ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 今日は家にいます(笑)

カバ発売と同時に現在シンガポール在住の仲良しさんが一時帰国してらっしゃるのですが、友達関係があちこちかぶっているので、彼女が旧交を温めてらっしゃる集まりのあちこちに「こっそり」「ひっそり」「ちゃっかり」「ずうずうしく」・・・(いろいろ言えるなぁ、笑)便乗させてもらう機会が多くて、ちょっとしたお祭り状態です。
主役の友人は、便乗させてもらっているわたしたちの比じゃなく怒涛の毎日であるはずで、猛烈に忙しいことと思われるのに、いつ会ってもニコニコ、自分のペースを崩さず、のんびりまったりしたオーラを身にまとっていてます。
なのに、一見の穏やかさとは違う一面、実はものすごく頭が切れる人でもあって、瞬時に物事の本質を見極めて鋭いことをふわっさらっと口にするので時々はっとさせられます(笑)
ずっと考えて結論が出ずだったことを「こうじゃないの?」とさらっと言われて「おぉ、納得!!」ということも多々あるし、視点がグローバルだし見識も本当に広いしで、ほんとうにスゴイ人だなぁと尊敬しています。
そしてあちらこちらで出会う共通の友人たちの近況も聞けたし、みんなが悩んだり苦しんだり、抱えているいろんなことについて、結構深い話ができたりもして、毎日がとても充実していると感じています。
そしてもちろん「カバ」話「つよしさん」話「コウイチさん」話「KinKi」話もあちこちで。
こんなにいっぺんにいろんな話をする機会は滅多にないと思うのですが、タイミング的に、話しても話しても話題にこと欠かない、もっともっと話したくなる今で本当によかったです(笑)
あと週末にもうひとつ友人たちと旧交を温める機会があってそれもまた楽しみなのですが、投げっぱなし、受け止めっぱなしの事象もたくさんできちゃったし、来週からはしばらくおとなしくしつつ、頬袋の中のさまざまをちゃんと咀嚼消化したり、せっかくぽーんと投げてもらったボールをお気に入りの宝箱にこっそり隠しちゃう犬みたいなことになってしまったらダメダメだし(笑)ちゃ〜んと投げ返したりもしたいです。
さて。
出かける機会が多いということは、電車に乗っている時間が長いということで、わたしは電車の中が一番集中できる場所なので(それもどうかと思うけど、笑)ここのところ持っているA5の手帳にいろんなことを書きなぐるだけ書きなぐっていて、とうとう5ページが埋まりました。
時節柄「カバ」関係の覚え書きがほとんどですが、家にいると忙殺されてなかなかじっくり考えることから逃げてしまう傾向にあるので、この考える時間がたっぷりできたことはとっても有意義だった気がします。
とはいえ、これを日記にしなければ考えなかったことも同じになってしまうので、今週後半はちょっとずつ書いて行こうと思います。
お出かけの記録もあるし、カバ関係のまとめもしたいし、どこから手をつけようかしら。
そうそう。
きのうはお出かけの帰りに実家にちらっと寄ってきました。
父と母は今日から四国に旅行に行くそうなので、ほんとにちらっとだけ。
母の日に渡そうと思っていたミルボンのシャンプー(2.5リットルです。すごい量でしょ、笑)を持って行っただけなのですが、着くなり母がステラの切り抜きを持ってきてくれてびっくりしました。
「SONGSすごくいい番組だったね〜おかあさん、ちょっと感動しちゃったわ。つよしくんっていい子ね!」って。
わたしたち姉妹がKinKiさんを、そしてつよしさん、コウイチさんそれぞれを好きだということは普通に把握している母ですが、自分から見た番組の話をするのはとっても珍しいのでびっくりしましたよ(笑)
そういえばツイッターではつぶやきましたけど、SONGSのことを「知ってる?」と当日の夕方にわざわざメールしてくれたのも母でした。
普段、ほとんど民法のテレビを見ない母でも思わずチェックして娘に教えてあげなきゃと思うんだなぁ。NHK効果ってなんて絶大!
