ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 奈良旅の記録 その5 天河大弁才天さん

次の日記でここのところ心を捉われているKinKiさんのニューシングル「夢を見れば傷つくこともある」について書きたいと思いますが、とりあえずこのエントリーは旅日記の続きです。
ちなみにしばらくはライブの参加はなくて、次に参加予定なのは、12月8日の、玉置さんの東京フォーラムのシンフォニックコンサートです。
なので、その前に奈良旅日記はもちろん、鎌倉の小旅行やもろもろについてまとめておけたらと思っています。
前の旅日記からずいぶん時間が経ってしまいましたが、この記録はその4からの続きです。
おさらいをしたいとおっしゃる方、および、ここからご覧になった方は遡って、そちらからどうぞ。

そしてやっとわたしたちは、天河大弁才天さんの鳥居をくぐります。

一日目は、ここをくぐったとき、まだ6時45分くらいで余裕だと思っていたのに、すでに祝詞が聞こえていて、大慌てで途中参加となったわけです。
いやん、残念過ぎる(泣笑)

ただし、この日にもこの日ならではのことがあって、宮司さんが3人で祝詞をあげてらして、そういう日にあたったのも初めてだったので、興味深く参加させていただきました。

何か神社的に、特別の日だったのかもしれません。

さて。

その前日の失敗があるので、二日目は6時半過ぎにはまっすぐ鳥居をくぐって、お手水でちゃんとお清めをして、まっすぐ階段を上がりました。

この日は土曜日だったせいか、早朝にも関わらずずいぶんたくさんの方々が朝のおつとめに参加しようと集まってました。

拝殿の五十鈴の正面にすでに椅子がたくさん並べてあって、みんなそこに座っておつとめが始まるのを待ちます。
この日はずらっと一列に並べられたすべての椅子が埋まるくらいたくさんの人。
ご年配の方も若い女性たちも、親子とおぼしき男女も、わたしたちのような夫婦とおぼしき方々もいました。

しゃっしゃっしゃっと、巫女さんたちが落ち葉を掃く音と、吹き渡る風の音だけが響き渡っていて、心が静かになります。
今年もこの地を訪れ、この自然の囲まれた神社でここにすわれてうれしいなぁという気持ちでいっぱいになります。

天川はスピリチュアルな側面で語られることも多いですが、我が家的にはそういうこととはまったくさっぱりご縁がなくて(笑)
不思議体験をしたこともないし、来るたびそういう「不思議な場所」という先入観がどんどん薄れ、代わりに「心のふるさと感」が強まってます。

久しぶりにおじいちゃんおばあちゃんのいるふるさとを訪ねたような気持ちでいそいそとやってくると
「よく帰ってきたね。」「家族みんな元気でいられてよかったね。」「疲れたらいつでもここに戻っておいで」と笑顔で迎え入れていただいているような気さえして。

これがあまりにも心地よい感覚で。

わたしの心の隅っこに今も住んでいる「小さくて頼りない子ども」が開放される気もして。
「ああ、ここでは安心していいんだな。」と心から思える気がするのです。

「あの時ほんとは泣きたかったんだけど。」
「あの時のあの一言は絶対に失敗だった。あのことを思い出すとすっごく恥ずかしい。」
「ほんとはちょっと疲れちゃった。」
「さびしいってどうして言えないんだろう。」
「凹んだなぁ」とか。
「ほんとはもうムリって言いたかった・・・言えないけど」

もう十分にオトナなので、日ごろは多少思っても言えないような、つもりつもった心の小さな内緒話が、ここの神さまになら、するするとできちゃうようなイメージ(笑)

