この一連の日記は堂本剛さんについて、ここのところ温めていたことを書きます。
尚、この記事は「緊急事態宣言」が解けるか解けないか?くらいの時期から温めていたものなので、少し時間軸がずれていて。
もう世の中は少しずつ動き出しているし、若干タイムマシーンに乗ったかのようになっています。
そこのところ、ご了承いただけたらと思います。
ほんとはソロアルバム関連や、サブスク解禁のことなどを真っ先に書こうと思ってたのですが、そちらはまだもう少し時間があるし。
同じ剛さん関連の公式にちゃんと見に行ける動画シリーズの中でも、ただいま光一さんの「家のかたまり」などと共に、絶賛公開中の「Smile up」のことは次のその2で書くとして。
自分の気持ちの鮮度に合わせて、まずはこちらから先に書きます。
(どれが一番重要かという話ではないです!どれも大事です!)
このところ、期間限定でENDRECHERIの公式サイトにたくさんの動画がアップされています。
新しいアルバムからの動画と共に、とても貴重な過去の神社仏閣ライブの映像がアップされています。
一番新しくアップされた東大寺の動画もそれはそれは素晴らしいのですが、ここでは例年行われている京都の平安神宮さんでの動画の方の「命のことづけ」という曲について触れます。
6月30日まで公開されているので、毎年やっているとはいえ、平安神宮は遠くて行けないし、今までこの世界観はのぞいたことがなかったという方も。
この機会によかったら!!
とても幻想的で、建物に当たるレーザーや、照明の数々、風や自然と共に織り成す造形と、そこで行われている音楽。
野外で音楽奉納を行う現場の、厳かな雰囲気だけでもとても素敵です。
そしてその景色の中に溶け込んで、あそこでしか鳴らせない音楽を鳴らし、歌う剛さんはさらにとてもとても素敵です。(言うまでもないですが、笑)
そこまでレインが言うなら言ってみるか!という方は…
ぜひぜひこちらからどうぞ↓
さて。
たまたまファン歴が浅い友人が「命のことづけ」を聴いてとても惹きつけられたと言ったのが始まりで。
何人かの友人たちと、ここしばらく、ずっと「命のことづけ」の話で盛り上がっておりました。
(この先はこの曲について書くので、曲そのものをご存じなければ、動画をご覧になってから読んだ方がわかりやすいかも?)
この曲は、サビ「かならず~♪」から続く歌詞がとても印象的です。
必ず 信じてみせるよ
必ず 越えてみせるよ
という風で。
哀しげで一見儚げな調べですが、意思の強さも感じるような歌声ごと、とても魅力的なので、心を捉えられて、ちっとも放してはくれません。
わたしはこのライブが行われた日、京都で、暗闇の中で何回書くのよ?というくらい
「必ず」「かならず」「必ず!」「か・な・ら・ずーーーっ!!!」
と大きく小さく、何度も何度も書き散らしていて。
さらに「星の子ども」「Star Child」なんて書き殴ったりもしていて(笑)
歌う剛さんの儚さがまるでかぐや姫のよう。
実は剛さんはどこかの争いのない進化したやさしい星の王子で。
星を統べる賢い王になるべく、地球に修行に来ていて。
いつか故郷の星からお迎えが来て、剛さんが平安さんから連れ帰られてしまうのではないか?みたいなことを妄想しながらこの曲を見て聴いていたことを思い出しました。
公式サイトを何度も見ていると、我が家のWi-Fiのせいなのか、何度もくるくるし始めて止まってしまうのが焦れったくなって。
ついにはライブDVD本編を引っ張り出してきてリピートしながら、歌詞を書き写したりしました。
多分10回くらい連続でリピートしたのではないかしら!!
昨今の世の中の流れの中でこの曲を聴くと、この曲を剛さんが、STAY HOMEのこの時期に選んで無料で公開した気持ちがとてもよくわかる気がして。
でもその思いを咀嚼して、友に伝え一緒に語り合うにはあまりにも漠然とした想い過ぎて…
ヒントを探したくて、何度も聴きながらノートに写し取ってみたら。
こんなことが書いてあったのです。
歌詞、そのまんまは載せられないので、英語詞を翻訳するかのように、まずは途中まで意訳で書いてみました。
(ほんとの歌詞は、何度か聴けば全然聞き取れるので、どうぞご自分で聴いてみてくださいね!)
胸が痛くて張り裂けそうだ
どうして世界は「ひとつ」になれないんだろう。
愛があるから、世界はひとつになれず。
夜空は悲しみに満ちている。
(僕は)かならず信じてみせるよ
(僕は)かならず越えてみせるよ。
どうしてか弱くて儚い星、地球では(人々は互いに)傷つけあってしまうのだろう。
哀しみにくれる地球(あなたを…)
(僕は)必ず信じてみせるよ
(僕は)必ず愛してみせるよ
それにしても。
「愛があるから 世界はひとつになれない。」って?
