ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

堂本剛 東大寺LIVE2018 9月15日 その3

一昨日の夜、オットと晩酌してて。

かなり酔っぱらっていたオットが何やら本音っぽいことを言い出しました。

こういう時って、ものすご~く苦言になりそうで、怖っ!!と身構えたら・・・

全然違ってて。

本当はもっとどこまでも好きなライブとか、追いかけて行きたいだろうに、かなり我慢してるんでしょ?家族のために申し訳ない・・・

みたいなことを言うので心底びっくりしました。

そんな風に思ってたのか!!いやいやいや。

実はむしろ自分的には今年は日程がたまたま仕事を動かしやすいところに集中してて。もちろん全部には程遠いけど、行きすぎなくらい行けたし。大満足。

むしろ行きすぎなので、申し訳ないと思ってたくらいで。

現状くらいが、わたしの身の丈に合った、ちょうどいいころ加減。理解がある家族で、本当にありがたいと思ってるよ~みたいな、ちょっとマジな話になって。

まあ、そんな話だからもちろん酔ってないとできないのだけれど(笑)

仰天したのはその続き。

今回、東大寺のライブのことをやけに聞いてくるなぁ。そんなに気を遣ってわたしの話を聞こうとしなくてもいいのに・・・なんて思ってたら。

「よし!決めた!来年があったら、オレも平安神宮のライブに行く!!」

という宣言が!!(笑)

ええーーーーっ!?

これには心底びっくりでしたよ。

どうやら本気で奉納ライブというものに心惹かれていた様子だったのでありました!!

さらに、その足で階下のギターを片手に、酔っぱらいは本気の弾き語りを始め(笑)

ああ、本当につよしさんライブの話が琴線に触れたのだなぁとわかりました(笑)

考えてみれば、SONGSも楽しみにしてくれてるようだし、わたしが見たり聴いたりしているものは、ほとんど一緒に見聞きしてるし。

実は彼がソロでやっている音楽は、オットくらいの年代の人たちがばっちりはまる系だと思ってたのも確かで。

いつかチケットが巡ってきたら、奉納ライブだけじゃなく、普通のライブにも、一緒に行けたらいいなぁなんて、夢がまた一つ増えました。

さて。

続きです。これがラスト。

どこからか鐘の音がしてきたところまででした。

☆大仏さまとセッション

そんなひそやかな鐘の音の余韻もさめやらぬ中。

最初、つよしさんは、キーボードの前に座り。

鳴らし始めた音楽は、まるでアジアのガムランのようでした。

鍵盤楽器だけど、木琴とグロッケンシュピールの間のようなサスティンのかかった音。

鳴らしている音階は、和でもなくかといって西洋のものでもなく。やっぱりイメージはガムランで、インドネシアとかそっち系の香り。アジアな感じでした。

そんな音が、奈良で鳴っていてもまったく違和感がないのはなぜだろう?と思ったのですが。

一つには、ガムランが似合う場所、たとえばバリ島と奈良って、意外と感覚的に近いなぁと思ったのです。

神さまと人の距離が近いところ。日々、朝に夕なに、誰もが普通に手を合わせる習慣。

歴史ある建物や八百万の神々を大切にしていて、ヘンに近代化に迎合してないところ・・・

ね!ね!似てる。ちょっと発見でした。どっちも好きなはずだわ(笑)

さらに、もっとちゃんと音楽的な話。

和の音階とガムランの共通点を考えたら五音音階かな?と思いました。

そして、つよしさんがステージで鍵盤を弾き始めた頃。

「キーボードの『ここ』と『ここ』を触らなければ大丈夫!おかしな音にはならない」というような話をしたのを覚えていて。

そっか!まさしくそれぞ五音音階だったのかも?と思い出しました。

(ギターでは、ペンタトニックスケールって言うのが五音音階のこと?)

