先週九州で、突然大きな地震が起こりました。
ちょうどお風呂から上がったところで、テレビをつけたら「緊急地震速報」の例の警報音が流れて、え?何?と慌てて画面を見たら「九州地方」と言っていました。
あれ?こんな風に全国的に警報のようなものが流れるんだっけ?なんてぼんやりした頭で考えているうちに、あっという間に番組が切り替わり、どのチャンネルに替えても起きたばかりの地震の様子を伝え始め、その震度の大きさに、揺れの映像の恐ろしいことに、ショック状態になって、席を立てなくなりました。
地震は一度きりではなくて、ずいぶん余震を観測していると思ったら、土曜日の未明に来たのこそが本震だったそうで、朝起きたら、テレビがとんでもない被害状況を伝えていて、目を疑いました。
それからもさらに余震は収まらず、震源が少しずつ移動しながらあちこちに被害が拡大していく様子に心底恐怖しました。
こんなに九州から距離があっても、メディアを追っているだけでもこんなに怖く感じるのだから、被災地にいて、避難されていらっしゃるみなさま方、たくさんの余震に見舞われている地区の方々はどんなにかご心痛があることでしょう。
九州地方のみなさま方には、心からお見舞い申し上げます。
まずは一刻も早く、余震が収まりますように。
さらに地震だけではなくて、気象もとてもおかしくて、尋常ではない強い風が吹いたり、大雨が降ったり。
全国的に、いえいえ、世界的にいろいろな場所で天変地異が起きていて、さらに恐怖感に襲われます。
ここ関東では、先週の土曜日の風が半端なくて、工事現場の足場が倒れたり、看板が飛んだり、倒壊したりというニュースもありました。
最近では、台風でもないのに、時々竜巻や強風で、こんな風に被害が生じたりもします。
土曜日、海からもほど近い、千葉の幕張に行ったオトートは立っていられないほどの風で飛ばされて(筋力がないので)転んでしまったと言ってました。
駅から徒歩25分なので、余裕で歩いていくつもりが、不本意ながらタクシーを使ったそう。
悔しそうに話してくれました。
彼がそんな風に身体のことで弱音を吐くことは滅多にないので、よほどの風だったのだと思います。
そんな風にいくつもの悪条件が重なったり、豪雨になったり、お天気も油断がならない今日この頃。
被災地に話を戻すと・・・
今週になってもまだまだ余震が続き、連日、テレビで、新聞で、ネットでのレポートは続き、たくさんの方々の生活が一変してしまっているのを目の当たりにするととても他人事とは思えません。
九州のあの辺りは比較的地震が少ないのでは?という認識があったのですが、もうどこに住んでいたとしても、そんな経験測は通用しない世の中になったのかもしれません。
たまたま今回は熊本や大分が大きな被害を受けましたが、明日は別の場所かもしれないし、わが身かもしれないわけで。
何があっても少しでも冷静でいられるように、覚悟だけはしておこうと思いました。
何かの時はまず真っ先に何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか、備蓄は足りているのか、そして、何かあったときにちゃんと動けるように、常日頃から身体と心の準備をしっかりと整えておこう・・・と思う今日この頃です。
わたしはたまたま月曜日に銀座で友達に会うことになっていたので、一緒にくまもとプラザに足を伸ばしました。
月曜日で「アンテナショップ」は定休日でしたが、募金だけは受け付けていたので、気持ちだけ募金をしてきました。
お店は閉まっているのに、わたしたちだけでなく、ひっきりなしにたくさんの方が訪れて募金をしていて、誰もが他人事じゃなくて「何かできないかな?」と切羽詰った気持ちでいることが伺われました。
今は遠くから心を寄せるくらいしか、できることがありませんが、どうぞこれ以上災害が起きませんように。
地面の活動が落ち着いて、せめて夜、おふとんのあるところで、足を伸ばして安心して眠れるようになりますように。
さて。
ひと月くらい前になりますが、たまたまネットで見つけて紹介しようと思っていた映像を張ります。
