11月9日の小喜利に参加してきました。
実はチケットは友人たち含め、全滅だったのですが、やさしいお友達に救済していただき、本当にありがたかったです。
久々のひとり参加だったせいか、階段を上がって行きながら、2000年の暮れ、チケットを譲っていただいて、初めて参加したKinKi Kidsのコンサートのことを思い出していました。
あの時は東京ドームの40ゲート。期待に胸をふくらませつつ、この日と同じように黙々と階段を上っていました。
ああ、懐かしいな。あれからもう18年も経つんだ。
そしてあの時と少しも変らぬテンションで、ときめきと共に開演を待っているなんて。ほんと幸せだなぁと思いました。
あの時、18年後にまだまだ彼らを追いかけてる未来なんて想像もしてませんでした(笑)
この人たちを好きになって、わたしの世界も様々な方向に多彩に広がり始め。
たくさんのご縁をもらったし、興味関心のあるジャンルも劇的に増えました。
何より、まったく音楽をしないとわかっているお笑いライブを、こんなにも楽しみにしている自分なんて想像だにできませんでした(笑)
ああ、ほんとに人生ってどう転ぶかわからないから、とてもとてもおもしろい(笑)
3階でしたが、前列のとても見やすい場所だったので、とても集中して楽しむことができました。
京都のレポで「東京初日の天の声はヤバイ??」みたいなニュアンスのことを言ったらしい・・・というのを読んでいて。
どうヤバイんだろう?と気にかかっていました。
この言葉ほどニュアンスがどうにでも受け取れる言葉はありません(笑)
前後の文脈により意味が真逆にもなるし、そういうことも含め、ワクワクしていました(笑)
さらに、いろいろな方が、この人じゃない?あの人じゃない?みたいに想像されるのをちらちら見ていたのですが、そもそもがそこまでお笑いに詳しい方ではないのでまったくわからず(笑)
後で思い出してみたら、結構関西の友人たちの想像が当たっていて、さすが!!と思いましたのことよ。
ちなみに、わたし的に今までで一番思い出深い小喜利は?というと、多分この回。
とてもオーソドックスな、淡々と小喜っていく回で、竹若さんが天の声さんだったのですが、参加された後にツイッターで竹若さんがおっしゃったことを今でも時々思い出します。
堂本剛独演会「小喜利の私」に天の声として参加させて頂きました。
愛に溢れたドンドン進化する素晴らしい空間です。
大喜利も小喜利も丸裸になって自分をさらけ出す気質が大切だと思います。
傷つきやすいし恥ずかしい思いもしますが、そこが核の様な気がします。
そんな剛君が見れる舞台です。
この回で、わたしは本格的に「笑い」というものに対して認識が変わり。
ああ大喜利って、そしてつよしさんが取り組んでいる小喜利も・・・奥深いものなんだなぁと実感したのでした。
KinKi Kidsは関西出身者の二人組グループだから、親和性を考えると関西の方が小喜利に合っているのかも?と思わなくもないですが。
わたしは、実は東京でこそ、もっと小喜利をやった方がいいんじゃないの?と思ったりもしていて。
「笑い」って緊張した心をほぐしたり、人と人を繋いだり、和ませたりするものだから。
そして日本中から人が集まってくる今の首都東京という場所は、他のどこの地域にも増して混沌としていて。
誰もが疲弊していて、周り中に高い壁があるように感じている人が多い気がするし。
そんな中で人は刹那的になりがちだし、電車の中やたくさん人が集まるところは、どこもとんでもなく殺伐としてて・・・
世知辛いなぁと思うことが多いです。
もちろんよく見れば、そこにもちゃんと元々そこで暮らしてきた人々、外から入ってきても、溶け込んで暮らしている方々の地に足がついた普通の人の暮らしがあるのですが。
一見するとそういうのが見え辛く、表層部分ばかりがクローズアップされて、さらに多くの普通の人がストレスを溜めていく。