気持ちよく聴いていたら、いつしかひそやかにそのガムランっぽい音に被るように、読経が聞こえてきて、仰天しました。

最初聴き間違い?と思ったのですが、読経はだんだんに大きくなっていきます。

一人の声ではなくて、斉唱。そうか、読経というよりも声明?

その声は仏教のお経なのに、少し節のあるグレゴリオ聖歌のようにも聴こえる不思議。

きっと想像しているよりも、ずっとこれらの宗教音楽系は、形は違えど、境目は薄いのかもしれません。

読経とつよしさんのキーボードと、その上にコーラスやらつよしさんのフェイクのような歌声やら、バンドの音やらが、だんだんに重なっていって、創り出される音楽は、とても幻想的でドラマチック。鳥肌ものでした。

そういえば昔、いつかこういうコラボをしてみたいと言っていたことを思い出し。

またひとつ夢が叶ったね!よかった~と心の中でつよしさんに語りかけてました(笑)

時々赤い照明に照らされた大仏さまがモニターに映ったりもして。

ちょっと怖い!畏れのような感情も浮かびます。

(ちょっとだけ映画「ガンツ」の東博のシーンを思い出したことは内緒!笑)

やがて。

モニターにお堂の中にいらっしゃる4人のお坊さんたちが映し出され、お坊さんたちの手には法螺貝が。

うわぁスゴイ。すごすぎる。

4人が鳴らす法螺貝の息の長い音(音楽的に言うと相当なロングトーンな感じでした!)に混ざって、今度は近いところから鳴らされているであろう、鐘の音たち。

後で調べたら、山伏は山に入る時に法螺貝を吹いて「これから神さまのところに入れていただきます!」というご挨拶をするのが流儀だそうです。

また結界を張るという意味もあれば、これから神さまの説法が始まりますという合図でもあるのだとか。

それを知ってからあのタイミングでお坊さまたちが吹いていらした法螺貝を思い出すと、とてもなるほどと思いました。

というのも、直後につよしさんが白いギターを持って、お堂の中に入っていく姿が映し出されたからです。

大仏さんに、これからこの若者が入りますと、お坊さまたちから伝えられ。

張られた結界の中につよしさんが入っていく。

しばらく法螺貝と一緒にギターを弾いていて?(だったかな?ここ、記憶が薄いです)法螺貝のお坊さまたちは、いつの間にかお堂を去っていらして。

気がつけば、つよしさんだけがお堂に残り、大仏さまを見上げて、ステージにいるバンドの皆さまがたと共に、ひたすらにエレキギターをかき鳴らしていました。

その姿は祈りを捧げているようでも、人間代表として、大仏さまと対話をしているようでもあって。

とてつもなく大きな大仏さまを前に、まっすぐな瞳で、一心にギターを弾く姿には、とても心奪われました。

その間も、お堂の外のステージでは魅惑のセッションが続いていて、あっちを見たり、こっちの音に注目したり、目は二つしたないから、とても忙しいです。

余談ですが、時々モニターの中で、ケーブルをさばくスタッフさんや、這いつくばるようにして、カメラを構えるスタッフさんなども見切れていて。

臨場感がある絵を撮るために、スタッフさんたちの技もまた、結集されているのだろうなぁと思わされました。

しばらくお堂の中でひたすらに大仏さまと対峙していたつよしさんが、ゆっくりとステージに戻ってくると、今度はソロ回し。セッションタイムの始まりです。

今回は最初ゆったりのグルーヴで。一人一人、十分な小節がとってありました。

印象的だったところだけ、少しだけ挙げると。

最初の方では、太さんのベースの音。

Endrecheriには魅惑のベースを弾かれる方がたくさんいらっしゃいますが、太さんの音も、他の誰とも違う印象で。

一音一音、音の粒が立っていて、指ではじくたび、磨かれた珠のような音符が次々と転がり落ちるのが見えるような、とても魅惑的なソロでした。

その後の、十川さんの渾身のソロ。

ここでもまた、とても心奪われました。

十川さんはクラシックの一節みたいなソロもかっちりと弾かれるし、ジャジーにも、ポップスっぽくも・・・どんな風にも自在に弾けて、しかも指の運びとか、手の形とか、とても美しく。