そして父母とお茶を飲み昔の思い出話なんかをしながら、ふとなぜ母がこんなにあの番組に食いついたのかちょっとわかったような気がしました。
あのつよしさんが奈良からこっちへ引っ越してくる時のエピソードの中に、きっと両親は遠い日、中3の3学期が始まる直前の我が家の引越しのことを見たのではないかと思ったのです。
わたしたち家族は当時山口県の片田舎に住んでいて、わたしが受験の直前、中3の2学期のおしまいに突然父の東京転勤が決まって東京に引っ越してきました。
家族みんな動揺もあっただろうし、実務的にもわちゃわちゃしていたと思うのですが、特に中3のわたしにとってはとんでもない大事件。
もう志望校も何もかも決まっていたし、あとは受験するばかり・・・という時期での転校は「もしやわたしの人生もう終わった?!」(笑)という青天の霹靂です(笑)
あまりにも急だったし心配事も多すぎて、途中でもう考えることも放棄してしまい(そんなところがわたしだな、笑)ろくろくみんなとお別れもしないまま、山口を去る日を迎えたことは今でも鮮明に覚えています。
最後の一日もあえて誰にも会わず、親戚の家でまったりと過ごし、夜行列車に乗るべく家族でのんびり地元駅に行ったら・・・なぜか中学の制服の人でごった返していて、何事?と思ったら当時わたしが所属していた吹奏楽部のほぼ全員(100名以上)が、朝からずっとわたしに駅でお別れを言うために待っていてくれたのでした。
もちろんつよしさんみたいに人気者でもなんでもない、普通の地味な中学生のわたしでしたが、田舎だったし、東京に突然転校しちゃう仲間っていうのがみんなにとっても衝撃的だったんだと思います。
そして当事者のわたしは意外とケロっとしてたようにも思うけど(そこがつよしさんと違うわたしのうすっぺらいとこ、笑)両親はもっと子どもたちの友人関係にも配慮すべきだったと夜行の中でこっそり涙した・・・というのは最近になって聞いた話。
多分両親は「あれ」を思い出したな!ときのう話していてふと気がつきました(笑)そのことにはお互いひとことも触れなかったけれども。
こうやって人の思い出と思い出は少しずつどこかが似ていたり、重なっていたりする。
ふとしたきっかけで思い出が紐解かれる。
いろんな感情を連れてくるんだなあと思いました。
今回のカバを得たことで、今のつよしさんだけじゃなく、カバー曲の元になった原曲を歌った方のその時の心境や、当時の世相にまで心がいく。
新旧のアーチストさんがこのカバー曲をきっかけに刺激を受け合ったり、同じ土俵で音楽を語るのを眺めるのもとても楽しかったし、それが聞き手の耳や心にも様々な影響として届いてくる。
自分の中の音楽や人生を考える機会にもなる。おもしろいことだなあ。
母は言葉少なに「おねえちゃん(わたし)がつよしくんを好きなのがわかるわ。」と言いました。
「あなたが言うんだから、きっと歌は上手だとは思ってたけど、いい歌を歌うのね。」とも。
そしてそんな話をしながら結婚して数年、今の持ち家に引っ越してくるまで「わたしのふるさとは山口県」とかたくなに思っていて、両親や妹と話すときは、かたくなに山口弁だった過去の自分がふと鮮明に蘇りました。
実際のところは幼稚園の年長から中3までを過ごしたに過ぎない山口県は、大好きな場所だったけど、ふるさとと言うのとも違う気がするし、次に住んだ杉並の家にだって同じくらいの時間住んでたし、今にして思えばこっちだってふるさとと言えるくらい大事なところです。
そして超今更ながらに、音楽はともかく、心のあり方とか持ち用は繊細なつよしさんとはほとんど接点がない・・・くらいに思っていたのが、ちょっとぐらっと揺れました(笑)
自分でも認めようとさえしてなかった深いところにある自分がちらっと顔を出したかも(笑)
不思議〜♪
そして余計なお世話だけど、自分の経験から考えるに、いつかつよしさんが結婚して子どもを持った場所が奈良じゃなかったとしたら・・・そしてその場所に長く家族と住むことになったとしたら・・・
またひとつ、彼の中のふるさとに新しいページが加わるかも。
子どもを持って20年。途中海外にも出たけれど、今住んでいる埼玉のこの場所は今はどこよりも大事な場所だし、わたしの居場所はここでしかありえないとすら思っている今日この頃。
自然とそんな風に心がゆっくり変化していったことを今更ながらに思いました。
人生ってほんと不思議。