ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 ルナ先生の命の授業

昨日の夕方。

いつも通りピアノを教えている間に猫のルナが旅立ちました。

20歳でした。

金曜日はピアノのレッスンが立て込んでいて。

4時半から6時半まではほとんど休みなくレッスンをしていました。


最後にルナを見に行ったのが4時過ぎて、そこからは生徒がひっきりなしに訪れて、なくなっているのを見つけたのが6時半頃。

あいにく7時には次の生徒が来ることになっていたので、取り乱す暇もなく。

今となってはそれがかえってよかったかも?と思い出しています。

なんだか舞台の途中で亡くなったEndless SHOCKのコウイチが思い出しつつ。

わたしも「Show must go on」だったのでありました。


見つけた瞬間は、まだ少し身体が温かかったので、多分まだ境界を越えたばかりだったのだと思われます。

旅立ちの瞬間にいてあげられなかったのは少し残念ですが、本当にいつも通り。

ピアノの音や子どもの声を聞いたりもして、家族の存在をちゃんと感じつつ旅立ってくれていたらいいなぁと思いました。


そもそもうんと具合が悪くなったのが、先週の水曜日あたりで。

木曜日に病院へ行って、肺に水が溜まり、水を抜くことはできても、もう治すことはできないと宣告されました。

オットが迷わず「連れて帰ります!」と言ってくれたことは今でもありがたい判断だったなぁと思っていて。


というのは、前回ミントが亡くなった時は病院で。

きっとまだ戻ってくるだろうと思っていたら、いきなり「今朝がた亡くなりました!」という連絡をもらい、とても後悔したからです。


その前のネコのプリンはマレーシアで皮膚病になり。

人に移ったら大変なことになる可能性があるからと安楽死を選ぶことになり。

これはこれで、今思い出しても涙が出る出来事で。


さらに結婚してから初めて飼った初代のネコのステラはマンションの16階から、鳥を追いかけての転落死でした。


そんなこんなで、大切な飼い猫を歴代ちゃんと見送れていなかったわたしは、折に触れて元気なころからルナにお願いしていました。

「どうぞ、最期のその時まで、ちゃんとお世話をさせてね。」…と。


肺の水を抜いてもらったら、一瞬だけ、少し元気そうになりました。

とはいえ、またすぐに溜まりつつあるのがわかり、やっぱり呼吸は徐々に苦しそうになってゆきました。


悪くなるたびに水を抜いてもらいに病院へ行けば、一時的にはもうちょっと楽だったかもしれないとも思わないこともないですが。

何度も何度もそうやって苦しくなる過程を人為的に経験させるのもどうかなぁと思ったり。

元々病院は嫌いな猫だったし。

具合が悪いのに、キャリーに入れられて、何時間も病院で待たされるのはかわいそうだったし。


家にいることが何より大好きで。

もうかなりの高齢ということもあり、彼女がなるべく心地よく過ごせるように気をつけながら、家で看取ることを決めました。


それがよかったのかどうか、今でもよくわかりませんが…

少なくとも彼女は最期のその時までとても穏やかで。


だんだんにその場所から動けなくなってからも日々おだやかにうとうとしながら過ごしていて。

一旦はごはんも水も一切口にしなくなったものの。

寝たままでも水が飲めるように、口の小さい押すと水が細く出る容器で水を飲ませてみたら、少量ずつではあるものの、喜んで飲んでくれて。

えさは、スプーンに1杯くらい舐めるように味わったり。

そんな様子で1週間以上がんばってくれました。


彼女は常に大好きな場所だったわたしたちの寝室のデスクパソコンの下の狭い隅っこにいて。

そのうちにそこに毛布を敷いて、だんだんにペットシーツを敷くようになってもそこにいると安心するようで。


最後の3日くらいはトイレにも行けなくなり、ペットシーツで排泄したりもしていましたが…

そんなに苦しそうではなく。


洗濯ものを干しに行けば、首を傾けてわたしがしている作業をじっと見ていたり。

多分ピアノ部屋の真上だから、なくなる直前まで、日々、ピアノの音も聴こえていただろうなぁと思っています。


ベッドメイクをしたり、洗濯物を片付けたり、掃除をしたり…

さまざまな生活音がする場所でうとうとしているのは、きっと本当にいつも通り、彼女にとっての日常で。


通るたびに、家族みんなが撫で回したり、声を掛けたり。

大好きな耳の下を掻いてあげるとうれしそうに目を細めたりもして。

決してひとりぼっちでもなかったし、さびしくはなかったと思います。


昨日の午後もいつも通り、水を飲ませ、ひとしきり撫でられたあとは、眠りながら小さく寝言でニャーニャー言ったりもしてました(笑)


