ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

旅のチカラ

一昨日、たまたま仕事終わり、午後8時にテレビをつけたらBSプレミアムで「旅のチカラ」という番組が始まったところでした。
これからごはんを出さなくてはというタイミングだったので、テレビなんて見ている場合じゃなかったのですが、たまたまタイトルを見て手が止まりました。
「幸せの国で、聖なる踊りを USA(EXILE) ブータン王国
と書いてあったからです。
先日、ブータン国王夫妻がいらした時に、あちこちで組まれていた特集を見て、ブータンの国にとても興味を持ち、なぜか心惹かれてならなかったのです。
そんなこんなで、思わず録画ボタンを押して、きのうの夜じっくり見ました。
NHKのページには、この番組のことについて次のように書かれていました。

人気絶頂のグループ、EXILE。斬新なパフォーマンスで異彩を放つUSA(ウサ)が、今回の旅人。ステージの輝きとは対照的に、未来への不安で眠れず、「幸せとは何か」を自問する毎日。USAが旅するのは、幸せの国として知られるブータン王国。東部の小さな村で農家に泊まり、チャムと呼ばれる神聖な踊りに挑む。USAほどの実力を持ってもなかなか習得できないが、温かい村人たちに励まされ、本番の舞台に立つ。

わたしはEXILEについてはまったく不勉強で、USA氏のこともまったく知らなかったし、そもそも歌があればどうしても歌の方に集中してしまい、今までパフォーマーの方々をちゃんと見たことがなかったのです。今思えばなんて失礼な話でしょう。
ところが、この番組で見たUSA氏は、初めて出会った片田舎の家族の前で
「5万人の前でパフォーマンスをしてワーっと言われても、帰ったらひとり。すごくさびしい」なんてことをいきなり打ち明けちゃうようなオープンマインドな人でした。
そしてこのセリフ、どっかでも聞いたことある(笑)なんとなく直感的に同じ匂いのする人のことを想像して、きっと「これ」は見た方がいい気がする…と思ったのでした。
そしてやっぱりビンゴでした。
彼が言うこと、していること、迷い揺れる胸の内を知り、人として共感できる部分がたくさんったし、何よりすべてのことをとても真摯にまっすぐに捉えていて、とても素敵だなあと思いました。
チャムを習った村は、街から40kmも離れたところにあり、ホテルも一軒もないような田舎なので、USAさんは踊りの先生の家に泊めてもらいます。
家の中で最も大きな仏間を寝室に貸してもらい、裕福ではないけれども、彼のために用意された真新しい寝具を出してもらい、床をすいてもらって、村での生活が始まります。
番組そのものはかつてのウルルン滞在記的な感じ。
朝になってみると、家の周りは高地のとても美しい景色が広がっています。
棚田がたくさんあって、およそ300人いる村人はほとんどみんな農業で生計を立てているのだそうです。
子どもをおんぶ紐でおんぶして通り過ぎる人。少し大きい子どもが小さい子の面倒をみる。牛を追う人。農作業をする人。なんだか郷愁を感じるような風景でした。
その小さい村の中で、USAさんは村人に混ざってチャムを習います。
チャムという踊りは村の神事。お祭りの場で村人を前にして舞います。30分もある長い踊りで、素人目に見ても、容易に覚えることができそうもない踊りです。
一日目、先生は一生懸命教えてくださるし、一緒に踊る村人もつきあってくれて、何時間も練習しますが、どんなにがんばってみても、全然歯が立ちません。
意気消沈して帰ってきます。
USAよりも年下の先生の後妻さんが、踊り疲れてぐったりと帰ってきたUSAのためにお湯を汲んで、まるでおかあさんのようにやさしく彼の背中を流してくれます。
「きっと大丈夫。最初からうまくいかなくても落ち込まないで」と何も言わないのになぐさめてくれます。その光景だけですでに泣きそうなわたし。
おじいちゃんが「大丈夫、できるよ」と笑顔で励ましてくれます。
翌朝、おばあちゃんが仏壇に朝の祈りをささげていて「USAさんのことをお祈りしておきました」と、とても真剣に言ってくれます。
早朝から先生に特訓してもらっていたら、他の踊り手さんたちも気にして、みんな早めに来てくれて、練習がスタートします。
日本から来た人が踊りの練習をしていると聞いて、村の人が練習をしているところに集まって、みんなでニコニコと見守っています。
