ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

プロの技 そして 最近読んだ本

ハリーポッターのスネイプ先生役の役者さん、アラン・リックマンさんが亡くなられたと聞き、他の作品での彼はまったく知らないながら、とてもさみしい気持ちになりました。

スネイプ先生は、あの長い長い小説の最後まで読むと、ぜ〜んぜん印象が変わります。
実は彼、芯のところは本当に純粋で自己犠牲の人だったのです。
ダンブルドア校長の命を受けて、ヴォルデモート陣営の中に深く入り込み、スパイとなり、永きに渡りずっとハリーたちや魔法界を守っていました。

とはいうものの、そのことは最後の最後まで明かされず、表面的にはほんとにイヤなヤツで、何を考えているかさっぱりわからなくて。
そして実際その感情は若い頃からとんでもなくこんがらかって、ひねくれねじれてフクザツで。

アランさんはそんな人を好演されていたなぁと思い出します。

それにしても69歳とのこと。まだまだお若いのになぁ。ご冥福をお祈りしたいと思います。


さて。


今週のできごとを。

火曜日、目が覚めたら雪が舞っていて・・・呆然と立ち尽くしました・・・(笑)
ありゃりゃ、降るって言ってましたっけ?

「どうする?」とオットに聞いたら「やめとこ!」とあっさり。
というわけで、山行きは延期になりました。

前日までがウソのように悪天候だったし、きっと病院はすいているに違いないと思ったので、ここぞとばかり、成人病系の薬をもらいに近所の病院へ。
ここにはふた月に一度、薬をもらいに行くことになっているのですが、このシーズンは風邪も流行るし、体調不良のお年寄りや小さい子も多いし、たいがいものすご〜く混んでます。

ところが・・・天候を見てちょっと頭を使って行ったつもりが、これは誰もが思うことだったみたいで(笑)・・・なんと病院は激混み!!(笑)

あれれれれ?

受付が開いて30分後には行ったのに、整理番号はすでに42番でありました。アリエナイ!!

みんな考えることは一緒だったというオチ(笑)

そして悪天候だったせいもあってか、本当に具合が悪そうな方はほとんどおらず、わたしのように血圧とかコレステロールの薬をもらいに来たわりと元気な先輩方が多かったみたいで、待合室はかしましいことこの上ない!!

「○○さん、この頃ここで顔を見ないけどお元気かしら?」
「ねえ、おなかすかない?この後ひま?おなかすいた!新しくできた中華行く?カラオケにする?」
「あ、ごめん、わたしグランドゴルフだから・・・」

な〜んて落語みたいな会話があちこちで展開されていてるし(笑)
ここ、病院じゃありませんでしたっけ?(笑)

かく言うわたしも人のことは言えず、その後筋トレに寄り道する気満々だったのに、あまりに混んでいて、断念しました。

パトラッシュ疲れたよ!

ただ、2時間待たされた甲斐あって?プロの技を見た!と感服したことがありました。

それは採血です。

この日はたまたま、そろそろ定年かも?ってくらいの超ベテランの看護師さんが採血してくださることになりました。
わたしは採血はそんなに苦手じゃないですが、針を刺す瞬間はちゃんと見ていたいタイプ。それで、じっと腕を凝視してました。

そもそもわたしは血管が出にくいとか言われることが多くて、たとえば針を刺す周辺の腕をとんとん叩かれたり、指で探って探されたり、意外と大変なのですが、今回はまったく迷わず「ここだ」と場所を決めたらしい看護師さん。

「ちょっとチクンとしますよ〜」とにこやかにおっしゃって、一点から吸い込まれるように針が入っていきました。

あれ?まったく痛くないぞ?ほんとに針入れた?という感じ。

でも、確かに注射器の中にみるみるうちに血液が溜まってゆき・・・
とっさに思ったのは、こういう時って、抜くときが痛いパターンじゃないだろうか?ってこと(笑)

意外と人って短い時間にさまざまなことを考えるものなんだなぁ。

ところがところが、抜くときも、針を刺す瞬間と同じく、すーーーっ!!「あれ?」という感じだったわけです。
一番痛かったのは、幹部をぎゅっと脱脂綿で圧迫した瞬間でありました(笑)

すご〜い!!

思わず「すごく上手です。神業ですね!!まったく痛くなかったです。ありがとうございました。」とか興奮気味に言ってしまいました(笑)

「そりゃあプロですから。」とにやりとしておっしゃるベテラン看護師さん。かっこいいなぁ。

ただし・・・採血しちゃったからにはまた結果を聞きに行かなきゃいけないわけで・・・今朝、またあの待合室に突撃することになりました(笑)

と、これを書いている段階ですでにもう帰ってきているのは、7時半に診察券を出してきたからです。
今度は読み違えないようにがんばりました!

