ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 2017 12月16日&17日 KinKi Kids CONCERT 20.2.21〜Everything happens for a reason〜 東京ドーム その6

そしてここからはつよしさんのソロコーナーです。

どちらにも愛はあるつもりですが、ソロはどうしても行っている回数が違い過ぎるし。

あえてここから分けました。

好きな方だけ入っていただいて全然かまいませんので。

お好きなようにご覧くださいね。

ご想像に難くないと思いますが、ここから長いです!
実は自分がライブに参加してから、特に前半の部分についてずーっと考え込んでました。

そもそも考えるのが好きというのもあるのですが。

暇さえあれば、あれはどういうことだったんだろう?と捉われていて。

たとえば、音楽とあのパフォーマンスの意味するところについて。

つよしさんは何を言いたかったのだろう?というようなことも。


で、例によって、どんどん妄想たくましくなってきて(笑)

もしかしたら「あほかーオマエは!!考えすぎじゃ!!」とつよしさんに呆れられる域に迷い込んでしまったかも(笑)(笑)

というわけで、考察というよりも、妄想半分と理解したうえで

半笑いでで読んでいただけたら(笑)


まずは今回のソロコーナーの流れと状況を。



16.インスト(イノチトボクラ、PINK風味の入った Dance Performance)


つよしさんはこの日の中では最もシンプルで無駄のないスタイルで現れました。

ラインの入ったパンツに。

Tシャツの上からシャツを羽織り。

ステージ向かって左側に机と椅子が一つ。

机の上にノートパソコンが置いてあって。


え?なに?どうしてそんなに普通の恰好なの?

トーク?あるいはスライドショーかなにか?と思っていると…



フルートから??…だったかな?

楽器の音が鳴り出します。


Twitterでもちらっと披露しちゃったのですが…

キーが間違っている可能性もあるけれど。

(B管が入ると、いつも混乱する中途半端な音感のわたしなのです!笑)


わたしは同じ音列を何度も何度も書き殴ってました。

繰り返しが特徴的だったということだと思います。


「ミ♭ファラ♭ シ♭ラ♭ファ ドーシ♭ーラ♭ファっ!」

「ミ♭ファラ♭ シ♭ラ♭ファ ドーシ♭ーラ♭シ♭っ!」

が交互に書いてあって。


このフレーズが、さまざまな高低の楽器で鳴らされ。

合間に打楽器のオカズとわたしメモ。


なんだかこのふたつのフレーズが「問い」と「答え」みたいにセットになっていて。


なんだかこの音列、見たことあるぞ?と口の中で何度も転がしていたけどその時はわからず。


誰かが「イノチトボクラ」と言っていて、待てよ?とメモを見たら、ドンピシャだったという!!

(というわけで、オンタイムでは気づいてなかったの!)


そんな状況で書いてたから、多分キーはともかくメロディーは合ってると思われます(笑)


つよしさんのソロアルバム「ロイノチノイ」の「イノチトボクラ」のイントロの最初の部分です。


このメロディーをイノチトボクラのイントロのリズムに合わせて転がしてみて!?

ね?そうでしょ?

これはきっとこの曲を知っている人が、気がつくであろうことを意図してるってことかな?


