ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 ココロ見

(今日はこのエントリーを上に掲げておきたいので、続きの日記は下へと書いて行きます!)
このエントリーは教育テレビで9月25日に放映された「ココロ見」という番組の感想です。
大好きだった24CHANNELが終わってしばらく、久しぶりのつよしさん番組ということで、もちろんとても楽しみにしつつ放映日を指折り数えて待っていました。
実は先週の土曜日は直前までいろいろとどーでもいい考え事をしていたのですが、始まったらすっかりテレビの中の世界に心奪われて、気がついたら吉野の山の中での出来事に夢中になっているわたしがいました。
一週間で溜まってきた「ネガティブな心の老廃物」が一掃されたような素敵な気持ちになりました。
この「週をまたぐ時間」に番組があったことがことさら素敵なことに思えたので、同じ時間帯でレギュラー化されないかしら?と思っています。こういう穏やかで優しい番組をぼんやり見ながら新しい週が迎えられたらいいな〜。
トークそのものもちゃんとまとめあげられているというよりも、バス亭のシーンやたまごのシーンを挟んで、それぞれが独立した段落のような感じでしたが、それもまた自然な感じで好みでした。
そもそも人と人とのおしゃべりってそんなに流暢に進んでいくものではないと思うし、相手の話を聞いてぽつんぽつんと話しているうちに相手の話の中から自分が透けて見えてきたり、それをまた投げ返したら思いもよらない展開になったり…的なことがあると思うのですよね。
何より最近の番組にありがちな、ムリヤリ面白くしようとしたり、時間内にうまくまとめようとしたりしていないところが気に入りました。
誰かの人生にスポットを当てた番組もたくさんありますが、たとえば結論めいたもの、どこに感じてほしいかがあらかじめ設定されているような内容には時に反発を感じたりもします。
「要旨はここですよ!」と言わんばかりにCMを挟んで何度も同じシーンが繰り返されたり、いかにも「オチがなくっちゃね!!」的な作りだと、素直じゃないわたしはわざとらしく思って斜に構えてしまったりもするのですが、この番組はいい意味で視聴者に投げっぱなし(笑)そんなところがとてもよかったです。
「どう感じたっていいんだよ!」というふところの広さも感じたし、たまたまふたりのトークが心の琴線に触れた人に好きに感じてもらえば…そういうスタンスがいいなあと思いました。
岸恵子さんの落ち着いたナレーションもよかったし、おふたりのバックに広がる吉野の景色の素晴らしいこと。
もし「次回」があるとしたら、レギュラー化されるようなことがあったら、それこそ年齢性別職業を問わず、いろいろな方とつよしさんが、ナチュラルなトークを繰り広げる番組になったらうれしいです。
…とこんなことを番組たまごの「ココロ見」のアンケートにも早速出してきましたよ!
ちなみに10/2 (土)にNHK教育で、10:30〜11:00という時間帯で再放送もあるそうです。
さて、ここからは番組の中身についての感想を…自分記録として残しておきます。
大阿闍梨、塩沼亮潤さんという方は、1300年間で2人しか成し遂げていない荒行を成し遂げた方だそうですが、穏やかでやさしい語り口でユーモアの精神もお持ちで、人として魅力的な方だなあというのは終始感じでおりましたけれども、一見ではとてもそんな荒行をなさった方には見えませんでした。
しかし、だんだん行についての突っ込んだお話になった時に、やっとこの方の穏やかさと生き方の厳しさの両面がつながって、更にお話に説得力が増して感じられたような気がします。
吉野山はおふたりにとって思い出の地であり、とても大切にしている場所だと思うのですが、厳しい世界に身を置きながら、どこか違う場所に、自分だけの別の「心」や時間軸を持っているような感じが共通していると思いました。
穏やかなおしゃべりの中で、「行」の話の中で腰にさしてらした短刀に触れ「生きるか死ぬか、いざ行を成し遂げられないということになったら、この短刀で腹を切るのです。」とさらっとおっしゃっていた言葉の中に並々ならぬ覚悟と本当のこの方の芯の強さを感じました。