普通に考えると「愛があるから世界は一つになれる」じゃないの?ということで。
そこもかなり引っかかるではありませんか!
もともと愛は美しいものだけれど、度を過ぎれば恐ろしいものにも変化して。
たとえばものすごく卑近な例でいえば、我が子を愛するあまり、愛する人の敵だと思い込んだ相手を憎んだり、批判するという感情もそうなのだろうし。
宗教的な争いや民族紛争だって、出発点は愛なはずなのに。
誰かを守ろうとして、別の誰かに刃を向けたり。
民族の誇りを守るために別の民族を制圧しようとしてみたり。
平和や自由、平等の精神を守るために始まったことが、やがて新しい争いへと発展してしまうことだってある。
愛は人類にとって大きな力にもなりうるけど、ひとつ間違えてコントロールを失うと争いに発展し、いつしか最初の目的などどこへやら、結果的に愛からかけ離れてしまう。
そんなことなのかな?…と思いました。
そして。
そもそも…
「ことづけ」というタイトルがついているからには、誰からか剛さんが?受け取った「ことづけ」で、それをわたしたちへと伝えてくれる歌なのかしら?
とタイトルに思いを馳せました。
その答えはもう少し先の歌詞の中にあります。
この繰り返される「かならず~♪」の歌声がとても印象的なこの曲の中に、実は2回だけ「必ず」ではなくて「叶わず」と歌われているところがあるのです。
韻を踏んでいるわけです。
「叶わず」の後は一度目が「砕けた想いを」で。
二度目の「叶わず」の後に「昇った想いを」となってます。
叶わなかったのは誰?と考えた時、剛さんの歌詞の中では「瞬き」を彷彿とさせるような歌詞だから、これはすでに亡くなった方々のことを指すのかな?と気づきます。
そしてその2行のあとはまた「必ず」に戻り。
「かならず 命の虹をかけてみせるよ」と「かならず 命のことづけを」
と続きます。
想像するに「ことづけ」というのは「最期まで愛をあきらめずに生きていながら、ひとつになることが叶わず昇っていった幾多の魂からの「ことづけ」で。
このライブ「ヒトツ」のブルーレイでは、ライブ以外の場面がたくさん挟まっていて。
その中には震災の爪痕を見に行くシーンや、東北小喜利の一シーンも挟まるから。
「昇って行った魂」は、震災の被害に遭われた方々、津波にあって命を落とされた方々のことも思い描いていたかもしれないとも思いました。
その光景も思い浮かべながら聴いてみると、剛さんが「先人」へ心を寄せているのと同じくらい切実に「地球」にも心を寄せていて。
地球が置かれているぎりぎりの状況をも憂っている気がして。
これ以上、人間が地球を壊したり汚したりしたら、本当に地球がダメになってしまう。これ以上、地球を悲しませたり消耗させてはいけない…
というような、地球に対する愛という感情も浮かんでくる気がします。
その両方があってこの曲なような気もします。
剛さんのこの歌はある意味、決意表明で。
今はかつてないほど地球は汚れ、壊れかけていて。
「先人」が守り育ててきた愛はどんどん失われ、争いの気配はそこここに。
このままじゃいけない。このままでいいはずがない。
彼らが命がけで託した「愛のことづけ」を、受け止め、受け継ぎ、伝えたいという意思の表明なんだなと思いました。
先人たちの、裏切られ、争い、理解をされず苦しんだ経験は、剛さんその人の経験ともどこかリンクして。
それでも人を信じたい、この苦悩の時をなんとか乗り越えたいという切実な想いは、どこか剛さんが歩んできた道や想いとも重なります。
くれぐれも「愛」の使い方を誤ってはいけない。
日本が、そして世界が美しい地球のうえで「ひとつ」になることを決してあきらめてはならない。
先人のそんな切実な「ことづけ」を伝え、自分もまた実行しようという歌。
この歌が入っていた平安神宮ライブのライブDVDのタイトルがまさしく「ヒトツ」だから、その思いを当時、2013年から剛さんは強く持っていたのだなぁとあらためて気づいたというわけです。
これです。
(ブルーレイを通しで見ると、とても味わい深いです。オススメです。)
さて。
この歌の一番好きな箇所。
そこだけは意訳ではなくて、引用させてもらって書こうと思います。
(聞いて書いた文章なので、間違ってたらすみませぬ。)
傷つけ合う 心を忘れるために
誰かが託した 欠片(カケラ)を楽器で鳴らすよ
争うことが やまない雨だとしても