そしてひとしきり素直な感情に身を任せたら、すっきりさわやか。

何事もなかったかのように、いつものオトナの世界に戻っていって、今度は必要としてくれる誰かに向かって「大丈夫だよ」って言えるような、そんな感じがするのですよね〜。

不思議〜♪

おっと、脱線。


ちょっと画像だとわかりにくいのですが、ここの布のところが風を受けて揺れて、それがとても心地よくて、気がつくと眺めておりました。
風は普段は目に見えないけれど、こうして間接的に時々素敵に姿を見せてくれるなぁ。
そして「縁を結いて」のPVに出てきた同じような景色も思い出します。

あのPVにはいろいろな奈良のお寺の仏さまや、美しい景色がこれでもかと出てきますが、意外と主役のひとつに「風」がある気がしていて。
またあの美しく豊かな歌声と風はベストマッチな気もして。
奈良の風を感じたくなると今でもあのPVを見ます。
空も好きだけど、風も好きだなぁ。

多分奈良という場所はさえぎるものが少ないから、風もどこまでも吹き渡るし、空も広い。
うちの近所は家だらけで、遠くが見える場所がほとんどないからよけいにそう思うのかも?

本当にいいところだなぁ。

そんなことをちらちらと思いながらも、いつもながら、天河弁財天さんの拝殿に並べられた椅子に座ると、徐々に心が静まって、集中が高まっていくような気がします。

そんな絶妙のタイミングで、宮司さんがしずしずと入って来られました。

さわさわという風の音をBGMに、宮司さんの澄んだ祝詞の声が響き渡ります。
とてもとても心地よい時間です。

合いの手のような太鼓の音に力を感じます。

オットは最近祝詞にもはまっていて、その文言を覚えようとしたり、意味を調べたりしているのですが、知っている祝詞そのまんまだ!と後でとても大喜びで語ってました(笑)

一方のわたしも最近読んだ本の中で見た一節が、宮司さんの美しい声で唱えられたことを喜んでました。
もちろんその瞬間は神妙に聞き入っていたので(笑)この話は後でオットと言い合ったのですけどね。

多分このあたり。

もろもろの まがごと つみけがれを
はらへたまひ きよめたまへと まおすことのよしを
あまつかみ くにつかみ やほよろづのかみたちともに きこしめせと
かしこみかしこみ もまおす

そして、そういう感じ方は正しくはないのかもしれないけど、わたしはその意味よりも(というか意味は正直よくわからないのでね、笑)言葉の語呂、音(おん)の美しさに強く惹かれました。

わけもわからずうっとり(笑)

静かな山に宮司さんの祝詞の声だけが朗々と響き渡り、とても気持ちのよい時が流れていきます。

天河さんの宮司さんは、もう何度も行っていて、お話しも何度かさせていただいているし、祝詞も何度も聞いているので、その声はもうお馴染みになっていますが、とってもいい声です。

聞いていて自然と背筋は伸びるけれど、緊張を呼ぶ感じではなく。
心が「しん」とする感じ。

最後の方で、わたしたちにも向けてお祓いをしてくださったと思っていたら、すべて終わってお神酒をいただいたあとに、「今日はみなさまもお祓いをしておきましたから、階段を上まで登ってお参りしていいですよ!」とお許しをいただきました。
いつも宮司さんが玉串を捧げられる場所まで行かせていただく機会はそうそうあるものではありません。

これはとてもとてもうれしいことで、みんな一列になって、順番にお参りしました。
拝殿の奥は、神様がおわすところ。
神さまのより近くに行けたような気がして、しあわせな瞬間でしたよ。

さて。

この日は宮司さんのお説教?のような時間もいつもよりちょっと長めで、いろいろと興味深いお話が聞けました。

その中でわたしたちはまだ見たことがない、天河神社に祀られている神様がたのお話になりました。

神社なのに「弁財天」という言葉が入っている天河神社ですが、江戸時代までは「琵琶山白飯寺」というお寺で、明治の廃仏毀釈により、白飯寺は廃寺となったのだそうです。

その時に、本尊の弁才天は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と改められて、届出がされたのだそうです。

