ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 やりきれないこと

 電車事故のニュースを聞いて、たまたま乗り合わせた方々がお気の毒でなりません。飛行機だと一応覚悟を持って乗るし、車でも事故には気をつけなくてはと常々思いますが、一番油断して乗っているのが電車なのかもしれません。いまだ安否がわからない方々のご家族は、依然身も縮む思いをなさっていることでしょう。やりきれないことだなあと思います。亡くなられた方たちのご冥福を心からお祈りしています。
 ところでやりきれないといえば、身近にも本当にやりきれない出来事がありました。先週のニュースであちこち取り上げられていた、先生が自殺された小学校は、ほとんど地元といってもいいところにあるのですが、実はうちのピアノの生徒のひとりが亡くなられた先生のクラスだったのです。先週のレッスンは事件の翌日だったのでもちろんキャンセルでした。
お母様にお話を伺って、小学校は担任の先生とのかかわりが深いし、どれだけショックを受けただろうと思うといてもたってもいられないくらいなのですが、どうしてあげることもできなくて、ただただ心配しています。
 信頼していた大人が突然目の前から消えてしまうということ、しかも、それが事故や病気ではなくて先生自身の意志だったことが子供たちに大きな傷を与えたのではないかと思うと、同じ大人としてとても哀しいです。彼女がこのことで大人不信にならなければいいなあとつくづく思います。明日にはピアノに来ることになっているのですが、どう声を掛けていいものやら、しばらく考えこんでしまいました。
 結局のところ、今はあちこちで事件について聞かれているでしょうから、わたしはいつもと同じ顔で、そのことには触れずにいつものレッスンをしようと決めました。わたしは彼女のまわりの大人のひとりとして、信頼に足りる人と思われているだろうか?と考えるとあまり自信はありません。彼女がわたしのところに来はじめてまだたったの2年です。信頼や絆は長い時間をかけてはぐくんでいくものだと思います。きっと現状ではまだまだ細い絆が一本、頼りなくつながっているくらいかもしれません。週に一度のピアノだけのおつきあいとはいえ、そっとさらっと寄り添いつつ、いつか「信用に足りる大人のひとり」に加えてもらえるように、彼女の「大人観」をこれ以上傷つける愚かな大人にはならないように。いろいろ考えては責任をひしひしと感じています。