ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

バッハのこと、日常のこと 復活の狼煙シリーズ その2

一つ前の日記からの続きです。

ここではここのところ、何度も思い出していたかつての恩師のこと。

年月を越えてまるで導いてもらったかも?と感じたことを書きます。

わたしの親は転勤族だったので、何度もピアノの先生が変わっていて。

受験期も入れると、ざっと10人くらいのピアノの先生に教えていただきながら先生になり。

先生になってからも折に触れてレッスンに通っていました。

(ちなみに今は、諸事情あって独学中ですが、これまた楽しいです!)

幼稚園の時は、YAMAHA音楽教室でオルガンだったし。

山間部に住んでいた時は、エレクトーンの先生がピアノの先生を兼ねていらしたし。

バイオリンがご専門の先生に習った時期もあったし。

ピアノだけが専門の先生になってからも、さまざまな音楽大学教ご出身の方や、様々な音大で教えてらっしゃる先生がいらして、その教え方も影響を受けたこともバラエティーに富んでいて。

そのことが時に強みでもあり、時に弱みでもあるように感じたりしてきました。

中でも一番の恩師だと思っている先生は、50代を待たずして早逝されたのですが。

先生とは最も年が近くて、おねえさんのようでもあり。

生涯独身でしたが、ピアノ弾きとしてとてもストイックで。

でもとても心が温かい、素敵な先生でした。

晩年、レッスンを受けるために先生のお宅に伺うたびに、いつもバッハを弾いてらして。

それが平均律でも、パルティータでもイタリアンコンチェルトでもなく。

バッハを習いたての子がまず通る、インベンションやシンフォニアだったのはなぜなんだろうな?とずっと思ってました。

これらの曲集を先生が繰り返し繰り返し弾いている姿を見るのが大好きで。

「今ね、何度目かの全曲制覇をしてるところなの!」と、その時の会話も覚えていて。

でもなぜ今この曲集?と、とても不思議にも思っていたのですが…

実はこの自粛期間中、わたしもまるであの時の先生のように、憑りつかれたように?!インベンションやシンフォニアばかり弾いていたのです。

歴史は繰り返す!!

もちろん先生の亡霊にそそのかされたわけではなくて(笑)

いつかはやらなくてはと思っていたことが、今ちょうど時間ができてやったに過ぎないわけですが…

バッハには同じ曲集でも、さまざまな「版」があります。

バッハが遺した楽譜は、古すぎてなんて書いてあるのか読めないところも多々あって、その解釈は幾通りもあるから、装飾音符の奏法や指使い、フレージングなども、みんな少しずつ違っているのです。

わたしが最初に習ったエディションは、春秋社版といい。

わたしが学生の頃はこの「版」の全盛期で、音大の入試でもこの版で普通に受けてました。

ただし書きがていねいで、奏法や強弱など、原典からかなり書き加えられた、かなり親切な校訂版という種類のものです。

しかし年月が過ぎ、気がつけばこの版はほとんど使われなくなっていて。

今では、バッハが書いたままの楽譜であるところの「原典版」というものが主流。

(それすら何種類かあるからややこしいです!)

実はわたしも15年くらい前から、春秋社版は時代に合わないとずっと感じていて。

半信半疑のまま、今、特に趣味のレッスンでは主流になっている版を使ってました。

バッハが生まれたのは1685年、日本で言えば徳川家の5代将軍綱吉の時代で、生類憐みの令が出るちょっと前なわけで。

現代に生まれたわたしが、300年以上も前に生まれた曲の、定着していた解釈を「時代遅れ」と思うとはこれいかに?という感じですが(笑)

その後、バッハが世に放った数々の音楽の記法や楽譜の解釈の研究が進み、正解とされるものがどんどん変わっていることは紛れもない事実なので。

趣味でやっている範疇なら、どんな版で学んでも究極自分が楽しめればいいのだと思ってますが、これからだって専門的にやる子も出て来るだろうし。

一旦違うやり方で勉強し、完全に暗譜して覚え込んでしまったものを、新しいやり方に切り替えることのむずかしさを、誰よりもわたしが痛感しているので(笑)

これを機会に、使ったことがない版も徹底的に勉強し直してみました。

今一度、いろんな版を取り寄せて全部照らし合わせてみようと思ったのです。

結果、持っていたものと買い足したもの、併せて計6冊の楽譜が手に入り。

同じ曲を横に並べて比べたり調べたりしながら、鉛筆と消しゴムを持って書いたり消したり、書いたり消したり(笑)

あちこちの版で比べてみて、あらためてレッスン室で今、主として使うのは、ここのところ迷いながらも使っていた、全音市田版のインベンションとシンフォニアで間違ってはいなかった!!という結論に至りました。 

(そこに、他の版でベストだと思った指使いやフレージングがあれば、それらも書き加えて使ってます!)

