今日はこの曲。
「人類(ぼく)の此処」です。
初聴きからこの曲に囚われてます。
この捉われ方はちょっと異常事態なほど(笑)
一日一回はこればかりをリピートという時間が必ずあって。
正直、言葉を紡ぐよりもっと聴きたいという感じもあるのですが、後々どんな気持ちで聴いてたか思い出したくなる気もして、無理やり耳を音源から引っぺがして書いてみます(笑)
なんだかこれは理屈じゃなくて、もちろん歌声や曲の雰囲気全体が、どうにも色っぽくて大好きというのもあるけど、多分それだけじゃないなという感じ。
久々にありえないくらいはまっている「好き」という言葉じゃ足りない感じ、ちょっと次元が違う感覚、別格の曲となってます。
そもそもがベース。
1曲を通して、この曲の下の方で常に通奏低音のように常に鳴っているベースの音が好きすぎてヤバイです。
(すでにボキャブラリーが乏しいことが露呈してしまった。中学生みたいに「ヤバイ」というひと言で片付けようとしているわたしがイヤだ、笑)
まるで生き物みたいに自由奔放で、つよしさんの歌声に時に絡みつき、時に少し距離を置いたところで、冷静に鳴ったりしてる。
これ弾いてるの誰?と気になってクレジットを見たらSOKUSAIさんという方。
今は日本で活動されているみたいですが、かつてニューヨークに住んでらして、あちら在住のさまざまなアーチストさんたちとライブ活動をなさっていた方なのですね。
参加されたミュージシャンの中で、日本人の歌手ではJUJUさんのお名前。彼女もかつてニューヨークにいらしたのですよね。
だから?と言うとこじつけかもですが、ベースの音もとても都会的。夜の摩天楼のイメージと近いかも?
そしてギターもわたしは知らない方でした。山口隆志さん。MISIAさんとかも手がけてらっしゃる方みたいだから、もしかしたら佐々木さんからのご縁なのかしら?
いずれにしても、新しいミュージシャンの方の名前を見るたびに、また新しい音の出会いがあると思うととてもとてもうれしいな。
全体を通して、ひと言で言うと、この曲はとっても洗練されてるなぁと思います。
つよしさんの曲の中には泥臭い曲も多いですし、わたしはそういう系の曲たちもとっても愛してますけど。
この曲に関しては、とってもスタイリッシュで都会的な感じ。
都会の夜のイメージ。とはいえ、ネオンの洪水のようなきらびやかな夜のイメージではなくて、ひと時だけやっと静かになった都会の、夜のしじまに響き渡るベースと色気に満ちた歌声…みたいな。
そもそも全体として、メロディーラインがきれい。
ちょっと80年代あたりの感じなのが、またいいなぁと思います。Shakatak(シャカタク)の「Night Birds」とかを夢中で聴いてた頃に感じた「好き」とちょっと似てる。
わたしが今回、流れがとても好みな「どうもとくべつよしちゃん盤」では、この曲の後に「Funky舌鼓」がくるのですが、この2曲はどこか当時の雰囲気を彷彿とさせるものがあって、わたしにとってはちょっとなつかしく、スタイリッシュで、なおかつ艶っぽくて、とても好きなセンスだなぁと思います。
「円く喘いでいる」のところの7度の音程をなんと軽々と気持ちよく飛んでいくんだろう。なめらかに一分の狂いもなく音程間をすべっていくから、まったくストレスがなく聴けるけど、このあたりの音程は意外と上り下りが急だから、多分(わたしみたいに、笑)へたくそな人が歌ってたら気持ちいいどころか音程がふらふらするのが気になって集中できないかも?
ほんとに上手な人って、むずかしさを感じさせないから。
「時折々の〜」から「ただ見てるだけ」のあたりのメロディーラインは特に何度聴いても好きすぎてため息が出るところ。それにしてもさりげなく巧いなぁ。
サビのメロディーは単純で「レー↓ラ↑ドレ ↓ラ↑ドレレレレ ↓ドドラソファ」の繰り返し。
いきなりこのメロディーから入るのもおしゃれ!
