ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

奈良旅 その7 (6月10日) 如意輪寺から天川へ

さて。やっと10日の吉野で最後に立ち寄った如意輪寺のところまできました。
なかなか文章がまとめきれなくて、思いのほか時間がかかってしまいました。
そして昨夜はほとんどずっとこの如意輪寺のことばかり考えて、寝る時も楠正行が頭の中にありました。
どうも考え始めると止まらないタイプみたい。
天魔さんの予告があったとツイッターで見て、あぁ、全然そこまで考えが至らなかったと残念に思いました(笑)
どうしてこう、ひとつのことで頭がいっぱいになっちゃうとほかが抜けてしまうのかしら(笑)
ほかにも書きたい日記はいっぱいあるのに〜
今日はしゃまDVDにどっぷり浸る一日にするつもりなので、その前にまずは宿題提出。
ひとつ前の日記で書いたお豆腐屋さんを出てまた車に乗り、宿のあった中千本方面へ。
宿のあったところからは真向かいの方角の緑濃い山の中央あたりに見えた如意輪寺ですが、いざ車を走らせてみると結構距離がありました。
車を降りてみると、とてものどかなところで、またしてもうぐいすの声。
桜の季節にはものすごい人なんだろうなぁと容易に想像がつく感じですが、この日は人も少なくてのんびりとあちこち見て回ることができました。
実はわたしたちが入ったのは駐車場側の門からだったのですが、ほんとうはこっちが正面らしいです。

逆光で全然綺麗に撮れそうになかったので、すごく美しかった空本意に撮ってしまいました(笑)
だって、ほんとに空が綺麗だったのです。

こちらが本堂です。このお寺は平安時代の901年から922年あたりに日蔵上人により開かれたと言われているそうです。
さらに年を経て、南北朝時代には後醍醐天皇がここ吉野の地に南朝を定め、この如意輪寺を勅願所(天皇がご祈願をされるお寺)に定められたそうです。
後醍醐天皇は、いつか京都に帰りたいと京都を夢見つつ1339年に志半ばで崩御なさったそうで、このお寺の裏側に後醍醐天皇の陵墓もあります。

ここがそうです。
鳥居があってその向こう側がこんもりと小さな山みたいになっていて、たまたま行き会ったご年配の方たちが、本当のお墓は鳥居の向こう側なんだと教えてくださいました。
さらにこのお寺には楠正行公が鏃(やじり)で辞世の句を彫ったとされる扉が残っていて、それらが宝物殿の中に展示されているのでも有名です。
楠正行公は、11歳の時に、命を賭けた戦に出て行くお父様楠木正成との決別の話が有名です。
如意輪寺にも親子の決別シーンが絵に書かれたものが展示されてました。
後醍醐天皇の旗の元、足利尊氏と闘って命を落としたお父様の楠木正成。最期まで父と共に闘いたいという正行を止め、自分が亡くなったあとも、朝敵のために一族郎党の先頭に立って闘い、いつの日か朝敵を滅ぼせと命じます。
この正行が父が討ち死にした後、南朝軍を率いて果敢に足利軍と闘ったそうですが、いよいよ決戦というその前にまたここ如意輪寺を訪れます。
後醍醐天皇の御陵に詣で、如意輪寺の扉に矢じりで辞世の句を残したという逸話が残っていて、その句が書かれた扉は今もちゃんと残っていて、宝物殿に展示されています。
きちんと読める筆跡で

かへらじと かねて思へば梓弓 なき数いる 名をぞとどむる

と書いてあるのが読めました。
最初に創建されたのが平安時代で、正行が辞世の句を読んだのが南北朝時代の1348年とされています。
その間およそ400年。その時の流れの中で様々なドラマがあります。
とうとう京へ帰れず、この地に眠っている悲劇の天皇の魂。
時代の波に翻弄されながら親から子、一族に受け継がれていく楠家の使命。
行く末がほぼ見えていようとも、その運命から逃れることができない一族の思いはいかばかりだったのかしら。
なんだかいろんなことを考えさせられました。
宝物殿には、後醍醐天皇がご使用になった高杯や、美しい細工がほどこされた、楠木正成の公兜割りの刀(殺傷を目的にしたものではなくて、相手を降参させるために使用した刃物の部分がない刀)なども展示されており、とても興味深かったです。
ほかにも曼荼羅やら仏像やら、いろいろ興味深いものが展示されてましたが、中でも天井に飾られていた仏様に心を奪われました。
なぜか真下に畳敷きの一人が横になれるくらいの台が置いてあって、そこに寝転んで鑑賞してくださいと書いてあります。
実際にそこに寝転んで見上げると大きな観音さまの油絵があります。
「日本最大如意輪観世音菩薩像」だそうで「寝おがみの観音」と書いてありました。なるほろ〜
しばらく寝転んで鑑賞させていただいたのですが、その後どやどやと名古屋弁?とおぼしき中高年の男女集団が入って来られて、キャイキャイと楽しそうに皆さんで鑑賞されてました(笑)
そこでわたしたちは逃げるように退散して(笑)外へ。

くねくねと坂を上がると、その途中にもたくさんの桜の木。植樹者の名前に著名な作家さんの名前を見つけ、おぉ〜と足を止めました。
ほかにもたくさん植樹者の名前が記された若木、ちょっと大きくなった木、だいぶ年数が経ったと思われるものまで桜の木がたくさん植わってました。きっと桜のシーズンに来たら美しいのでしょう。
そこに昨日旅館から見えた美しい多宝塔があります。
あちこちに菊の紋章があって、鬼瓦にも菊水の御紋が入っています。
塔のほど近くに大きなしだれ桜の木。ああ、いつか桜の季節に来てみたいものですが、多分ものすごい混雑でしょうし、ムリだろうなぁ。せめてテレビでゆっくり鑑賞したいものです(笑)
あっ!ちなみに旅館からこのお寺がよく見えたということは、お寺からも旅館が見えるのでは?と探してみて見つけた画像がこれ。

おお、やっぱりよく見えました(あたりまえ、笑)
ここはとてもとても見るべきものがたくさんあるお寺でした。
そして考えさせられる場所でした。
わたしの感覚ですけれども・・・吉野はいつだって、様々な時代の人間の行動や気持ち、歴史に翻弄される人々の悲劇や思い、しあわせについて考えさせれれる場所です。
そしてここを出て、一路天川に向います。
一旦吉野川の方まで降りていって、天川方面へと山道をくねくねと登っていきます。
考えさせられる場所「吉野」に対して、天川は「感じる場所」というイメージです。
とにかく心を平らにして五感を総動員して、いろいろなことを感じたくなります。
想像の翼が勝手に広がる場所。思いもよらない自分が出てくるところ。
いつの間にか「カバ」だったBGMがMP3の曲順の都合で「shamanippon」に変わりました。
くねくねとした山道はまだまだ続いていますが、昨年のGWよりも道が良くなってるね!と言い合いました。
ああ、天川への道、昨年もこの曲たちを聴いてましたっけ。
不思議とここへ来ると「これ」が聴きたくなるんだよな〜と言ったのは、わたしじゃなくて、なんとオットでした(笑)
あらそうなんだ(嬉)
次の日記からやっと天川です。