ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

ケンシロウのこと

犬のココロ―この子だれの子?

犬のココロ―この子だれの子?

先週アルバム情報が出てすぐに、たまたまうちの本棚のこの本を手に取ったのは、公式サイトのTOPICSで

ジャケットには剛と愛犬ケンシロウ君の愛しいTuショットも!?

と書いてあったのを見つけたからかもしれません。

もうケンシロウがかなりのお年なのは知っていたし、なんとなく「お別れの予感」みたいなものを感じてのジャケットなのかな?なんて、想像したくないことがちらっとよぎったからかもしれません。

まさかこんなに早く、それが現実になるとは思わなかったけれども(涙)

さて。

なつかしい「犬のココロ―この子だれの子?」は、表紙がケンシロウでした。

この本はいつごろ出たのだろう?と思ってamazonのページを見てみたら、2001年って書いてあり、本文でこの時のケンシロウが1歳という記述もありました。

ケンシロウは俺にとっての武器なんです。」と言っていたのが、当時とても印象的でした。


この本以外にも、たとえば雑誌「person」やアイドル誌にも昔はよくケンシロウと一緒に写ってました。

すごく楽しそうな一人と一匹のほほえましいショットが多数ありましたよね。

そうそう、つよしさんが描いたとってもかわいいイラストとともに、後に本にまとめられた「君と歩けば」もありました。

ちなみにこれは2002年でした。

きみとあるけば

きみとあるけば

この時は文章は伊集院さんで、イラストがつよしさん。
伊集院さんちのアイスちゃんもミニチュアダックスで、ケンシロウとアイスちゃんのご対面スペシャル…なんていうのもありましたっけ。
そしてつよしさんは、この本の中でたくさんミニチュアダックスのイラストを書いてました。

これら以外にも、ケンシロウとつよしさんのツーショット、またはケンシロウが写っている写真は雑誌でもたくさん見ましたが、わたしがとっても印象に残っている一枚は、特につよしさんが生きることに四苦八苦していて、本当に辛そうだった時代の一枚で。

ふたりして真冬の冬枯れの景色の中、よく似たダッフルコートみたいなスタイルで、ふたりとも同じ表情、とてもさびしい遠い目をして写っていたツーショット。

あれ、なんの雑誌だったかな?

まさしくケンシロウがつよしさんの気持ちを汲みつつ、となりでそっと寄り添っている感じが伝わってきて、とんでもなく胸を衝かれたのを覚えています。

多分本当に孤独で、やすやすと誰にも心を開けなかった時期も、いつも変わらぬ愛情で常にそこにいたのはケンシロウだったんだろうなぁと思います。

うちにもいるからわかるけれど、一緒に生活している動物は、思っているよりもずっと家族のことをよ〜く見ていて、家族にココロを寄せている気がします。

たとえば泣いてる人や具合が悪い人がいると、その人のそばで何時間でもじーっと離れなかったり。
ゲラゲラ笑っていると、一緒になって「ぜったいに今このコも一緒に笑ってる!」という顔をしていたり。

こちらに元気がないと遠くから心配そうにじっと見つめていることもあるし、今なら言うことを聞いてもらえそうだぞ!というのもちゃんとわかってて、ポイントをはずさずにおねだりしたりもします(笑)

そしてなんだかわからないけど家族が楽しそうにしていると、自分も一緒になってはしゃぎ回ったりもして。

まるでちっちゃい子どもと一緒だ!と思う日があったかと思うと、とんでもなくオトナな哲学的な顔をしてこちらをじっと伺っていたり。

かと思うと誰かがふとんの中でシクシク泣いていたりすると、ふところに自分から収まって、まるで母親のような包容力でずっとそこにとどまってくれていたりもして。

歴代のペットたちと家族との、あんな場面、こんな場面を思い出していたら、ケンシロウが最期までつよしさんとの時間をいかに大切に思っていたかが、とってもよくわかる気がしました。