「最期の時はどうぞ見守らせてね!」の約束を守ってくれたかのように

ほんとに最後の最後までそばにいさせてくれて、いろいろと世話を焼くことを許してくれました。


わたしはたまたまこれまで人の死にも動物の死にも、身近でがっつりと向き合ったことがなくて。

想像の中の死はどんどん怖いものになっていました。


それが今回たった1週間ちょっとでしたが、本気で向き合わざるを得ない状況がやってきて。

たまたま夏休みでレッスンの時間がばらけていたこと。

キャンセルできる予定ばかりだったこともあって、ほとんど家を空けずに、ルナを中心とした生活にすることができました。


本来なら明日の朝、平安神宮のライブとくっつけて、オットと京都を旅する予定でしたが、思わぬところでそちらが先にキャンセルになり。

もちろんそれがよかったとはよもや思いませんが・・・


もしも予定通り行われていたとしても、ルナの状況がわからなかったので、きっと行くことをあきらめることになったと思います。


巡り合わせの不思議を思いつつ。


つよしさんの耳の不調も。


それに伴ういろいろなことの大幅な予定変更も。


そして突然にやってきたルナの不調も。


次々といろいろ思いもよらぬことが起こる、本当に過酷な胸が痛いことばかりの夏で。


でも、自分の努力の力ではどうすることもできない。

起こっていることに自分の予定を合わせていくしかない日々でした。


途中、やっぱり彼女の死の気配が突然に怖くなる日も多々あって。


それこそ病的なまでに、30分おきくらいに、ルナのいる場所をのぞかずにはいられない日々が続いたり。

夜も少しの物音でも目が覚めて、このまま知らない間にこときれていたらどうしよう…と眠れなくなったり。


買い物もおちおちしてられないくらい神経質になったりもして。


かと思うと、弱っていくルナを見るのが怖くなって、少し離れたところから眺めるだけで、触れずに引き返してみたり。


すごくいろんな葛藤もしましたが…


なぜかそのたび、ルナがやさしく呼んでくれているような感覚があって。

「怖がらないでおいでおいで〜大丈夫だから」


「もっとさわって。もっと撫でて。」


そんな風に導いてくれたような感覚がありました。


そっか。

いつものルナだ!!

全然大丈夫。


うん。ルナもいつも通りなら、わたしも平常心でいるよ。


そんなことも教えてもらいました。


毎朝、近所の氏神さまや、うちのなんちゃって神棚?にも手を合わせてました。

「どうぞ最期のその瞬間まで、彼女がそんなに苦しむことなく、穏やかにいられますように。」

「彼女にとって一番いいタイミングで、迎えに来てあげてください。」

そんな風に徐々にうっすらと覚悟を決めつつも。


なんだか言いえぬ恐怖感も常にあって。


日ごろはあんまりテレビをつけないのですが、一人で家にいて、音がないのが怖くて、テレビをつけっぱなしにしたりもしました。


我が家はわりと常に人口密度が高い方ですが、ここのところは、一人になるのが怖くてならず。


たまには一人になりたいとかいつも思っているくせに、こういうときばかり調子いいんだから!と自分に苦笑したり(笑)