ただし・・・せっかく体重も減らし、食事も相当変わったはずなのに、ほとんど数値が変わっておらず。
なんだかなぁ・・・ちょっと残念。

特に悪くもないけど、よくもなっておらず。

「体重が増えたからとか、食生活や不摂生だから数値が悪かったわけではないということがわかったってことですよ。」
「そこは確認できたわけで、よかったじゃないですか〜」

ええ?そこ?

そういう問題でもないと思うけど(笑)

「遺伝的要素もないとはいえないし、なにかの薬に軽く影響を受けて数値が前後しているのかもだし、なにかの食品に過敏なのかもだし、まっ体質ってこともあるから。」ですって。
「とりあえず、真面目に薬を飲んでおけば安心だし、体調も良さそうだから、いいじゃないですか。」って。
先生はおっとりとそうおっしゃいましたが、なんだかなぁ。

結局、知りたいことは、何一つわからないということだけがわかりました(笑)


そして。


水曜日・・・

朝一番で新聞の見出しを見た瞬間に衝撃が走って、思考が停止しました。

ええ?これは何ごと???
何かの冗談なの?・・・ネタ?

木曜、金曜と時間が経っても、情報は整理されるどころか錯綜し、それどころかどんどん尾ひれはひれがついて、ますます意味がわからない。

気持ちも当然すっきりしませんが、個人的には、やっぱりちゃんとご本人たちの口から聞くまでは何ひとつ信じられない・・・という気持ちがあって。

まだ半信半疑のまま、思考をストップさせています。

仲良しの友人たちの中にも彼らのファンの方々がたくさんいて、ある日突然、好きな人たちについて、こんなニュースが飛び込んできたら、どんなに苦しいことだろうと思うのです。

その気持ちにはちゃんと寄り添っていたいと心から思っていますが、だからといって、あちこちで流れるさまざまな憶測に振り回されたり、感情任せに何かを発信するのも違う気がして。

わたしは現在のところはやっぱり、ご本人たちがなんらかの発信をするまで、静観・・・かな。

どうあれ一番大切なのはご本人たちの意思であり、今後だから。
雑音に惑わされず、誰よりご本人たちがちゃんと納得できる方向に決着しますように。

そう決めても、ネットをのぞいたりテレビを見たりしていると、否応なしにさまざまな情報やら、いろんな立場の人の思いが次から次へと入ってきて、お茶の間で見ているだけでも混乱するくらいだから。

ただ今ネットからは少々離脱気味に暮らしています。

で、何をやっていたかというと・・・

一つ目はこれ。

さて。これはなんでしょう?
最近本屋さんとお友だちで居ざるを得ない(笑)同じ方々を追いかけてらっしゃるみなさまなら、多分目にしてらっしゃるかも?

たまたまオリスタさんと一緒に並んで置いてあったものですから・・・(涙)
また、あの禁断の木の実、最初の一粒を食べてしまいました。

クロスステッチ(1) 2016年 1/20 号 [雑誌]

クロスステッチ(1) 2016年 1/20 号 [雑誌]

何度手を出しても懲りないな〜わたし(笑)

クロスステッチは大好きだった祖母の晩年の趣味で。
最近、なんだか気がつくとおばあちゃんの背中を追いかけているような気がしている今日この頃。

一回分はこんなに小さいものですが、結構時間がかかります。
最初だったのもあって、はしょらずに、基本から書いてあるとおりの手順をすべて踏んでちゃんとやったら、4時間くらいはかかったかも?

でもすでに楽しくなってきてしまい、後戻りはできないような気がしてきました。
次号からは1000円弱なのですが、続くかなぁ?やめちゃうかなぁ?まだまだ不透明です。

でもなぁ、続かないかもしれないし、続いたら続いたで、結構高いしなぁ・・・とぶつぶつ言っていたら、オットが「こんなにしあわせそうにやってるんだから、買えば?やりなよ?」と言ってくれたので、あと2〜3号は続けてみるかも。

何かに集中すること自体はとっても楽しいです。

毎日30分くらいづつ費やすことができれば、次の号までに仕上がっていくかな?う〜ん。

さらに・・・

ちらっと読み始めたら一気読みになってしまった本。

吉本ばななさん。「おとなになるってどんなこと?」です。

帯のところに

自分の人生は自分のもの!と思えるように

と書いてあって、なんだか読まなきゃと思いました。

とても読みやすい文章で、字も大きいから手に取りやすいと思います。

そして。

勉強のこと、友だちとのこと、死、そして生きること・・・
人生の根幹に関わる大切な八つのことについて、
これから大人になる子どもたち、そして大人になるって難しい・・・
と思っている人たちに向けたメッセージ。