この一見、明るいイメージの長調のフレーズが、いろんな楽器の組み合わせで、何度も演奏されます。


たとえばピーターと狼とか、動物の謝肉祭とか。

楽器の音で、違う動物に聴こえる…みたいな。


いろんな違うイメージの楽器の特性を生かしたユニークな音が鳴って楽しいです。


一方でステージにカラフルな大きなボタンみたいな照明があって。

音に合わせて光っていて。

光もまた踊っているようで。

どこか異世界のような、つよしさんの心象風景のような不思議な世界観。


この音楽に合わせて、最初何が始まるのかと思いきや…


窓枠に見立てたような「枠」の内側で

音楽に合わせて、パントマイム劇みたいな、コンテンポラリーダンスのようなものを始めるつよしさん。


最初のうち、つよしさんは座ったままで。

背中を丸めて縮こまったり。

頭を抱え込んだり。

その枠の中から上を見上げたり。


どこか彼がいるところが、現実世界と隔絶されている場所にいるかのようなイメージ。


そっか。

歌に集中するために、歌う時は直立不動だって言ってたな。

歌いながら踊ったり楽器を弾いたりもできないし、音楽にのって身体を動かすこともできない。


ふたつのことはいっぺんにできないから・・・


ソロコーナーではあえて歌わずに、無言で。

作りこんだ音楽と、それに合わせた動きやダンスで魅せてくれるコーナーなのだなと気がつきました。


まさかそんなシーンが展開するとはよもや思ってなかったので。

度肝を抜かれる客席。

固唾をのんで見届けているわたしたち。



「イノチトボクラ」のイントロのような音楽は。

二つのフレーズがセットになっているので。

いろいろなところから聞こえてくる声(チャット)のようでもあり。


つよしさん自身の心の中の相対する声のようでもあり。


でも、流れている音楽は決して暗くはなくて。

むしろどこかユニークでファニーで。


だからこそ、どこか、そこにいる彼自身に現実感がない感じがして。

つよしさんのビー玉みたな綺麗な瞳がさらにそういう感じを強くしていて。


ねえ、こちらの世界は見えてる?

心はちゃんとそこにある?

問いただしたくなるような。

なんだか見ていてとんでもなく切ないような。


追いかけていって、こちら側の世界へと引き戻したくなるような不思議な感じ。


あの部分が「イノチトボクラ」を意図したものだったとしたら。


つよしさんは狭い病室で何を思っていただろう。


この曲といえば、とても印象深い歌詞


「愛は覚悟だよ」はつよしさん、思い出したかな?意図したかな?


でも、何度でも言うけど、曲調はちっとも暗くなく。


ワウっぽいギターの音も入った、やわらかなサウンド・・・とも書いていて。


なぜかここで鳴っている音たちは、どれも嘆いている風でもないのです。


そしてだんだんにつよしさんの動きが大きくなって。

これはダンスだったんだ!というように、だんだんリズムや音楽に合ってきて。

つよしさんの音に対する集中力が伺われる動きで。

半分しか聴こえない耳で、ここまで「音」の特徴を的確に捉え、上手に使ったパフォーマンスができるなんて!と驚きます。


途中からワウギターやピアノの音、オトナっぽいもう一つの旋律が次第に主張し始めて。

こちらの方はコーラスの甘い声がふわっとかぶったり。

これがお洒落で都会的なジャジーな感じのフレーズで。

Shakatak風味!とメモってました(年がバレる、笑)


やがて曲調がさらに少しずつ変化してゆき。


だんだん(夜と昼の?)繰り返し?みたいなインストに変化していって。


やっぱり一見そこまで暗くはないけど、

どこかとんでもなく悲しくて。


どこか心を惹きつけられてやまない雰囲気。


ドキドキする。

心が痛い。


と。


あれ?知っているフレーズが唐突に出てきたぞ!

このインストの風味は…「si:」の頃のアルバムに流れていた雰囲気?

あっ!!

これは「PINK」のサビのバックに流れているフレーズそのまんまだ!!

いろいろと気づかされます。


もしかして朝(退院する日)が来たイメージ?


夜明けのPINKの空をイメージした世界観??


