ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 奈良旅 その18(6月11日) 母公堂

ごろごろ水を出てややしばらく車で走ると、わりとすぐに女人結界門と書いてあるところに出ます。
「ここまでかと思ったらもう少し先がある」というのを聞いて好奇心からここへやってきたわけですが、その先も少し走ってみるとどんどん車道の幅が狭くなってきて、Uターンはできるのだろうか?ということになって、結局のところ、ぎりぎりのところまでは行かず引き返すことにしました。
再度女人結界門のあたりまで戻ると「母公堂」という文字が見えます。
「ちょっと降りてみる?」と車を駐車場に停めて出て行ったら詰所のようなところから出て来られたおじさんに「さあこちらへどうぞ」と声を掛けられました。

え?いいの?大丈夫なの?と思いながら、おじさんについて(お坊さんと言うよりもおじさんという感じの気さくな方でした。)行くと、お堂の中に座布団が敷いてあります。
どうぞ、どうぞと勧められるままに、よくわからないまま座布団に座ることになり、手を合わせておじさんが般若心経などのお経を読んでくださるのを一緒に聞いておりました。
それが終わると「コーヒーでも入れますので、どうぞごゆっくり」とおじさん。
この段階でわたしたちがここへ何度か来ている人だと思われていたようだったのですが「いえいえ、たまたま通りすがったんです」と言ったらにっこり。
そして、別のおじさんにバトンタッチして、ここがどういう場所かというお話や、本当の女人結界門がなぜもうちょっと先まで延びたのか・・・などについていろいろとお話をきかせてくださいました。
そもそも母公堂というのは、役行者のお母さまが、大峯山に入り修行している息子の無事を祈りながら待つための場所として作られたのだそう。
ご本尊は役小角のお母さまの白専女(しらたらめ)さん。
彼女は息子役行者に会いにここまで来たのですが、息子を追って山へ入ろうとすると、蛇が出てきて遮られたり、どうしても邪魔が入って叶わなかったそうです。
そして役行者は母が山へ入るのはとても危険なので、自ら山を降りて母に会いに行き、ここで待つようにとおっしゃったのだとも聞きました。
その後、この山は女人禁制となり、このお堂が関所のような役割になったとも言われているのだとか。
大峯山へ修行に行くことができるのは男性だけで、女性は結界門から先は行くことができないので、ここはお留守番の妻が夫の無事を祈る場所であり、また、安産祈願の場所としても有名で線香が絶えないくらい参拝者が多いところだったそうです。
わたしたちは吉野や天川を旅していて、役小角についてはあちこちでいろいろな碑を読んだり像を見たりしましたが、お母さまについて知ったのは初めてだったので、とても不思議な気持ちで聞きました。
そして、お母さまの存在を知ったことで、今まではどこか「伝説の人」で実在の人物としての実感がなかった役行者に、やっと「人」としての存在感を感じました。
で、実際にちゃんと役行者はお母さまを迎えに来られたのですか?と伺ったら、いらっしゃいましたよとおじさん。
謎だった「なぜ女人結界門」は更に先まで延びたのか?という疑問には、意外な答えが帰ってきました。
昭和40年代に、登山口の大橋と洞川間の林道をするのには、たくさんの人手もいることになったし、そこに女性が入れないと仕事の効率やなんやかんや、何かと不都合が多いということで、結界門の位置をもうちょっと先までずらしたのだそうです。びっくりです。
「時代の変化、ニーズに答えたということなのでしょうね〜」とおじさん。
そもそも前回の大変な台風で傷んだ道路や橋にしても、たとえば商売上、流通上、人々の生活ルート上、どうしても必要だと思われる場所はすぐに修復されましたが、あまり人通りの多くないところは、まだまだたくさん放置されているのだそう。
その辺りのお話は、なんとなく地元の人も「仕方ない」という感じでお話してらっしゃいました。
そういえばわたしは、ここ母公堂で「般若心経の心を短く現した文章」に出会いました。
お堂の中のどこかに書いてあったんだったかなぁ?
丹羽善久(にわぜんきゅう)さんの言葉と書いてあったのですが、ものすご〜く心に残って携帯にメモったのでそのことを書いておきます。

いらいらするな くよくよするな ぎすぎすするな
おおらかに おおらかに

というのがそれです。
ふぇるまーたのサイドバーに置いてある「かたよらず、こだわらず、とらわれず。」も般若心経を噛み砕いて説明したとされる文章からいただいたのですが、こちらの言葉も素敵です。
般若心経の懐の深さを感じます。
そして、わたしはと言うと・・・「LOVE LOVE LOVE」・・・
ご本家のではなくて、つよしさんのカババージョンのことも頭の隅っこでぼんやりと考えておりました。

ねえ せめて 夢で逢いたいと願う
夜に限って一度も 出てきてはくれないね

の部分のお話です。まだ考えていたのか・・・とおっしゃる方もいらっしゃるかもですが・・・
こうしてとりとめのない、答えの出ないことをつらつらと考え続けるのが好きなんですよね〜
たとえばあの曲のココロは?あの演奏家の真意は?なんて考えること、クラシックのピアノ曲だったら、子どもの頃に考え始めたことで、まだ答えが出ない疑問なんていくらでもありますし、多分そうやって誰かの思いを想像したり、なんとかして近づきたい、寄り添おうと試みるのが好きなんだと思うのですよね〜たとえ、そんなことができるなんて思うこと事態が傲慢であるにせよ・・・
やっぱりそれでも理解することを諦めたくはないです。
これは旅日記の番外編として最後にとっても個人的な日記とリンクして書きたいです。
「空(くう)」さんで女人結界門の話を聞かなければ、ここに来ることはなかったし、たまたまここで車を停めなければ、円行者のお母さまのことを知らずに帰ったことと思います。
でも、旅の最後にここに立ち寄れてとてもよかったとも思っています。
たまたま立ち寄っただけのわたしたちに、コーヒーを入れ、お茶菓子を出してもてなしてくださってくださった、天川の方のやさしさに感謝しつつ、この地を後にしました。
山を降りる直前、昨夜のお宿の前に車を停めた途端、何かこちらから言う前に奥へ走って行って吉野で買った「油揚げ」を大事そうに持ってきてくださったお宿の若い方。
2度目のさよならにもかかわらず、またお宿の方みなさん集まってくださって手を振ってお見送りしていただいたこと。
いろいろな思い出を胸に天川の地を後にしました。
今度行くことがあったら、シンギングボウルの2万のヤツを買う・・・とはオットの言葉(笑)
真夏も行ってみたいし、また桜の季節もいいなぁ。
最後はこの画像で締めくくろう(笑)

天川村の青い空、白い雲

そして、なぜか毎回判で押したようにこの新幹線になります(笑)
これまはったくの偶然なのですが、毎度毎度これに乗れてなんだかうれしい・・・というわたしなのでした。ちゃんちゃん。