と書かれています。


どちらかと言うとターゲットは子どもさんかもしれないですが、わたしはあんまりそういうことは気にしないほうで、しかも時々「自分の中の子ども」をもてあまし気味の時もあるので、きっと読んだ方がいいだろうと思ったの(笑)

実際すごく心に響く話が結構あって、読んでよかったです。

たとえば「大人になるってどんなこと?」という章ではばななさんが自分が大人になったと感じた瞬間について書かれていました。

中学生のばななさんは、健康診断の腎臓の検査で再検査となり、その検査の日は朝から怒り狂っていたのだそうです。
どうして自分だけこんな目に合わなくっちゃいけないんだと、そのことばかりが頭の中を支配していたそうです。

ところが検査が終わって病院の出口まで行ったとき「一緒についてきてくれた親戚のおばさんとおとうさんもまた、自分のためにその貴重な一日を犠牲にしてくれたのだ」ということを、突然に悟ったのだそうです。

そしてみんなで昼食を食べに行く道すがら、おばさんに「ありがとうございます。せめてお荷物をお持ちします。」と言ったそうです。
その瞬間こそがばななさんが自分が大人になったと感じた時だったそうです。

その日はとても体調が悪かったはずが、感謝の気持ちをちゃんと伝え、清々しい気持ちでおそばを食べていたら、具合が悪いことなんてすっかり忘れていたというエピソードを語ってました。

「正しく行動すれば、胸のつかえはなくなる」のだなぁと実感したそうです。

その瞬間が初めてほんとうの意味で他者を思い遣った瞬間だったし、恥ずかしいとかめんどくさいという気持ちを脇に置いて行動したし、自分の置かれている恵まれた環境を客観的に見ることができたときだったと思ってらっしゃるそうです。


かと言って、いろいろなことを飲み込むことだけが大人の条件だとも言っておらず、

いちばんだいじなことは、自分の中に泣き叫んでいる子どもを認めてあげることです。ないことになんかしないことです。
そうすると心の中に空間ができて、自分を大丈夫にしてくれるのです。

とも書かれていて。

こちらの方がもう十分に年齢だけは大人になってしまったわたしには響く言葉でした。

大人になるということは、つまりは、子どもの自分をちゃんと抱えながら、大人を生きるということです。

ああ、そうかもしれません。


さらに・・・

「普通ってどういうこと?」という章にもとても惹き付けられました。


この「普通」にはいろんな意味があって、なぜか自分の中で「違和感を感じるもの」という意味の「普通じゃないもの」に関しては、たとえば犯罪から身を守るという観点などにおいては、見た目から人を判断することの重要性も説かれています。

そしてそういう意味では「自分の感覚」というものがとても大切で、それは「ものごとの裏にある何かを見せてくれるもの」とも定義してらっしゃいます。
ああ、これはなんとなくわかる。

「君子危うきに近づかず」的なことですね。

今は怖い誘惑もいっぱいあるから。


一方で、個性という意味での「普通」はまた別の話で。

ばななさん自身、自分は「ふつう」からはみだしたスタイルや性格を持っていると感じていて。
「日本人は、みんな同じようになりたい」という特徴があるということを実感的に思っていたそうです。

わたし自身はつまらないくらい没個性の「普通」の子だったので、小さい頃はそれでいいのか?と何の疑問も抱かずにいましたが、大人になる過程で出会い、とりわけ惹きつけられる人はみんなとても個性的で、一見すると「普通」というくくりからは少し、あるいはたくさんはみ出している人ばかりでした。

そんなこんなで自然と「普通こそベスト」という感覚からは脱した気がしているのですが、まだまだ日本全体としては、やっぱり「普通」「アベレージの中にちゃんと収まっている」ということが「安心」という空気が根強いし。

ひいては普通じゃない人を攻撃してしまうような行き過ぎた考え方をする人も出てきてしまうのかも?