いつしかつよしさんは「窓枠」の中から外へ出て。


伸びやかな踊りへと変化してました。


ちょっと笑顔になったり。

少し誘うように「こっちへおいでよ!」と言い出しそうな動きだったり。

決然としたイメージだったり。


今回耳のことがあって、歌うときは本当に身じろきひとつしない感じで。

それがとても悲しくてせつなくて。


なのにこのソロコーナーに来て突然軽やかに動き出したから。


いつもよりももっともっと自由に見えたのかも。

開放的に映ったのかも。


ソロコーナーの手前までの自分の姿がどんな風に見えていたかを知っているような。

そこからこのコーナーに繋がり、動き始めたときにどんな効果を生むか。

全部まるでわかっているかのような、本当にドラマチックなパフォーマンスでした。


とにもかくにも、羽根を休めていた鳥が、また羽ばたきを始めたかのような。

思いきって飛び立とうとしているような。

そんなイメージが湧いてきて。


決してそれは後ろ向きなイメージではなくて。

覚悟の決まった前向きとでもいうような感じで。


見ているうちに胸がいっぱいになりました。


カメラに送る視線だけで、客席の視線を誘導したり。

表情ひとつで、見ている人の心を動かしたり。

それはそれは、アイドルつよしも、アーチストつよしも全部内包した。

魂の叫びとも言うべき雰囲気で。


ラストの方では、未来への覚悟と、確かな手ごたえのような雰囲気も醸していて。

彼のこれまでとこれからを、この短時間のパフォーマンスの中で再現し。

その覚悟のほどを存分に見せられたような気分になりました。

ここ、本当に凄かったです。


で。

誰かのレポを見ても、雑誌でもこのインストのことは誰もが「PINK」と言っているのですが。


わたしは「PINKでした。」とはちょっと言いたくなくて。

というのはPINK風味は多分に匂わされてはいるけれど。

そのものではない気がしたし。


「PINK」とくくってしまうには、そのアレンジとか曲調が、とんでもなく新しくて別物だったから。


ちょいちょいっとPINKをいじったというようなものではなくて。

本格的に新たに考え抜かれてできたインストなんじゃないかな?と思えたから。


彼がどこまで音作りに本格的にかかわっているかはわからないけれども。

最初の方の楽器の特性を生かしたアレンジとか。

もしも結構イメージを伝えて自分も汗をかいて作っていたとしたら…


今後またオケとの競演、オケも使ったアレンジとかもやってみて欲しいような気もするし。

相当おもしろいものができるんじゃないかというドキドキを感じたし。


もちろんそれだけじゃなくて。

リエーターとしての彼の凄さ以外や、もちろんもちろん演じ手としての凄さと。


そしてアイドルとして長年トップを走ってきた人の、惹きつけてやまない力。

これも最大限にいかんなく発揮して。

カメラをものすごく上手に使ったりなんかする部分にも生かされていた気がするし。


今できうること、使えるものを総動員して。

本気を出してこのコーナーを作りこんできたなぁという感慨。

「Topaz Love」の歌詞もそうであるように。

実体験も入った、いろんなものが凝縮された、スゴイものになってる感に震えました。


さらに。

つよしさんのダンスを見ていたら、さまざまな感情が押し寄せてきて。

本来ダンスってそういうものだということを思い出しました。


最近、ジャニーズの「まずはカッコイイことが一番の条件」みたいなダンスが当たり前だと思い始めてて。

でも実はダンスってそもそもそういうものじゃなかった!!ということを思い出したのです。


高校の演劇部時代に、後に劇団員になったものすご〜く才能がある親友がいて。

彼女の踊りがまさしくそんなだったなぁと思い出しました。

見ていて時に苦しくなったり。周りにお星さまが見えそうにメルヘンに見えたり(笑)

夢のようだったり、現実を突きつけられたり。


踊りってそういう側面もあったんだ。


今回つよしさんのパフォーマンスにも、その沸々とたぎる表現衝動があふれてて。

歌声で表現するのと同じくらい、動きだけで伝わってきました。

なんだか音の化身みたいでもあったな。


本来ダンスってそういうものだったなぁとしみじみ。

一旦捉われたら、そう簡単に逃げられない。


そしてそんな思いで茫然としていたら…


17.これだけの日を跨いできたのだから(つよしさん)


いきなりつよしさんがアカペラで歌い出すではありませんか!!

しかもこの曲!!

心臓の鼓動がとんでもなく早くなって。

うわぁ、どうしてくれよう!!という感じ。


もういい加減、前の曲で心をがっちり掴まれているところで、この曲は反則でしょ!!