そうでありながらも、一方で一輪の花に気がついて和んだりする繊細さ、やさしい気持ちを合わせ持ってらして、そんなところはつよしさんとも共通するものがあるなあとも思いました。
わたしが特に心に残った部分はというと「音が持つ力」「音楽は捧げるもの」からのお話でした。
「音楽と神仏は実はリンクしているのではないか。」というのはわたしも以前から思っていたことです。
たとえば時代をさかのぼればグレゴリオ聖歌や声明だったりについてもそんなことを感じていました。
もっと卑近な話で言えば…小さい頃にお寺のお坊さん主催の「土曜学校」というものがあって、田んぼのあぜ道を通って懐中電灯を片手に妹と手をつないで小さな公会堂に集まった日々のことを思い出します。
紙芝居やゲームをする前に、お坊さんに習ってみんなでお経を読むのが常で、そのメロディー(と言っていいのかどうかはわかりませんが、笑)の中に小さい頃のわたしは「音楽と仏教やお経との共通点。」をうすうす感じていました。
音楽大好きなちびっこだったわたしは、「南無阿弥陀仏」のお経、「な〜むあ〜みだ〜〜んぶ〜」を「ラ〜〜ラ ラ〜〜ラ ラソラ〜〜ミ〜〜〜」と心の中で階名で歌っていて、何度も続けて唱えているうちに「すっご〜い斉唱だ!!音楽と一緒!みんなの心をひとつにしていくところがそっくり!」「ここはまるでカノン?(繰り返しの音楽)」なんて子ども心に思って喜んだり…そんな記憶があるのです。
この小さい頃にぼんやり思っていたことを、この年になってミュージシャンと僧侶という専門的な立場の方々に共通点として聞けたのが「やっぱり〜」ととても面白かったです。
そんなこともあって
「音楽って自分が思っていた以上に生きている、死んでいるということにリンクしている。」
「僧侶はお経を一緒に唱えることで僧侶同士が共感し合い価値観を共有する。」
「声、言霊、響き。」
「宇宙に音(音楽)が響き渡るイメージ。少しでも世の中がよくなりますように、世界が愛で包まれますように…純粋なる気持ちで声を出して行く。」
「捧げていく」
このあたりのおふたりの語りはすんなりと胸に落ちました。
他にも心に残った言葉たちを脈略なく残しておくと…
「人見知り。」「ゼロか百か。」「やるならばとことん試行錯誤の繰り返し。」
「なぜ自分があるのか?親がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、たどっていくと…神さまとか仏さまって親なのかな?ひとりでも欠けたら自分はいない。」
「一度死にたいと思った人間が、今生ききたいと思っている。この体感したものを音楽や歌詞を通して伝えたい。」
「もっとみんな勇気をもって生きればいいのに。」
「行の中で『人生は思い通りにならないように設定してある』すべてが勉強だ。」
「求めるのではなくて奈良の大地のように『受け入れる』こと。」
「おかあさんに電話しよっ!」「めっちゃ似てる人に出会ったわ!」
「空欲 求め過ぎないことが人生の秘訣。」
しばらくは、心がくたくたになった時にこの番組をリピートしたいです。

PS:つよしファンとしての大切なポイントを忘れてました。
今年の薬師寺の「春涙」の映像が流れました!その瞬間だけすっかり歌の世界に心をさらわれました。
この音源がDVD化されますように。
更にもうひとつ。これはこの番組とは全く無関係ですがNHKつながりのお話です。
さっき生協の荷物を仕訳していて「来週の今日はは京都に行くことになったので、わたしはいないです。すみません」という話の流れで、平安神宮でのライブに行くということまで言わされてしまったわたしですが(笑)その話をしたらご近所の仲良しさんが「平安神宮ライブ、以前さ〜倉木麻衣ちゃんの時、NHKでライブ中継やってたよ!」と言うではありませんか!!!
一瞬にして目がハートになったのは言うまでもありません(笑)
BShiあたりでやってくれないかな〜♪そうしたら今回参加できなかったファンもみんなで共有できるのに…なんて切実に思ってしまったわたしなのでした。ちゃんちゃん。