哀しいことだけれども。

ばななさんご自身は、自分がはみだしてしまうこともまた仕方ないと感じていて、はみだしているからこそ、それをどんどん突き進められるし、極められるとも思っていらっしゃるそうですが、わたしもそう思います。

さらに、ばななさんはこんなことをおっしゃっています。

ある意味個性的な人が「普通のふり」をするという意味であるならば「ある程度は他者への思いやりによって(普通のふりをすることも)できるようになると思う」

ただし、普通にふるまっていたからといって、なにかから救われることなんて一切ないと思います。
がんばって普通にしていたら、だれかがあなたにほんとうにほしいものをくれるということも養ってくれるということも多分ないと思います。

なぜ個性的な人がそこまでして、普通の方に合わせなくっちゃならないのか!と思うけど。

実際に周りの個性的な人たちの方に心を寄せて見回してみると、確かに日本では、まだまだ個性的な人たちの方が気を使って「普通」に合わせることを強いられているという空気を感じることは多々あるし。

無責任にいろいろと枠にはめようとした人たちが、その後責任を持ってくれるというわけでもないわけで。

服装に限らず(たとえの文章が服装でした)たとえ自然にしていても、いつのまにかはみ出してしまうジャンルがある場合は、それが人をひどくキズつけたり殺したりするのではないかぎり、大切にしてほしいなと思います。

たとえば我が家で言えばアネなんかは小さい頃からそういうタイプだったなぁと思い出すのですが、こういう言葉をもっと小さい頃から投げてあげられればよかったのに、ととても後悔しています。


ばななさんは、この章の中で、こういう一見個性的である人に対しても、周りが恐れずオープンであることの大切さを説いていて。
先入観を持たずに誰とでも接することができる人、何か初対面で得たいが知れないところがあると思う人に対しても、態度を変えずに接してくれる人たち。
たとえば「その得たいの知れない人」から「作家の吉本ばなななんだ!」と誤解が解けても、一切態度が変わらない方々は確かにいて、そういう心構えでいる方たちは、その後もそれなりにしあわせになっているような気がするとおっしゃっていました。

わたしくらいの年になると、ある程度経験により、こういうことはわかってくる部分もあると思うのですが、この本を手に取る若い世代にとっては、こんな風にばななさんが説いてくださることで、人と違っていても安心できたり、違っている人に先入観を抱くことの愚かさも学べるんじゃないかと思います。

そしてこの章の締めがこれ。

違和感を感じて身を守ることと、オープンであること、一見相反することを同時に心がけてほしいな、と思います。
そのことはきっと普通に見えて普通でない、すばらっしい世界にあなたを連れていってくれると思います。

ここ。この表現は、とってもとっても好きでした。



さらに・・・

わたしは「自殺したい」と思ったことは一度もないし、今のところ、切実に必要だと感じている知恵ではないですが、知っておきたいと思ったので、追記しておくと。

「自殺が近づいて来たなと思ったら」という文章があって、ここはとても大事なことが書いてあると思いました。

ばななさんは「自殺と言うのは、心の中に愛の貯金がなくなったときにするのだ」と思っていらっしゃるそうです。

愛の貯金はたとえば親から愛情をたっぷりもらっても、人にやさしくしてもらっても貯まるものだけど、与えることでもまた、貯めることができるともおっしゃっています。

同感です。

また「不摂生は元気じゃないとできない」ともおっしゃっていて、ここもなるほどと思ったポイントです。

好きな時間に寝たり起きたり、思う存分ネットを見たりするのは、意外と健康なときにしかできない・・・というのも、そういう方々を知っているので、本当にそうだなぁと思います。

そしてそういう方々へのアドバイス

自殺が近づいて来たなと思ったら、落ち着いて生活を整えてください。
朝は決まった時間におき、なるべく体を動かし、眠れなくても早くふとんに入ってください。
インターネットに費やす時間も制限し、淡白で良質なものを食べ、煩雑な人間関係とか、お酒とか性欲にはあまり近づかないで、貯金を取り戻すのです。

もちろんですが、そんな生活をずっと続けろというわけではなくて「生命エネルギーがたまるまでのほんのしばらくのこと」(と考えるといいのだそうです。)

そうしたらまた、いくらでも楽しく不摂生できる日が来ます。

この部分、とても大事な話を聞いている気がました。

たまたまここを読んでくださったみなさまの中にも?そしてわたしにも?・・・本人じゃなくても大事な家族とか友だちのために?

いつかこの文章が必要になることもあるかも?と思い、おすそ分けしておきたいと思います。

実を言うとこの本以外にも、ここひと月くらいでなぜか本を読みまくっていて、それらの本についても触れたいのですが、だんだんに書いて行けたらと思ってます。

ほんとはこの後にもうちょっと下書きしてあったのですが、長くなったので二つに分けたテレビ誌関連とか。

つよしさんのももクロさんへの提供話とか。

あとKinKiさんの年末年始のコンサート話の続きは、ちょっとずつ下書きを貯めてあるので、ちょいちょい推敲して少しずつアップしていきたいと思います。