確かな基礎に裏打ちされた技を次々と繰り出されるので、いつも安心して聴いていられるし、心憎いテクニックの連続に唸らされることが多いです。

今回もまた渾身のソロで、末端のピアノ弾きの一人として、ただただひれ伏しつつ見てました(笑)

あと、メモに恵子さんとオリビアさんと書いてあって。

この方たちの二重唱が本当に素晴らしかったです。

恵子さんはシャーマンのようでも、万物の母・・・みたいな感じもあって。

神秘的でどこか郷愁を誘う感じ。

奄美大島っぽい独特なメロディーに近い感じもしたり。

宗教は全然違うけど、グレゴリオ聖歌風にも聴こえて。

ストイックな感じにも、ゆらゆらと母の腕に抱かれてまどろみたくなるような感じもして。

とても不思議でした。

そして、そんな歌声は、奈良の東大寺という場所にジャストフィットなのも不思議。

その声にぴったりと寄り添い、まるで常日頃からデュオとして活躍しているのでは?というくらい、これまたとてもやわらかく揺れるようなおだやかな声を出すオリビアさん。

そもそもこの方のイメージとしては、ゴスペルっぽい、力強くてリズムにたけたイメージだったのですが、こういう声も出せて、こういうやわらかな表現もとても上手な方なんだなと、うっとりしながら聴いていました。

その辺りからだったか、他の方を経由していたかは覚えていないのですが、スティーヴさんと、Duttchさんの魅惑の掛け合いみたいなのがあって。

その後、スティーヴさんだけが太鼓を持って消えて行ったと思ったら、またもやモニターに映し出されて、スティーヴさんが向かった先は大仏さまのいらっしゃるお堂で。

彼もまた、一人、大仏さまの前で音を鳴らしてらっしゃいました。

お水取りとか、東大寺にもご縁が深い方だから、特別だったのでしょうかね。

その後、とても印象的だったのが、SASUKEさんのソロのどこかの時。

最初、ゆったりとしたグルーヴで、おだやかに豊かな音を鳴らしていたら…

途中で斜め前にいたつよしさんが、突然SASUKEさんに向かって、上半身を大きくゆすって、何事かをアピール。

それを合図に、SASUKEさんの音が、そしてバンド全体の音も、ドラマチックに変わったのです。

なんの違和感もなく、初めから決まっていたかのようにBPMが自然と駆け登り、音そのものも力強くクレッシェンド。

力強くて、トロンボーンがめちゃくちゃ鳴っていてびりびりくるほど素敵でした。

その一連の音の変化で、ソリストはもちろん、バンド全員がコンダクターつよしさんをちゃんと見ていて。

彼の意のままに音楽が動かされるのを目撃できたのは、すごい収穫。

今まで「そうなんだろうな」と思っていたことが、ほんとうだったとわかりました。

ここ、鳥肌もののポイントの一つでした。

竹内くんやタイジさんのギターが、大きなグルーヴの中で自由自在に跳ね回り。

かわ島さんがいつも通りマイペースで(彼のそういうパフォーマンスを見ると、なぜかとても安心します。)ジャジーでアダルトな音を鳴らし。

Gakushiさんがボイパを駆使した、ちょっと宇宙的な天才的な音を鳴らし。

だんだんに音が早くなり、収束に向かってる?と思い始めた頃、リフターが上がり始め、つよしさんがだんだんに上がっていくのが見えました。

ああ、そういえば(今年のではないけれど)一昨年、リフターで上がってギターを弾くところ、平安さんでわたしも見れたんだった!ふたたびのリフター!!なんて思っていたら・・・

それどころじゃない!!

さらに、どんどんどんどん上がっていくリフター。

もしやこれは、ジャニーズ界隈で有名な光剛山ではありませんか!?!