つよしさんは先ほどまでのシンプルな装いの上から赤いロングの衣装を羽織っていて。


これがまるでshamaカラーのようにも見えて。


彼自身の魂が沸々としているのを現わしているようにも見えてドキドキが止まらない。

「悲惨な出来事なんて あるのがあたりまえじゃない。これだけの日を跨いできたのだから。」

今回ほど、この歌詞が沁みたことはありませんでした。


今のつよしさんが歌うと、あまりにも現実感がありすぎて…


ドラムと鍵盤と、ワウっぽいふわふわっとしたギターと。

前半はそんな感じ、最低限の音の中で、声がもっとも良質な楽器という感じ。


確か、歌詞をところどころ「愛」に替えていて。


たとえば「人生って愛を」みたいに。

「これだけの愛を跨いできたのだから」みたいに。

「愛を歌って泣いて笑って」みたいに。


とても心を揺さぶられました。


つよしさんの歌声は、まるで水の中をゆらゆらと漂うように・・・

切実と言うよりは最初ちょっとわざと感情を抑え目に歌っていて。


でも歌声はとても美しくて。儚くて。

他の曲と違い、身体も若干揺れていたように記憶してます。


デュオで一つの歌を形を歌おうとしているわけではないから

何が何でも相手と合わせなきゃな使命感も少しお休みで、物理的に少し楽だったのかも。


そして中盤から金管とかがひそやかに入ってきます。


初日はとてもスローに聴こえて、お台場の時のソメイヨシノくらいのテンポだと思ったのですが。

二日目はもうちょっとテンポが早く、流れがよくなっていた気がします。


いつ始まったかわからない、ひそやかに始まってcresc.してゆくロングトーンとか。

フェイクも普通に健在で。


でも絶唱ではなくて、どこか水の中を漂い、深くもぐってゆくような不思議な感覚があって。

つよしさんの現状を追体験しているようなイメージを持ちつつ

ちょっとでもその痛みを感じたいなんて思ったり。

目の前の人のその凛とした佇まいにただただ心打たれたり。


いろんな気持ちで胸がいっぱいになりながら聴いていました。



久々に聴けてとてもしあわせに思いました。


この曲の間は、つよしさんも身体の力がほどよく抜けていて、心の底から湧き上がる気持ちにままに、歌っているように見えましたよ。

そしてだんだんクライマックスに近付くに連れて、声が力強くなってゆき…


この辺り、計算しているわけじゃないかもだけど、絶妙でした。


どこの雑誌だったかに、お誕生日の日、腰から上半身を思いっきり反らして上を向いて絶唱しているシーンがあったけど。

あんな姿、東京でも見たなぁと思い、思わず買ってしまいました。


そしてもうひとつ。

この曲を聴きながら思っていたのは…


ヘッドフォンをしているから、今回、誰の目にも耳のことは明らかで。

忘れようもないけれども。


これまで彼が歩んできた道の中には、パニックとか、表からはそうとわからない症状の時もあったから。

客席からも何が起こっているのか状況が見えにくく。


あの時こそ、本当に孤独で、本当に本当に大変だっただろうなぁと。

なんだかこれまでのことがいろいろと蘇り、とんでもなく心が痛かったです。


一年前のアリーナツアーからのドームコンでは、街は別として…いわゆるソロの真骨頂的な曲は実はやってなかったなぁと思い出し。

今回初めて、KinKi Kidsのコンサートの中で歌われたのだなぁと気づきました。

しかも歌われた曲がこの曲だなんて。


いろいろな意味で度肝を抜かれましたが…

聴けてよかったなぁ、しあわせだったなぁとしみじみと思っています。


かと言って、毎回KinKiの公演で、それぞれのソロコーナーが聴きたいか?と言われたら…

実は個人的にはそれほどでもなくて。

KinKiとソロは別々の場所で全然いいと思う方ですが。

今回に関して言えば、見ることができて感謝!と思いました。


さて。


わたしは主に、ここ「ふぇるまーた」を自分の備忘録として機能させていて。

時々、これっていつの話だっけ?と後で読み返すことがあるのです。


今回の記憶を辿ろうとするなら、多分ここを真っ先に見るだろうと思い。

重複になりますが、元旦に触れたこの部分の感想を再度貼ります。


前に書いた文章を再掲なので、元旦に読まれた方はもう読まなくて大丈夫です。

便宜上、自分への覚書として、ここに置いておきます。

(多少上の文章とも重複するかも。)




