を伸ばしてやっとやっと手が届いた気がします。