ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 schola 坂本龍一 音楽の学校

 いつも日記を読みに行かせていただいているNさんのところで、教育テレビの「schola 坂本龍一 音楽の学校」という番組を知り、現在「J.S.バッハ」についてやっていることを知ったので、1回目は見逃しちゃったのですが、2回目を録画して見てみました(Nさん、日記で触れてくださってありがとうございます。素敵な番組を知ることができました。)
 とっても興味深い話がいっぱいあったので、とりあえず覚えておきたいことをメモ的に羅列しておきます。
 西洋音楽史のもっとも古いあたりの音楽、グレゴリオ聖歌の時代は音楽と言うとユニゾン(複数の人が同じメロディーを一緒に斉唱で歌う)でした。
そのあと、中世に5度(ドからソの間の音の幅のこと)が出てきて、そしてバッハの時代になってからの一番の発見は、ドミソの中の「ミ」の発見だったそうです。
 ドからミの間の3度という幅は、現代だともっとも単純でわかりやすいハモリを作る時に用いられます。とりあえず3度でハモっとけば安心!的なイメージがある3度ですが、この3度はバッハよりの前の時代には不協和音とされていたのですって。
 この音程が「不協和音ではない」と人々に認識されるのに、何百年もかかったのだそうです。そしてその3度の発見が音楽に大きな変化をもたらしたのだそうです。なるほど、そういえばそうです。
不安定で緊張した音(3度)から空虚5度へと解決する、つまりはじめてそこで終止が生まれる。緊張(不協和音)から解決(終止)。始まりがあって終わりがある。そこで音楽の中に時間の流れに乗った物語が生まれる。
「協和」した音だけでは感情は生まれず、常に永遠に満たされているだけ。
そこに「不協和音」が投入されることによって、音楽により感情を表すことができるようになったという話(とっても興味深いです!)
簡単に言えば、ふたつの音の幅が1度(同じ音のユニゾン)から5度へ、次に3度が表れて後々7度や9thが表れて、音楽でより複雑な感情が表わされるようになってきたのだそうです。
この日は、ここからアレンジャーとしてのバッハの才能とその時代の音楽の話にも発展してゆき、最後の方では藤原真理さんが、無伴奏チェロ組曲 第一番ト長調前奏曲を演奏されました。無伴奏チェロ組曲は聴いていると心がふるえる、本当に素敵な曲です。
その前の講義もとってもおもしろかったし、音楽もたっぷり聴くことができてとても充実した気持ちになりました。