このメロディーラインに「舐めてよ 未来(あした)へと奉つ 人類の此処」という歌詞が充ててあるわけですが、つよしさんの声の艶っぽさを最大限に生かしている気がして。
特に「舐めてよ」の「レーラドーーレーー」のところ。
ご本人が「ここをどうしても歌いたかったがための曲」とも言ってましたけど、さもありなん。
わたしは個人的につよしさんの「な」の発声がすごく好きなのですが(細かい、笑)小さな「ん」が隠れてるような「な」にうっとり。
この「舐めてよ」だけでバキューン!とハートを撃ち抜かれる感じもあり(笑)
最後の方まで同じメロディーを繰り返していて、最後だけ「あなたを」のところで「レ↑ファ↓レドレ」と2音目が上がるところがあって、ここが聴いていてとても気持ちいいので、わたしはずっと「ここ」がくるのを待ち焦がれていて、わかっているのに、またここが来るたび「はぁ〜っ!!」っとなります(笑)
このアルバムの中の曲としてはアドリブな感じは少なめで、わりとかっちり構成が決まっている感じが逆に新鮮かも?と思いました。
だからと言って、アドリブがイヤというわけでは全然なくて、アドリブ的な自由度の高いものもとても好きなのですが、この曲に関していえば、構成がドラマチックで、とってもしっかりしているところも魅力かも。
つよしさんは、KinKiではわりとこういう曲も歌いこなしている印象ですが、ソロの方では比較的レアかも?なんて思ったり。
やっぱり佐々木氏のアレンジが、確実につよしさんのソロの音楽の新しい扉を開けたんじゃないかな?という気がします。
実際に曲のなかのことを言えば…
イントロの浮遊するようなピアノの音からとても好みです。
この後に始まるアタックの効いた、表情のあるベースの音と、つよしさんのしつこすぎない、でも色気をたっぷり孕んだ歌声とがベストマッチな気がして。
そこに時折入ってくるふわっとスペイシーな感じのシンセサイザーの音、ギターの音がまた気持ちいいの。
さらに雲の中から歌ってるみたいな、つよしさんのメレンゲみたいなファルセット。
最後の方で不意に聴こえてくる色っぽい吐息。
たまらなくなって、また最初に戻って聴く…あと一回だけ。もう一回だけ。その繰り返し。
中毒性があるな!この曲は。
この曲も比喩隠喩があちこちに入っていて、とてもとても想像力をかきたてられますが、基本、歌詞カードを見るとびっくりするほど直接的な言葉が並んでます。
「舐めてよ」もすごいけど「銜んでよ」の方がさらにびっくりで、「銜える(くわえる)」という字は「くくむ」って読むのですね。
あまりに直接的にも思えて、もしかして古語とかだったら別の意味とかあるんじゃないの?と思わず辞書機能を使って調べてしまいましたが、一つ目の意味、二つ目の意味を見て、あれ?まんまかも?…
と一瞬思って、くらくらくら(笑)
いや〜ん、つよしさんのエッチ!!
と思いきや…
しばし興奮を抑えてよ〜く読み進めると、3つ目の意味に「外から包み込む」4つ目の意味に「心にとどめる。忘れないでいる。」というのもありました。
明日へ奉つの「奉つ」はあらためて調べてみると「ささげる」っていう意味もあるのですね。
なんとなく、つよしさん的なボキャブラリーに近づいてきた…かも?
実はそんなことはあんまり考えず、ただただ聴いていて気持ちよくて、漂うようにリピートしているというのがほんとうのところなのですが。
小洒落たメロディーと歌声に気をとられるところをぐっと我慢して(笑)ふと歌詞をじっくり眺めてみると
12の羅列を針が右へと円く喘いでいる
あなたはそっと日々の嘆きを気づかないふり
さらに
季節(とき)折々の嘘が淫らに咲いても ただ見てるだけ…
「12の」からの流れはどう見ても時の経過。
そして「日々の嘆き」というところを聴いてわたしが思い出したのは「ニュースキャスターの原稿が赤色」というフレーズ。
E☆Eの頃の「いきてゆくことが」って歌がふわ〜っと浮かんできました。
もしかしたら…いろんなことを見て見ぬふりしてませんか?…という、ある意味説法的な(笑)とっても大きな話をしているのかも?とふと思う。
でもね、でもね。
そういうちょっと煙たがられそうな、でもとっても大事な「本音」「本質」みたいなものを、匂い立つような色気の衣をまとわせて、ふわりひらりとかわしてる。
たとえば去年のライブで、さりげなくユーモアやジョークでくるんだように。
こういう感じは実は個人的にとても好き。
直球もいいけどより入りやすくて、時間の経過とともに心の中にじんわりとしみこんでくる。
いろんな意味で曲を味わうという意味において、何倍にもおいしい気がします。
表面的にはこの曲は、なんだか思春期の子がなんでもエッチなことに結びつけてわいわいギャーギャー「やらしい!」「やらしい!」って言ってるような感じなのだけれど(笑)
実は深い深いところまで考えてたどり着いた本音が隠れてる…ような感じ。
そこまで意味を読み込んで、到達してくれる人はくれるだろう。
だからといって、わからないならわからなくったっていいんだよ?
