ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

友人の子どもが英語教室に通っていて、先生から電話があったのだそうです。「お宅のお子さんは、このまま続けてもちょっと伸びそうもないし、月謝の無駄だから止めた方がいいのでは?」とはっきり言われたそうです。真面目にやってないのかと聞いてみたら、一生懸命やってはいるのだそうなのですが、極端にできないのだそうです。わが子のことでそんなことを言われたら、ものすごく落ち込むだろうな、なんて思いながら聞いていたら友人のすごいこと「先生もサービス業なのに、そんな電話を親にしてくるようでは多分この仕事向いていないんじゃあないですか?どんな子であれ、一生懸命やっている子をじょうずにできないなんて、あなたこそ先生として落ちこぼれ、早く止めた方がいいのはそちらでしょ」と言ってやったそうです。どちらもすごい・・・・と絶句してしまいました。
 塾にせよ、英語にせよ、ピアノにせよ、英才教育のイメージが強すぎる昨今ですが、習い事に通う子のニーズは様々だと思います。うちのオトートは学習塾に行っていますが、それは英才教育のためではなくて、のんびりやで授業だけではなかなか理解できないけれど、時間をかけることを本人も苦にはしないタイプなので塾に行っているのだし、ピアノに通って来ている子の中には、大手の音楽教室でどうしてもダメだった子もいれば、学校の音楽の授業が苦手でイヤでイヤで仕方なくて、わらにもすがる思いでわたしのところに来た子もいます。やる気のある子すべてのために、教室の門戸は開かれるべきだと思うし、「塾や教室に通っているんだから、できて当然でしょ」という外野の声も、はっきり言ってとても迷惑だと思います。
うちの教室には両手で弾けるようになるのに何年もかかった子もいますが、できるようになるまでに、決して諦めなかったその根性には尊敬すら覚えましたし、4年たった今は、ペースはのんびりでも、いつのまにか好きな科目に音楽と書けるようになったのだそうで、その話を聞くとわたしは本当にうれしいです。出来る子がどんどんじょうずになっていく姿を見るのも楽しいですが、じょうずにしてあげられなくて、申し訳ないくらいなのに、決してあきらめず一生懸命練習して来るいじらしい子ども達を応援するのもとってもやりがいのある仕事だと思っています。どうしてうまくいかないんだろう?と教え方の未熟さを痛感して落ち込みながらも、彼らがあきらめないのに、わたしが先にあきらめてどうするの?と励まされることもあるし、その子たちの一曲を仕上げた時のうれしさは格別です。
 友人の先生の話を聞いて最初はとっても腹立たしく思ったけれど、考えているうちにその先生が気の毒にさえ思えて来ました。その先生は今までに教えることの本当の楽しさを知ることがあったのだろうか?と思います。もしかしたら教室側に言わされていたのかもしれませんし、その先生も怒りつつも、今回友人にボロクソに言われてこたえただろうなと思います。
 それにしてもいつもは穏やかな友人がそこまでボロクソに相手をなじるなんて驚きました。子どもがからむと母は強いです。教室をやっている者としては友人のようなお母様と揉めて敵にまわしてしまったら、どんなに大変なことになるのか?とちょっと恐ろしくなったりもしたのです。