今回あれ以来初めてのライブを見て…


試練がどんなにキツく、苦しくても…つよしさんがこの表現の世界からいなくなることは、きっとないだろうと確信したので。

もう迷うことはないと思います。

どうあれ見守り、応援するのみです。


つよしさんはまだ治療の途上だし、ものすごく大変だろうと思うし、心身共に辛いだろうし、苦しいだろうし、何より歌いづらいだろうと思いましたが。


ソロコーナーで生き生きとステージに立つその姿は、表現者そのものといった感じで。


何人たりとも、もうこの人から表現を取り上げることはできないなと思いました。

誰よりも彼自身のパフォーマンスそのものが「自分の立つべき場所はここ」と、とても雄弁にそう語っていたように思いました。


つよしさんんは根っからの表現者で、誰よりも表現に対して貪欲で。


たとえ膝や耳に深刻な故障を抱えて、その都度何かを失ったと感じたとしても。


今の彼に使えるものをかき集め、総動員して、きっとどうやってでも表現することに繋げていくのだろうと思わされました。

何からだって、どんな素材からだって芸術を創り出してゆくのだろうと思わされました。

彼自身の本能はどうしたって表現せずにはいられないし。

一度表現を創り始めた時点できっと我を忘れ没頭しているのだろうと思われ。


ある意味「どうやったって魅せてやる!」という宣言とでも取れるような強烈なパフォーマンス。


見ていた瞬間は、彼が聴こえづらいだろうな?大丈夫かな?なんて思っていたことも完全に忘れさせられていて。

もうその世界観に夢中。

激しい慟哭に見えたり、天使のように無垢に見えたり。

窓枠ひとつで不自由そうに見せたり、それを外すことだけで、心まで解き放たれたように見せたり。

そしてその感情が、音楽とぴったりと合う。

リズムをとても正確にキャッチする。

光をも味方につける。

ちょっとした小道具をとんでもなく効果的に使う。

カメラを見上げる絶妙なタイミングとその視線。

アイドルのプロとして長年培い、知り尽くしているカメラワーク。

オーケストラの各楽器を、ひとつずつ、あんな風に効果的に使うなんて!!

あそこでしかできないパフォーマンス。


しかもそんな繊細なある種の無言劇をしているのが、東京ドームで。

5万8千人が息を詰めて見守っているのに。


本人はもう世界観の中に入り込んで、まったく客席なんて目に入ってないくらい集中してる。


そして、見る人をどうやってでも惹きつけてしまう。

見る人の視線を逸らさない。


まんまと胸を鷲掴みされて、ひれ伏しているところへ。

畳みかけるような「これだけの日を跨いできたのだから」。


この歌は本当に、生まれた瞬間から日が経つにつれどんどん育っていて。

また一回り大きくなった感じ。


わたしの見た前半の二日間だけでも…

初日より二日目と、どんどん自由度が増し、フェイクやロングトーンが増え。

進化していくのが見えた気がしたのが…

今日のレポを見ていたら、最終日はさらなる進化をしていたようで。


ほんとうにもう、完敗!!


望むところだけど。


初日のMCで。


ウソをついてもしょうがないから。と、耳の調子に少し触れてくれたのですが。

お医者さまに

「いつ治るか、どこまで治るのか、全然治らないのか。」

大きく3つに分かれることになると言われたそうです。

「僕のこの先の人生はそのどれかのピースにはまる。

でもこうやってオーケストラの皆さんとやったりして。

未来に進んで音楽をやっていきたい思っている。」

というような、聞いている方がとんでもなく苦しくなるようなことを言いながら。


一方であんなスゴイ才能を見せつけて来て。


ああ、どうあれ、この人の思うまま。

彼がこれから先もやっていきたいと願うなら、黙ってついていくという選択肢しか浮かばない…と。

こちら側も覚悟を決めさせられたような気になりました。