誰かが託した愛を今鳴らすよ
必ず 信じて見せるよ
必ず 命の道を
先人が遺し、託した『想いの欠片』を、剛さんは「楽器で鳴らす」というところが本当に「らしい」表現です。
この「楽器」の中には彼自身の「歌声」も含まれているのだろうと思うし、もちろんギターやベース、鍵盤の演奏もそう。
それがまさしくこの世界で彼がするべきことで、彼にしかできないことなのだろうと想いながら、何度も何度も聴きました。
岩をも通しそうな剛さんの強い愛と想いと。
そして言霊の力。
そして、彼の言う「ひとつ」は決して右向け右でも左向け左でもなく。
自分を殺してまで貫くべく「ひとつ」ではなくて。
自らも否定され、苦しみの中からもがき苦しんだ歴史の中で、それでもあきらめず、強くならざるを得ない苦しみを抱えつつ、持ち続けてきたもの。
それぞれの中に、心の持ち方の自由と、考え方や好みの違いをお互いに認め合いつつ。
誰も否定しないこと、誰とも争わないルールのまん中にいるんだなぁと思うのです。
それは、ここのところのJ webのLove Fighterで日々伝えてくれている気持ちとも寸分も矛盾することなく。
何度でも堂々と、ぶれない想いを発信してるって本当に凄いなぁと思いました。
J webでは「ひとつ」になるための「鍵」は「助け合う心」と触れられていました。
「争うことではなく、助け合うことが叶わないならば、世界は平和にはたどり着けない。」
ほんとうにね。
実にそうだと思うのです。
たとえば、非常事態宣言の中にあっても、働かざるを得ない方々はたくさんいて。
医療関係、介護関係、保育に携わる方々。
スーパーやコンビニで働く方々や。
運輸系や配達の、どんなに怖くても働かざるを得ない人たちや。
明日やも知れぬぎりぎりの生活をせざるを得ない人たちも多くいて。
家にいて、ぎりぎりまで心が弱ってしまった方々も、哀しみに沈んで取り残されたようになっている人たちも…
剛さんはいつだって「誰も置いていかない」という強い気持ちでそこに立っていて。
想像力って大事だな。
共感力って大事だな。
そして、いろいろな人がいること、多方面に心を寄せ、思いを馳せる時間の大切さ。
この間からずっとソロのラジオやSMILE UPの動画で、彼が言い続けていることは、すべてこの7年前からまったくぶれていないではありませんか!!
それってほんとに凄いこと。
折しも気圧の変化が大きいのか、ここのところメニエールを患っているアネも時々めまいや頭痛に悩まされたり。
実際に一時的に聴力がガクっと下がったりして通院を余儀なくされたりしてました。
きっと耳とか三半規管とかに持病がある方々にとっては辛い時期なのだろうなぁと思います。
どうぞ剛さんの大切な両方の耳の不調も一時的なもので、少しでも和らいでいますように。
そうそう。
平安神宮の今公開されている動画の中で、もうひとつ大好きなのがあって。
こちらもとてもいいのでオススメしておこうと思います。
(同じ入り口から見ることができます!)
「優歩」という動画です。
ちなみにこちらはインストで、剛さんは終始ベースを弾いているのですが、とても素敵なので、よかったら併せてごらんいただけたら。
歌声じゃないの?と思われる方もいるかも?ですが、ある意味歌声よりも雄弁で、まるで三味線のようなベースは、近年の高杉の予兆のようでもあり!!
それはそれは心を掴まれた思い出の一曲です。
(ベースが三味線の音みたいという表現は、実は2012年の感想にも書いてました!
高杉後に連想したものではないのが、すごくない?と勝手に自画自賛しとこ、笑)
これについて、つぶやいた自分のツイートを貼っておきます。
>RT 限定公開の「優歩」をリピートしてる。剛さんのベースのモチーフはまるで和楽器の調べ。そこから次々と新しい扉が開くかのようなドラマチックな展開♪
— レイン (@raintalk) 2020年5月23日
暗闇に浮かび上がる平安神宮。
風を可視化するかのような紙垂。
錚々たる面々が心をひとつに合わせ、16を刻み、奏でる音楽の美しさよ♡♡
追記:
実はわたし、この「かならず~♪」に当初からとても魅せられていたらしく、そのタイトルで日記を書いていました。
参考資料として貼っておきます。
2012年の、平安神宮公演のすぐ後に書いた日記。
そして、同じく2012年、もう少し詳しく「命のことづけ」らしき曲の感想を書いたページ。