えっ!?全音なんですか?と、ちょっとピアノを知っている人なら思うかもしれませんが、この市田版、とてもとても具合がいいのです。

市田先生の版は、原典+校訂版という感じで良いところを兼ね備えていて。

フレーズの切れ目や和声の進行などを細かく書いてあって信頼できるし、解説が細かくて趣味でバッハを弾く子にもわかりやすく興味が湧く作りになっています。

ただし、指の使い方が従来と全然違っていて。

4の指を3の指で乗り越えたり、下からくぐったり、ちょっとアクロバチックだったりもするので(笑)はじめはむずかしく感じるかもですが、慣れてくるとその良さがわかってきます。

この版の楽譜が生まれたのは、1987年で。

実はちょうどわたしの恩師の先生がいつ行ってもバッハを磨いてらした頃は翌年から少し後。

市田先生のバッハの研究は当時、とても脚光を浴びていて。

急速にバッハ解釈の幅が広がったのもこの頃で、ちょうど新版としてこの版が出た…

となると、もしかしたら生前の恩師も同じようにこの頃に市田先生の新しいバッハの版に出会い、勉強なさっていたのかも??

違うかもしれないけど、考えれば考えるほどに、そんな気がしてきました。

当時、先生がこれだけインベンションやシンフォニアを弾いているということは、弟子として、わたしもやってみた方がいいのかな?とも思ったものの(笑)

世の中のピアノ愛好者がみんなバッハばかりを弾くわけではないし。

まだまだピアノの先生駆け出しだったわたしは、版の研究までする余裕がなくて。

知ってはいるけど、自分が習ってきたやり方でも十分に教えられるし…なんて思いつつ怠け心もあって、20年以上の歳月があっという間に経ち。

その間もわたしの心の片隅に、先生が弾いていた背中の記憶がずっと残っていて。

今、自分で先生と同じ入り口に辿り着いたのだとしたら(笑)

これはもしかして時を越えたすごいシンクロなのでは?

と、喜んでしまいました。

いえいえ。妄想の範疇ですけどね(笑)(笑)

それにしても、同じ曲の楽譜をたくさん並べて、細かく検証し弾いてみる作業は、ものすごく楽しくて大変な作業だったのですが、なんだか目から鱗の発見がたくさんあって、まったく飽きることもなく。

気がつけば2時間くらい平気で経ってしまうこともざら。

ますますバッハが好きになりました。

ついでに言うと。

このバッハの勉強は、どこか近年すごく好きになりつつある音楽のジャンル「FUNK」に通じるところもありました。

あちこちにモチーフが隠れているところ。

どちらも横に複数のメロディーが進行しているところ。

同じモチーフが繰り返しいろいろな場所で出てきて、見つけ出す作業が楽しいこと。

etc.etc.

昔馴染みの曲たちを再度勉強し直す旅は、新しい気付きもいっぱいくれて、わたし自身のピアノに対する熱量が上がったのもよかったのかも!?

そんなこんな、復習したり、新しく仕入れた情報を、再開したレッスンでふんだんに組み込んでみたら、想像以上にレッスンの方もうまくいって驚いています。

不思議~♪そして楽しい~♪

新しい道筋が見えてきたかも。

一方で。

筋トレも6月からお店が再スタートしていて。

わたしが行っているところは高齢者も多いので、その方々はまだまだ自粛されている方も多く。

今は40~60代くらいの常連さんが細々と通っている感じ。

よくも悪くもいつでも店がガラガラなうえに、今は筋トレのみ。

ストレッチは家ですることになっていて、お店にいる時間はたった25分くらいなので、とっとと行ってとっとと帰ってきます。

お店にいる間に手の消毒を2度。

頻繁に筋トレの機械の消毒にも回ってくださったり、換気にも感染予防にもとても気を遣ってくれているので、運動中もマスク着用のうえ、レッスンの合間に以前と同じ週3ペースで通い始めました。

このまま、あまり人が増えないままだったら店は?とか。

万が一全国どこかの店で感染者が出たら?という不安もありますが、最大限に気をつけながら、今は、今できることをしていくしかないのかなぁ?とも思っていて。

何より、体力が落ち、身体が重くなっていると感じているので、一日も早く元に戻せたらと思っています。

さて。

次がやっと趣味事のプロローグです。

KANZAI BOYAやLOVE FADERSについて徐々に書いていきたいと思います!