そんな歴史もあって拝殿の奥には「神社」でありながら仏像があります。

そういえば祝詞の後にご真言が唱えられ、般若心経が読まれるのも不思議に思っていましたが、そういうことだったのですね。
まさしく神仏習合の形が今も残されているのでした。

そして、宮司さんが後ろを振り向きながら、この向こうの中央には、弁才天さまがいらっしゃるんですよ。
右に熊野権現さま(阿弥陀如来さまだそうです。)そして左に蔵王権現さまがお祀りされているのですよ。とゆっくり説明してくださいました。

そもそもこの天河神社のはじまりには、飛鳥時代役行者、そして大海人皇子(後の天武天皇)が大きく関わっていらっしゃるのだそうで。
さらにその後、弘法大師空海が修業をされた行場でもあり。
その後も大峯修業の要の行場とされ、高僧や修験者たちが多く集まるところだったのだそうです。

こんなに深い山の中にありながら、長い長い歴史の中で、たくさんの方々に大切にされ、守られてきたのでした。

そして普段は公開されていない弁財天をはじめ、ここにある仏像は一体どんなお姿をされているのだろう?・・・というところから、画像検索などしてみるうちに、どんどん奥深いところまで入り込んで、さまざまな新しい謎が生まれて、ここ数日間は寝ても醒めてもそれを追いかけるのに必死になっておりました(笑)

で、オットをつかまえては「どう思う?」「ねえどれが正しいの?」「この本とこの本では言ってること違わない?」「この画像怖くない?」「これなんだろう?」・・・
あらゆる不思議のとりこになっていて、最初そのあたりを全部日記に書こうと思っていたのですが、あまりにも不確かで、あまりにも不思議すぎて文章にできず・・・

しまいにはオットが「そんなにわからなくてわかりたくて焦れ焦れしてるなら、いっそのこと、天河弁才天さんに電話して聞いてみなよ!」と言われてしまいました。
いやいやいや。そんなこと、できるわけない(笑)

というわけで、このあたりは宿題!次回また行くことがあったら、勇気を出していろいろと伺ってみたいと思います(笑)
そしてもうちょっと噛み砕いて説明できそうなら、また書きます。

「それにしてもおまえ、レポートでもするつもりなの?」「授業でもやるつもり?」「まったくもって、そこまでいくと旅行記を逸脱してる」・・・と笑われました(笑)
確かに!確かに!

いろいろ考えるに、早朝だったしいくらなんでもお説教にメモは取っておらず、でも記憶収集マニアとしては(笑)中途半端な理解で終わったことがめっちゃ残念で・・・
やっぱりこんなところにも凝り性が出てしまうわたしなのでした(笑)

そんなお話を伺った後・・・先ほども触れましたが、拝殿の段々を宮司さんのように、一段一段、ゆっくりと足を揃えては上がってお参りしてきました。

これはとても貴重な経験でしたよ。

地元の方々にとっても、わたしたちのように住まいは遠くてもここをよりどころにしているたくさんの方々にとっても、心のふるさとのようなこの地がずっとずっと守られますように。

日本中の心のふるさとが、変わらずずっとそこにありますように。

な〜んてことを思いながら、自己流ですが、結構真剣にお祈りしてきましたよ。


お参りを終えてゆっくりと階段を降りてきたら、なぜか能舞台のところがライトアップされていました。
ひときわ明るく照らされたそこは、とても美しくて思わずパチリ!

そうそう、芸術の神さまという側面を忘れてはいけません。
そしてわたしは、来年こそ、もうちょっと自分の勉強のために時間を使おうと誓いました。
もっと音楽の勉強をしたいです。
(毎年誓ってるんですけどね、笑)


太鼓が置いてあって、こちらもなぜか写真を撮りたくなったので(笑)
もっと楽器が上手に弾けるようになりたいし、上手に生徒たちに音楽への扉を開いてあげられるようになりたいです。

一応本気の願い事も書いておこう(笑)