「きっとUSAは大丈夫」…と心配そうに見守っていたおかあさんが、カメラににっこりと笑顔。
技術的にむずかしいのはもちろんのこと、やっと踊りの形が見えてきた頃に仲間のひとりがやってきてこう言います。
「あなたの踊りは技術的には高いのかもしれない。でも、あなたの踊りには『祈り』が足りない。」
その言葉をきっかけに、USAさんは考え込んでしまいます。
そんな彼を見て先生が連れていってくれたのが、高台にある見晴らしのよい場所で、そこは祈りの場所なのだそう。
「のぼり」のようなとてもとても背の高い白い旗がたくさんはためいています。
この時のBGMが坂本龍一氏の「星になった少年」で、あまりに透明感があってひんやりとしたこの風景やブータンの人々にぴったりすぎて何度もここだけ巻き戻してしまいました。
この旗はダルシン(祈願旗)と言うのだそうで、この旗には上から下までびっしりとお経が記されています。
死者の冥福を祈る時や、願いごとがある時にここに旗を立てるのです。
この日「東日本大震災の犠牲になった人たちの冥福を祈るためにダルシンを立てよう」と先生。
ダルシンが風にはためくと祈りが届くのだそうです。ブータンの人たちの祈りは風に乗って日本へも届けられるのでしょう。
もうひとつの旗は先生の先妻のための旗。先生は15年前、先妻の死をきっかけに偉いお坊さんに勧められて、踊りを始めたのだそうです。
絶景をバックに、風にパタパタとはためくダルシン。
チャムには悲しみを消す力がある…見る人の、踊る人の、悲しみを喜びに替えられる踊りこそがこのチャムなのだそうです。
先生はチャムを踊ることで、仏さまに見守られている感じがするのだそうです。
薄いダルシンの布越しに映る夕陽の美しさったら。
この美しい景色と、ブータンの人々の高潔な思いが夕陽の中で本当に素敵に思えて心がふるえました。
そして練習最後の日。
これまでUSAさんはひたすら自分の夢を追い求め、華やかなステージで輝きを放ってきたけれども、ブータンでは他人の健康や平和を祈ってチャムを踊るのです。
遠い日本から来た見ず知らずの自分までも思いやれるブータンの人々。
他人のために踊ったことがないUSAさんは自分に本番に立つ資格があるのか?と悩み始めます。
とうとう踊りをやめてしまうUSAさんに「明日は絶対に踊ります。今日は練習を続けます!」と静かに諭すように語る先生。「自分たちがついてるよ。」「みんな日本からきたキミが踊るのを楽しみにしているよ。」と口々に真摯に励ましてくれる村人たち。
お祭り本番は、早朝4時からのお寺での読経により始まるのですが、お坊さんは「仮面を被った瞬間から、神になって見ている人全員をしあわせにするつもりで踊りなさい」とおっしゃいます。
「祈りを踊りに替えられるように、踊ります」とUSAさん。
もちろん踊りは滞りなく終わり、村人は口々にUSAに掛け寄り口々にねぎらってくれます。「よくがんばったね。」「みんな喜んでいたよ。」「とてもよくできた。」
ただただ流れる汗や涙に身を任せている彼の顔を、通りすがったみんなが、そのたびにやさしくタオルでぬぐってくれます。もう一度ステージ出て行くと、村人の暖かい拍手。
すべてを成し遂げたあとに「オレの心の中はしあわせで満たされている」と言いきるUSAさんの静かで穏やかな顔に心打たれました。
ブータンの人は常にまわりの人のことを考えていて「自分のしあわせ」という概念の中に、となりの人のしあわせ、まわりにいるすべての人のしあわせも含んでいるから、だからしあわせなんじゃないかと思いました。
「自分だけの世界」は狭くてがんじがらめでさびしいけれども、「自分はみんなでもあり、みんなはまた自分でもある」人の心の世界は、きっと奥行きが広くて豊かなんだと思いました。
そして孤独とはほど遠い世界。だから「しあわせ」の国なんだなぁと思ったのです。
そして多分これを読んでいらっしゃるふぇるまーた読者のみなさまは、なんとなく想像に難くないと思ってらっしゃると思いますが、わたしはこの番組の内容を、わたしが大好きな人の世界観とも重ねて考えながら見ていて、この番組で言わんとしていることと、彼が今言わんとしていることは、きっと何か、どこかが重なっているような…そんな気持ちになりながら見てました。
「祈り」ということについて、ここしばらくじっくり考えるいい機会になりそうです。