本当は別の文章をほぼ8割方書いていたのですが(多分「想像通りの方」の音楽と絡めて書くつもりでした、笑)この日記に張るのがいいような気がしました。
Sly and The Family Stoneの 「Que Sera Que Sera (Whatever Will Be Will Be)」です。
タイトルを見て初めて、Slyもこの歌を歌っているのだなぁと知りました。
そして再生ボタンを押したらいっぺんで虜になりました。
Slyのバージョンはとても自由でとてもやさしい。
知らずに入っていた肩の力がふっとうまく抜ける感じ。
ムリしなくっても大丈夫だよ?とやさしく肩を抱いてくれるような感じ。
そもそもイントロだけで、思わず涙が滲んでくるような・・・夕焼けのようにやさしい音。
途中で入ってくるいろいろな歌声やフェイク、コーラスは、一見無秩序に見えて、誰の声も他の声を邪魔せず、伸びやかで温かい。とてもとても心地いいです。
ふわふわと漂うような味わいのある楽器のフレーズ。
誰も否定せず、誰もてっぺんに立たない、自然に「輪」になって「和」になってそこにいる感じ。
目を閉じて曲からにじみ出る包容力に身を委ねていると、とっても癒されてやさしい気持ちになれるかも。
これ、オススメです。ぜひぜひ聴いてみてくださいね。
ちなみに・・・
この曲が入っているSlyのアルバム「Fresh」は確かハマオカモト氏もオススメのアルバムとここにも書いてあったのを見たのもあって、いろいろと興味を惹かれたので、いずれ手に入れたいと思います。
- アーティスト: スライ& ザ・ファミリー・ストーン
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2015/07/22
- メディア: CD
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元々「ケセラセラ」は大好きな歌でした。
「ケセラセラ」という歌が大好きという話も日記に何度か書いているので、ご存知の方もいらっしゃることと思います。
そもそもは小さい頃、祖母だったか、父だったかが聴いていたのを一緒に聴いたのがこの曲との出会いでした。
当時もとても好きな曲でしたが、しかし、本気でこの曲が心に響いてきたのは、自分が親になって、守らなければならない子ども達ができてからのような気もします。
わたしはわりと自分のことに関してはずぼらで無頓着な方だと自覚していますが、こと、子どもたちのこととなると、そんな風には言っていられない時があります。
本当に切羽詰ったとき、人は「なるようになる」と声に出すことで強くなれるような気がします。
我が家で言えば、オトートの障がいがわかった時。
アネがどうやっても外に出れなくなってしまった時期にもよく「ケ〜セラセラ〜♪」と口ずさんでいました。
こんがらかってしまった人間関係に、お仕事上の八方塞りの、もうどうしていいのかわからない!どうやっても真意が伝わらない・・・なんて時にも、息も絶え絶えに歌うことがあります。
そんなこんなで、今はとっておきの「おまじないソング」のようになっています。
他の言葉に言い換えると「なんくるないさ」も同じような感じかな。
もしくは「明日は明日の風が吹く」とか。
精一杯やれることをやれるだけやったら、今、やれることは何もない!あとは考えてもどうにもならない!開き直って覚悟を決めるしかない!・・・という場面が確かにあるような気がします。
そんな日々を乗り越えるためのサプリメント。
わたしはやっぱり歌に求めてしまう体質らしいです。
というわけで、この素敵なサプリメント、みなさまにもおすそ分けしておきます。
ちなみに・・・
わたしが子どもの頃に聴いていた歌のイメージに近いのは多分このあたり?
併せて貼っておきます。
自分で歌っているときは、このくらいのテンポで口ずさんでいることが多いです。
こちらもまたとても素敵です。
もう枯渇したかも?とあきらめかけた瞬間でも、また懇々と明日への希望が湧いてくるような・・・そんな歌のような気がします。