ひゃーっ!!

高い!高すぎる!!どこまで上げるの?とびっくりしながら見ていたら、ついぞ大仏さまの目線のほんの少し下くらいまで。

つよしさん、さぞかし怖いだろうなぁなんて思いながら見ていたのですが、もう音楽の世界にどっぷりと入っちゃってるのか、さほど怖そうにも見えず。

途中で目をつぶったりもして、あれっ?余裕?

ひたむきにガンガン弾いてました。

大仏殿では下から見上げながら弾き、ここでは、小窓からのぞく大仏様の目の高さまで上がってギターを弾く。

まるでギターがつよしさんと大仏さまの共通言語のようで、この一連の流れの中で、二人(?)だけにわかる言葉で語りかけたり、実は大仏さまに、言葉を返してもらってるんじゃないか?とさえ思えました。

 

最後のところで、リフターから降りてきて・・・

拍手。

きっとこれで終わりだなぁという空気が流れ始めた頃。

不意に、十川さんが、その場の空気を一新する、全然違う音を鳴らし始めます。

少し晴れやかできらびやかなメロディー。

一旦止んで、今度はエイトビートのシンプルな、てくてく歩くくらいのリズム。

シンプルでピースフルな前奏が始まって・・・

つよしさんが、出て来て歌い始めたのはなんと・・・街だったのでありました。

 例によってまったく想像ができませんでした。

 

