ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 もしもし下北沢。

そしてもう一冊はこれ。

もしもし下北沢

もしもし下北沢

商品の説明のところにはこんなことが書かれています。

内容紹介
お父さんが知らない女と心中してしまった。残された私は、自分の人生をやり直すため、下北沢に部屋を借り、近所の小さなビストロで働き始めた。ところが、ようやく日常生活を取り戻しつつあった頃、突然お母さんが私の部屋に転がり込んできて、奇妙な共同生活が始まる。
決して埋めることのできない喪失感、孤独を抱える母娘を下北沢の街がやさしく包み込む――。
どこにでもある、でも、たったひとつの人と街の愛しい物語。

内容(「BOOK」データベースより)
この街に来てから、私はどんどん素直になっていく。知らない女と心中してしまったお父さん。残された私とお母さんは、新しい人生を始めようと思い立った―下北沢で。どこにでもある、でも、たったひとつの人と街の愛しい物語。ばななワールドからの贈り物。

データを読んでいただくとわかりますが、とんでもない事実により夫であり父である人を失った、深い傷を負った親子の立ち直りの過程をていねいに描いた作品でした。
そもそもこの物語のキーワード、下北沢という街は、わたし自身が高校生の頃にずいぶん遊びに行ったところです。
家からも高校からも結構近くて、高校時代の親友が所属していた劇団もあって、よく遊びに行ったり演劇を見に行ったりしました。
(実はわたし、高校時代は合唱部と演劇部を掛け持ちしていたのです。さらにいろんなクラブからの寄せ集め音楽大好き男女メンバーによるリコーダー同好会ってやつも。中でも演劇部はありていに言えば才能ゼロだったので、参謀的役割兼雑用係という位置づけでしたけど、笑)
なので、いい感じにごちゃごちゃした街の感じとか、新しいんだか古いんだかよくわからない街並みとか、いろいろなテイストが同居しているようなお店とか、居心地がいい長居しやすいカフェとかレストランとか、民家と商店街が混在している感じとか、いろいろとイメージできてなつかしく楽しい気持ちになりながら読みました。
そもそも物語の設定事態は決して明るくないのですが、おいしいものの記述が多いし、下北の人たちのゆるやかな日常と重なって、のんびりとしたムードで話が進んでいきます。
主人公が働くビストロのお料理はどれもリアルに美味しそうだし、ていねいに描写されています。
そして、いろいろな人が食べている描写もすごくいいです。
つくづくと食べるということは、どん底からの立ち直りの過程でものすごく大切なことなのかもしれない・・・と思わされます。
主人公の話と並行して、彼女の小さなアパートに転がり込んできたお母さんの話が出てきます。
主人公は最初、えー!?せっかく自立し始めたのにおかあさんとまた住むの?イヤだなあと思い、ただ読んでるだけのわたしも娘目線で、それはイヤだろうに・・・なんて思ったわけですが。
母親が「もう今日からは母とも子とも思わなくていいから。あなたの生活に口を出したり説教したりもしないから。だから友達みたいに、ただの同居人みたいにここに置いて。」と宣言して、そりゃ無理なんじゃ?の予想を裏切って実際にそのとおり、母は妻や母の顔を置いておいて、一人の女の人?どうかすると女の子?に戻って自分らしい生活を取り戻し始めます。
たとえばお肉がはみだしても気にせず若い子が着るみたいなぴっちぴちでド派手なTシャツを着てみたり(超リアル、笑)あっちこっちの店をハシゴしてお店の人とどうでもいい話をしながら午後をのんびり過ごしたり。
そのあたりは思いきり母目線で、そんなことやってみたーい!!・・・なんて思いながら読みました。
わたしも今日で母親終〜わり〜!とかいつか決められたらいいのになぁ。
そして、もうお小言は封印して、娘とは仲良しの友達くらいの関係で、少しだけいい意味で距離がおけたらいいなあと思います。
もちろん今すぐにそれをするのはまだまだムリ、もうちょっと彼女が自分から自立したいと思う時期になってから・・・と思う我が家だけれども。
実際に夫が別の女の人と心中して結婚生活が終わる・・・なんて恐ろしい目にあったら、半端なく立ち直りに時間がかかるだろうと容易に想像できるし、立ち直るなんて簡単に言うな!なんて思うけど、たとえば震災でもそう、台風被害でもそう、病気もそう・・・望むと望まないに関わらず、なんらかの傷を突然負ってしまうことなんて世の中にはいくらでもあるんだろうなあと思ったり。
一方娘の方は立ち直っていく過程の中で、途中好青年と恋の入口のような出会いをしたり、レストランでのアルバイトを経て一生の仕事となるであろう師と職業に出会ったりもします。
ところが・・・
最後の最後でやっぱりこの人が好き・・・と選んだ人のことが母目線としてはなんだかなぁ、そこへ行かなくても・・・となって、ちょっとモヤモヤ。わたし的にはここはちょっと残念だったなぁ。
物語全体としては、おいしいものの描写と下北沢のいいところ、やさしくていねいに生きる人たちの物語は嫌いじゃなかったです。
そしてこの物語の中で、もっとも印象に残った何気ない描写はここ。

一日の時間の流れって、夕方になる前にぐうっと長くなって、日が沈むと急に早くなるじゃない?その感覚をやっと最近取り戻して、毎日毎日感じることができるようになったの。
あの、ずるずるって時間が伸びて、お餅みたいに伸びて、そしてそれからきゅううって早くなるところの境目がわかるの。もうそれが楽しくって、毎日飽きない。

これはわたしも独身時代、ずっとずっと昼頃から日が暮れるまで下北の小さなお店でお茶なんかしながらしゃべるでもなく、友達とずっとだらだらしていた時は普通に感じていた感覚だったような気がします。
浜田山のモスバーガーで、方南町ミスドで、吉祥寺のシェーキーズで、あるいは新宿のアルタそばのガードレールにお尻だけ乗っけて・・・
そんなダラダラとけだるい時間を過ごした頃のことを強烈に思い出しました。
今はそんな時間をほしいと思っている暇もないけれども・・・
本来人にはそうやって、何もしない、何も考えない、なんとなくだらだらな時間ってヤツが必要なのかも?なんてちらっと思ったりもしました。
ちょっと要旨からずれたところでこの本を楽しんだような気がしないでもないけど、それでもこの本を読んだことは無駄じゃなかったような気がします。
ちょっとだけタイムスリップして、高校時代に戻って、また井の頭線に乗って下北沢で降りて・・・なんの目的もなくぶらぶらしたいなぁ・・・そして永福町から高校のラベルの貼られた自転車に乗ってかつての家に「おかあさん、ただいま。おなかすいた!ごはん食べたい!」とか無邪気に言って母に「何言ってるの?」と叱られてみたいかも(笑)
もっかい高校からやり直す?って言われたらイヤだけど(笑)