そういう重苦しい空気をふわっと救えるのは意外とお笑いかもしれない・・・というのを最近とても切実に思うのです。
たとえば関西方面の友人たちが読んだら、いまさら何を言う?って感じかもですが、普通に関東に住んでいると、わりと笑う機会って少ないかも?と思うのです。
時間の流れが速く、四角四面なやりとりばかりが目についたり。
余裕がない中で、笑いの入る隙間なんてあるんだろうか?という気になってきます。
でも本当はきっと誰もがもっと余裕が欲しいし、リラックスしたいし、笑いたいのだと思うのです。
「人は正しいところよりも、楽しいところに集まる」というのを流し見していたTwitterで読んだのですが、ほんとだなぁ。
そんなことを考えると、ますます首都東京にこそ、もっともっと笑いが必要なんじゃないかと思えてきます。
おっと、前置きがどんどん長くなってる(いつものこと~笑)
さて。
今回の小喜利の話に戻って。
わたしが目覚めた?(笑)竹若さんの回と今回の小喜利はまた、全然趣が違いました。
でも今回の小喜利もまた、唯一無二のおもしろさで。
またひとつ教えられたような気になりました。
そして、とっても個人的な感想ですが、小喜利ってどこか、わたしが毎日やっているピアノのレッスンとも似ていると思いました。
後半の東京のレポだけ読んでも、天の声をされた方は毎回変わり。
どの回のレポを読んでもすごくおもしろくて、他の日と似た日がありません。
わたしのレッスンでも、毎日、いろいろな進度のいろいろな子がやってきて、相手のコンディションもその時々で違っていて。
同じ「ピアノを弾きたい」という目的で集まってくる子たちも、一人一人、得意分野も違えば、わたしとの距離感もさまざまです。
そんな状況では、その日相手に会ってみるまでは、どういう展開になるか全く予想がつかないので、ある意味準備のしようがないことも多いし。
どんな状況がきても、相手に「おもしろかった!」と思って帰ってもらうために全力を尽くすわけで。
瞬発力や粘り強さや機転や・・・いろんなものが必要となるのです。
小喜利もどこかそれと似ていて、気がつけばちょっとそんなつよしさんの姿勢を、わたしは時としてお手本にさせてもらっていることもあるのに気がつきました。
まずは一緒に仕事をする相手をよく見る(知ろうとする)こと。
これは、つよしさんのとても得意とするところなんじゃないかな。
いつも彼は相方のことも、仕事仲間のことも、とてもよく見ていて。
自分だけが素敵に見えればいいというスタンスとは無縁の人。
ライブでもドラマやバラエティーの現場でも、周りの人の「素敵」を上手に引き出しつつ、自分もぴかぴかと輝くのがとても上手です。
時として相手の土俵に出向いていって、懐に入ってみたり。
ある時はこちらに引き寄せたり。
いろんな工夫をしながら近づいていって。
相手の緊張やちょっとしたピンチには、上手に「笑い」を放り込んで和ませる。
結果、一緒にやる相手によって、まったく違うその日だけの色が出て。
つよしさんのことをもっと好きになるのと同時に、共演者の方も好きになり、その人にも興味を持ち、もっと知ってみたくなる。
その日によって、どう転がっていくかわからないところもまた、とんでもなくスリリングで楽しいのですよね。
今年の小喜利を見ていて、どの日も一度きり、一期一会なのだなぁと、とても味わい深くそう思いました。
というわけで・・・
本当は今回はこの感想でおしまいくらいでもいいかな?と思っていたのですが、周りに参加が叶わなかった友人があまりにもたくさんいて。
いつもみたいに「見てきたような気持ちになりたいから」書いてね!とリクエストをいただいたのです。
すっごくへたくそな文章なのに、そんな気持ちになってくださる方がいようとは!なんてしあわせなことでしょう。
とはいえ、レポをするのはとてもムリなので、本当にわたしの目を通った感想ですが、やっぱり書いておこうかなと思いました。
次のエントリーからちょこちょこのんびり書いて行こうと思います。