☆街

この曲だとわかった瞬間、会場が一瞬、声なき叫び声で(笑)とんでもなく湧いたのが肌で感じられて。

静かにざわざわして(表現がおかしいけど、そんな感じだったの!)。

あっという間に、歌声をちゃんと聴くべく、水を打ったように静かになりました。

「僕が~♪」の第一声で、すでに涙している方々もいました。

ご本人は、この曲を最後に持ってくるのは、とても個人的な曲だし、自分のわがままじゃないだろうか?と心配していたようですが、いえいえ。

最後の曲くらい、ご自分と奈良を繋ぐ、奈良人としての1曲を歌い奏でてもいいのではないの?と誰もが思っていたと思います。

スタッフさんにも勧めていただき、歌うことにしたそうでした。

後々、MCでこの歌を歌うために、袖から出てきた時、それと同じ景色をかつて夢で見たことを思い出したと語ってました。

きっとこの日、この曲を歌うことも、大仏さまのお導きだったということなのでしょうね。

多分、そこにいるすべての人。バンドの方々やファンはもちろん、東大寺のお坊さんたちも。

誰もがつよしさんの歩んできた道を知っていて。

華々しい過去も、突然に襲ってきた病に苦しんだ過去や、現在進行形で闘っている耳のことも・・・

誰もが知っている。公に知られているということで。

それって「スター」という定義のうえでは、間違いなくスゴイことだけど。

とんでもなく名誉なことでもあるだろうけれど。

ご本人にとってはとんでもなく窮屈で、背負っているものがあまりも重すぎて、辛い時、逃げだしたい時も多々あるだろうなぁとしみじみと。

奈良生まれの、まだまだローティーンの子どもだった彼が、たった一人東京へ出て来て、ここまで歩んできた道のりの険しさを思いました。

その彼が、茨の道を、傷だらけになりながらも、まっすぐに歩いてここ「奈良」の世界遺産でライブに呼ばれるまでになったわけで。

それは本当に本当にスゴイこと。

だからといって、今の身体の状況で、彼がただただ幸せいっぱいで音楽をしているわけではないこともまた、誰もが知っていて。

多分その瞬間、誰もがつよしさんに心を寄せて聴いていたんじゃないかと思うのです。

それはまったく他人事な話などではなくて。

つよしさんの気持ちになって聴いた歌声。

誰もが一緒に歯を食いしばり、主人公たる「彼」に心を寄せ過ぎて苦しくなりながら、聴いていたように思いました。

そんな中、つよしさんの歌声は、最初の方で低音が少し揺れていて。

美声でしたけど、ちょっと不安定で。

後で思えば、初めからすでにいろんな意味で万感の思いがこみ上げていたのだろうなぁと思うのです。

2番からは確かバンドのみなさまも演奏に入り。

大さびの前まできて

「このカラダ・・・」と歌い出したところで、ついに涙になって、つよしさんは胸を詰まらせて歌えなくなってしまいました。

演奏だけが、訥々と流れてゆき・・・

主たる歌声はないものの、コーラスも楽器の音も、そのまんま演奏されて。

一緒に痛みに耐えるような顔で、でも一音も漏らすまいくらいの勢いで耳を傾けている方々。

号泣している方々。

小さくつよしさんの代わりに歌詞を歌っている方。

拍手で応援しているみなさん。

反応はさまざまだけど、誰もが温かく、包む込むようなムードだったと思います。

わたしは歌われなかったからこそ・・・なのか、この部分の歌詞の中身がさらに心に迫ってきて、心の中で噛みしめるように歌いながら聴いてました。

このカラダまだ行けるさ

ゲームはまだ終わっちゃいないさ

愛を見失ってしまう時代さ

自分を守り生きていく時代だ

何かを守る為に

愛を伏せるなんて不細工だ。

そんなに自分を無理やり奮い立たせなくてもいいよ!そのまんまの自分で、ゆっくりで・・・という気持ちと。

それでもどうしても今、ここに立ちたいと・・・覚悟を決めて立っている彼の、尊い尊い想いに心震える気持ちと。

少しでも心が軽くなりますようにと祈るような気持ちと。

いろいろがごちゃまぜになりつつ聴いてました。

そして。

夏直前に、友人たちとした会話を思い出しました。

「誰が何を言ったって、今のつよしさんにはできることとできないことがあるのだし。

それはファンだってみんな重々承知していて、誰も決して無理は求めてないよね。

一番大事なのは、彼自身の身体や心で。

彼にとっても大事だろうけど、ファンの一人一人にとっても、本当に宝物だと思っているから。

つよしさんが、自分のペースで、今やれると思うことをやってもらえたら、それがきっと最善の方法って思うよ。

その結果、今のつよしさんがたとえ「これは不完全だった」と思ったとしても。

ファンにとっては、その瞬間瞬間が、今だけしか見られないもので、大切で最高の愛おしい瞬間だし。

逆に彼自身が強く望んで決めたことならば、たとえどういう結論でも、彼にもきっと得るものはあったと・・・素直に信じて受け止めたい。

なんて・・・結構真剣に言い合い、頷き合ったあの日。

この日のつよしさんにも、あの時の会話を捧げたいです。

何より、街という楽曲は、あまりにもつよしさんの人生そのもので。

大仏さまに抱かれるように歌っているうちに、素直で奈良にいた頃、少年時代のまんまの、純で無垢なつよし少年が表に出てきたんだろうな。

あの場で流した涙が、少しでもカタルシスになって、明日のつよしさんが少しでも心軽く生きられたらいいなと思いました。

これまでもこの曲が大好きだったけど、きっとここで歌われた街のことを、わたしはきっと一生忘れないだろうと思います。

なんとか少し持ち直しつつ、歌の部分が終わって、アウトロで、つよしさんはギターを弾きました。

この音がとても力強くて、万感の想いが伝わって。

とてもとても雄弁に感じました。

たとえ、思いがこみ上げて言葉にならなくても、ギターでも、歌声と同じように、ちゃんとその熱い思いを届けられる。

鍵盤だってベースでだって伝えられるし、仲間たちに向かい、指一本振り上げるだけで、意味を持って身体を揺らすだけで、彼の表現になる。

今年一年のさまざまなライブ活動を見ていて、闘病中という、相当なハンディを持ちつつも、たくさんの手札を持って、あらゆるやり方で今できる最高の音楽表現をするつよしさんが、とても頼もしく思えました。

