ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 花見山

ひとつ前の日記で、福島の花見山について触れたら、折も折。

いつもふぇるまーたを訪れてくださる福島県在住のy.s.さんから、花見山の画像が送られてきました。


彼女、とても忙しかったそうで、しばらくパソコンを開いていないとおっしゃっていたので、多分ふぇるまーたで、かの地について触れたことはご存じないと思われ。


わたしがたまたま地元の桜を見て花見山を思い出し、日記に書いたことは、気持ちのシンクロだったかも?とうれしくなりました。


福島県福島市の花見山にある花見山公園は、ある花卉園芸農家の私有地なのだそうです。

元々養蚕農家だった方が、副業として花を植えたのが始まりで、昭和10年頃から養蚕をやめ、本格的に花の栽培を始めたそうです。

家の前の雑木山を花の山にしようと思い立って15年。

とても美しい山になったので、見せて欲しいと言う方々が増え始めたそうです。

家主の「見たいという方たちと一緒に楽しむのも良いではないか!」という一言で始まったという一般公開。

素敵な話だなぁと思いました。


今では、春の花見シーズンには、多くの観光客や市民が訪れるため、所有者が公園として無料開放しているのだそうです。

私有地なので、宴会はできないそうですが、それもまた素敵なことのようにも思えます。

最近は「花見」というと、ゴミ問題、酔っ払い問題、迷子問題、騒音問題・・・いろいろと残念なことも増えました。


ウォーキング型の花見をする観光地になっているのだそうで、いつか機会があったら行ってみたいです。


それにしても・・・

花見山の画像をいただくたび、毎年毎年、ちゃんと新芽が出て花が咲く、その自然の摂理の素晴らしさに感嘆します。


「うつくしま、福島。」

子どもたちが小学生だった頃、家族で安達太良山登山に行った際、高速道路のあちこちにこの看板がありました。

毎年のように、画像を送っていただくたび、この言葉を思い出します。


震災から6年。

福島のことを思うと、どうしてもやはり原発の事故のことが頭に浮かびます。

あの日を境に、たまたまそこに住んでいたというだけで、たくさんの苦悩を背負わされてしまった方々。

避難を余儀なくされて未だ帰れる見通しがない方々も、先の見えない自主避難をされている方々も、ずっと福島にとどまり、ふるさとを守っている方々も。

どんな選択をした方にとっても、これまでの道のりは想像を絶する苦悩の日々だったことと思います。

この花見山の景色もまた、福島の方々の心を慰め、癒やしてきたのだと思います。


震災直後は心を寄せ、一日も早い復興を祈っていたわたしたちも、月日の経過とともに、いつしか過去のことのように思いがちだけれど。

いまだ、出口が見えない闘いをしている方々のことを忘れないようにしなくては。


この花見山の美しい景色のように、だれもが安心して住んでいた場所に戻れる条件が整って、人々が穏やかに自然と共存する「うつくしま、福島」へと蘇る日が、確実に近づいていますように。

少なくとも十分に傷つき、辛い思いをしてきた方々を、心ない言葉、想像力に欠けた言葉たちが、さらに苦しめるようなことがないように・・・祈らずにはいられません。


いただいた画像をふぇるまーたで公開させていただいてもいいですか?と伺ったら快くOKしてくださったので、貼らせていただきました。

みなさまにもお裾分けです。


y.s.さん、ありがとうございました。

今年の花見山も本当に美しいですね。見せていただけて、うれしかったです。


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