見えている世界だけで楽しむのも全然アリだからね…みたいな。
押し付けがましくない懐の深い感じもあって、だからさらに楽な気持ちで聴けるのかも。
とはいえ、つよしさんのファンは多分言葉で遊んだり、深読みしたりするのがそもそも大好きな属性の人が多いから、表から裏から、いろいろと想像妄想し、あーでもないこーでもない、考えないで感じるんだ!的アプローチをしてる気が。
そういう人たちにとっては、やっぱりこのアルバムは、全体を通して何重にもおいしいんじゃないかと思うわけです。
「人類(じんるい)の此処」は「ぼくの此処」は…「舐める」だけにとどまらず、「銜んで」欲しいわけだから…
母性的な?大いなる包容力で包まれることを望んでいるようにも見えるなと思ったり。
「舐めてよ」よりも「銜んでよ」はぐっと距離が近くなってるわけで。
明日にすべてを捧げるぼく(世の中)を遠目に見てないで、他人事みたいに言ってないでちゃんと向き合って飲み込んでみてよ…って風にも取れるし。
「銜む」を「心にとどめる」「忘れないでいる」の意味までかんがみるなら、もっと深いな!
う〜ん、まじめに考え始めるとどんどん哲学的になっちゃう。そして完全には解がわからない。ぼんやりとはわかったような気になってるけど。
ほんとうのところはどうなのかしら?
さらに。
やっぱりCDジャーナルでしたっけ?のインタビューで松本隆先生を引き合いに出して語っていたように「2番の歌詞により深い想いをこめる」の法則を当てはめてみると、こっちの方がさらに重要なのでしょうかね?
照れ遮って創めよう 言の葉と想いを綴じよう
このままじゃ此処が 人類の此処が弾け散っていく
「照れ」ってなんだろう?
「遮る(さえぎる)」のは彼の普段の言動からして「自分で考えることをあえて妨げるようなもの」をあえて遮ろうってことなのかな?
そう考えると「人類の此処」っていうのは、やっぱり人の芯となる部分?
動かされるのはもうやめて、自分の言葉で自分で想いで動こうよ…みたいな?
そうしないと、このまんまじゃ、人類は終わっちゃうよ!的な?
ほら、いろいろとつながってきた!わくわくしてきましたよ。
でもでもでも。
実はそんな解釈はとってもとっても後付けで…
8割は歌詞のまんまにいろいろ想像、妄想してはため息をついて(笑)…
つよしさんの歌声や表現そのものの魅力や、洗練された楽器やアレンジのいい音たちに雰囲気酔いしている気もしないでもなくて(笑)
酔わされてなんぼ!な感じもあって。
ふわふわと浮遊しつつ、かなり色っぽい妄想を振り払い、振り払い、たまにあえて手繰り寄せドキドキして(笑)
ウォッカかなんかを生(き)で煽ったような気持ちになりつつ…
底の方で人類の未来を結構真剣に考えてる(笑)
そんな毎日なわけなのです(笑)
ああこの曲、ほんと好きだ!やめられない止まらない!
ちなみにこのベースを、ギターを、誰が弾いたらどんな音になるんだろう?と想像するのもまた楽し!
オリジナルの方々と演奏するところも聴いてみたい気がするけど、弾き手が変わるとまたイメージも変わりそうだし、いろんな方によるこの曲が聴けたらいいなぁ。
早くライブに行きたい!!(その一言に尽きるよね、笑)