ああ、本当に凄い人だなあ。

その才能は、細々と音楽を勉強してゆくほどに、稀有なレベル、こんな人はなかなか出て来ないぞ!と痛感するばかりだし。

年々歳々、すごいぞ!のレベルはさらに更新されていくばかりなので。

わたしは出逢った頃から彼の年とかキャリアとか所属事務所とか音楽ジャンルとか、そんなことはどうでもよくて。

これからも、やりたいことを彼の意のままにやっていけばいいんじゃないかと思ってます。

なので、よもやおかあさん目線や、上から目線になることもないのだと思います。

同じ時代に生まれて、ほんとよかった。

これからもこの人がどんな風に音楽と関わり、どんな作品を生み出すのか、見届けて行けたらいいなぁ。

全部の歌が終わった後。つよしさんは、その場にいたみんなに声を掛けて、合同参拝をしました。

大切な方や自分のふるさと、そして日本を思って大仏さまに手を合わせてくださいという言葉が沁みました。 

 最後の最後、お寺の方々や、奈良のみなさん。スタッフさんたち、仲間や観客席にも感謝を述べ、お辞儀をして。

平安神宮の後もよく言うお話。

この辺は静かだから、近隣の迷惑にならないように。

真っ暗だから気をつけて帰ってね!というような話をして。

笑顔で手を振って、大仏殿の方へとはけようとしたら。

なぜか最後の最後まできて、小さな段差に、小学生男子みたいにけつまずいて、よろけながらはけていくつよしさんが、超絶キュートだったのでありました。

失礼ながら、なんてかわいい@@@@

はけていく様子は、その後もモニターにずっと映し出されていて。

大仏殿の中へと続き・・・つよしさんが大仏さまの前まで行ったところで、不意に立ち止まり。

長いこと手を合わせている姿をそのまんまカメラが追ってくださってました。

祈っている姿が映った途端、会場もまた、水を打ったように静かになって、客席の7千もの方々も、静かに祈りを捧げていたと思います。

つよしさんが祈っている姿は、とても凛として美しかったです。

合同参拝から、つよしさんが履けるまでの間、長いMCがありました。

あちこちですでにたくさんのレポが出ているので、あえてここでは触れません。

(というか、一旦書いたのですが、全部消えちゃって。ここまで本編を修復したところで力尽きました。根性なし!笑)

そもそもふぇるまーたには、誰もMCレポは期待してないだろうということで。

奈良の地で、しかも世界遺産東大寺の大仏さまの前で、今のつよしさんの素直な気持ちがたくさん聞けて本当によかったです。

いつだってうそ偽りのない、まんまの彼が好きだし、これからも、あまり考え過ぎず、彼の関わるあちこちの世界ひっくるめて、おだやかに応援していきたいです。

これからのつよしさんの人生に、たくさんのしあわせが待っていますように!!

と願いつつ。

ライブ後の、友たちとの久しぶりの語らいにも期待を弾ませつつ(笑)

東大寺を後にしました。

f:id:rainfall:20180925095257j:plain

最後に・・・

この画像は、友人のD嬢の手なる、会場のお月さま。

この月をつよしさんも見たかしら。

ずっと雨が降ったりやんだりの一日で、まさか月が拝めるとは思っていなかったので、本当にしあわせなことだと思いました。

f:id:rainfall:20180915183957j:plain

そしてこれは宴の後・・・という感じの、終了後のステージとお堂を撮った画像。

f:id:rainfall:20180915214907j:plain

そしてぞろぞろと余韻に浸りつつ、中門から出てゆくところ。

f:id:rainfall:20180925095813j:plain

大仏さま、東大寺のみなさま、そして奈良!!!

貴重な機会を、本当にありがとうございました。

そして、こんなに長々としたものを、読んでくださった方々、わざわざメッセージをくださった方々にも心からの感謝を!!