ちゃんとつよしさんの誕生日を待って、家族と一緒にお祝いもして、翌日つよしさんがお仕事から帰宅するのをちゃんと待って、その腕の中でちゃんとお別れができるよう待っていたなんて…小さい身体でなんて健気だったのでしょう。

きっと「この日まではどうしても」という強い思いがあったのだろうなぁと思います。

そして本や雑誌でよく見かけていた頃は、ケンシロウがもしもなくなってしまった時、つよしさんは大丈夫なのかしら?なんてひそかにみんなで心配していた頃もあったけど、そんな心配はまったくの杞憂でした。


「犬のココロ」の頃、自分のことでいっぱいいっぱいで「権力と闘うには、自分は無防備で弱いから、武器でもあり、癒しでもあるケンシロウが必要だ」と言っていたつよしさんは、15年の時を経て、いつしかとても強靭でしなやかな、やさしい心を手に入れたのだなぁと感慨深いものがありました。

更新されたラブファイターでは、前日に愛犬を亡くしたばかりだというのに、とても冷静で。
情緒過多にならず、でもケンシロウへの限りない愛情や、ファンへの感謝、伝えるべくエッセンスは決してはしょらずに。

のみならず、読み手の気持ちまで気遣いながら、しっかりと伝えてくれました。

近年、大きな手術の時もお仕事だったりして、なかなかそばにいることは叶わなかったみたいですが、わたしも経験があるのですが、どんなに信頼がおける病院であっても、手術などのために預けるにはかなりの覚悟がいるし、物言わぬ動物を、彼らのためとはいえ、病院に置いてくるのは本当にせつないのですよね。

「必ず迎えに来るからね!」とは一生懸命伝えるけど、果たして彼らが捨てられたと思ったりしないか、本当に絶対に帰れる保障はないのに「必ずおうちに帰れるよ!」って言っていいのか?なんてことをずいぶんと考えた記憶があるし、毎日見に行きたいのですが、見に行ったら帰りたくなってしまうんじゃないか?せっかく来たのに置いて帰られる気持ちは?なんて考えたら、軽い気持ちでいくことも憚られるような気持ちになったこともありました。

そんなことを忙しいさなかに2度も経験したんだなぁ、つよしさん。

もちろん生き物と暮らすということは、楽しいことばかりじゃなくて、こんな風に辛いことや苦しいこと、新しい心配事もいっぱい運んでくるわけですが、そんないろいろがあって尚、すべてを預け、命の限り愛してくれるその存在そのものがいかに尊いか、心底思い知ったりもするわけで。

あんな気持ちだったんだろうなぁ、こんな気持ちだったんだろうなぁというのが、あちこちでとってもリアルにいろいろと伝わって、胸がぎゅーぎゅーしました。

うちにもすでに17年くらい経っている猫のルナがいるし、バロンももうすぐ12歳だし。
いつもなんとなくペットたちの命のことは常に頭にあります。

今回のケンシロウの訃報も、他人事とは思えなくて、とてもせつない気持ちになりました。

我が家も過去にもう3度、猫たちとの別れを経験していますが、何度経験しても、どんなにできることを尽くしたつもりでも、やっぱり「まだできることがあったんじゃないか?」「あの時ああしていれば」みたいな気持ちはいまだにどの子にも残っています。

そうやって毎回涙で送ることになって尚…

またいつしか来るべき出会いがあって、家族になって、愛情を注いだりもらったりしながら日々を送ることは、動物にとっても人にとっても、きっとしあわせなことに違いないと思うのです。

つよしさんがケンシロウとのいろいろを、ファンにも話してくれたり見せてくれたりしてくれたおかげで、ファンも一緒にたくさんの思い出をもらいました。

うちの歴代の猫たちも、亡くなってからもそばにいてくれている気がすることがよくあるのですが、ケンシロウもきっとそうじゃないかな。

これからもどうぞつよしさんのことを見守ってあげてね!と空に向かってお願いしとこ。