一人暮らしの友人たちや、シングルマザーの友人たち。

みんな心身ともに自立して、しっかりと一人でなんでもやっていて。

本当にすごいなぁ!偉いなぁ!と心から尊敬の念を抱いたり。


一方でわたしは本当に弱くって。

一人では何もできないし、こんなに一人が心細いなんて…ととても苦しくなったりもしました。


でも、今回ばかりは助けて〜っ!!と誰かに言うのも違う気がして。

自分の気持ちくらいはせめて一人で受け止めよう…と、ずっと一人で閉じこもってました。


そんな風に、ある意味かたくなだった中でも、電話をくれた友人もいて。

こちらの言葉数が極端に減っても、気にせず日常のメールをくれたり。

どした?と聞いてくれた友もいて、とてもありがたかったです。


そうこうするうちに、好きな音楽たちも「聴けない」とか言ってる場合じゃなくなって、つよしさんやKinKi KidsのCDもガンガン聴くようになっていたし。


関ジャムも何度リピートしたかわからず。


ブルーレイも暇さえあれば見てました。


まさしく彼らに「しがみつくように」だったのかもしれないけれど、どうしようもない苦しい気持ちを黙って癒してくれる存在は、やっぱり圧倒的に「彼ら」でした。


ソロの音源では「Grateful Rebirth」や「TU」や「ロイノチノイ」はよく聴いていて。


本当に苦しい時にこそ、これらの命の歌の数々が心にまっすぐに届くなぁと実感したり。


「いまあなたと生きてる」についてつぶやいたら、その日にラジオでこの曲をつよしさんがかけていて。

ああ、シンクロしているとうれしくなったり。


Endless SHOCKの「大桜」のシーンが何度も何度も思い出されたりもしました。


「TU FUNK ALL STARS」の動画もアップされて増えていくたび、何度も見ていて。

愛だけで成り立つ世界の美しさと、純粋に音楽が組み上がっていく過程のわくわくと。

NO MUSIC, NO LIFE.」の精神と。


いろいろな意味で、とても癒されたり、励まされたりもしていました。


最後のその日は、小中学校の新学期が始まった日でもあり。

またレッスンの時間がいつも通りに戻りました。


自治会の班長なので、月初は朝から広報を配って回ったり、回覧板を回したり。


子宮がん検診の結果を聞きに行く日にも当たっていて。
(無事、異常なしでした!)


家計簿の更新や、銀行を回って残高照会をするというのも月初と決めていて。


やることが次々でてきて。

よりによって、一番忙しい日に当たってしまいました。


とはいえ。


いい意味でやっと肩の力も抜けてきて、そんなに頻繁にルナに張り付いてはいないものの、要所要所はおさえて、一緒にいる時間もちゃんと持てたし。


ルナ先生も『もう大丈夫!そうそう。そのくらいでちょうどいいの。』


そう思ってくれたかも。


病的でもないし、ちゃんとほどよく見守れてるよ?と思ってくれていたらいいなぁと思います。


そんなこんな、安心して『命のレッスン』は終わっても大丈夫だなと判断して、新学期のスタートのこの日、旅立って行ったのかも?と思ったりもしました。


昨日はまた、とてもとても楽しみにしていた平安神宮のライブの初日になるはずの予定だった日でもあって。

後々ルナのことを思い出すとき、きっとこの夏のいろんなことが、一緒にいっぺんに蘇るのだろうと思います。


穏やかな顔をしているその身体は、一時期毛づくろいができなくなって、毛玉だらけ、艶がなくなってかわいそうだったのが、みんながこの1週間、交互に何度も撫でまわしたせいか、なぜか毛づやがよくなっていました(笑)


マレーシアのチャイナタウンのペットショップで、兄弟たちと一緒にたくさんでおりに入っていたルナ。


まだ毛が黒くなっておらず、グレーの小さな子猫だった彼女が一目で気に入って連れて帰ったのですが、その時のことは切り取った写真のように鮮明な記憶で。

まだアネが2年生の時だったのですが、それからずいぶん長いこと時間を共にして。

やがて日本へ本帰国になったとき、一緒に日本へやってきました。


マレーシア生まれで、空の旅をして、はじめから日本にいたかのような顔をして20年も生きました。


人間の年に換算すれば96歳だそうで。

大往生でした。


最後の日々の途中で、散々めそめそしたり、動揺したり、苦しくなったりしていたせいか、一晩経って、だいぶ落ち着きを取り戻しています。


脳内BGMは「Heart Disc」がエンドレス。


うん、Heart Discにちゃんと刻まれているから大丈夫。


ルナ!本当によくがんばったね!

お疲れさまでした。

また逢おうね!!

先に逝ったコたちに一足先に逢ったら、よろしく言っておいてね!!


昨夜は寝室の隅っこの彼女を何度も触りに行きましたが、今日の午後、20年お世話になったルナの身体とはお別れです。

ほんとうにお疲れさま。

きみを愛する胸は灰になっても
消えたりはしない
これからもいつの日も 
愛し合おう

です。

天国では、息苦しさからも解放されて、すでに走ったり飛んだりしてるかな?

ありがとう!ルナ。

次もしあわせな猫として生まれ変わってきますように。


長々と、日記の更新も止まってしまい、ごめんなさい。

落ち着いたらまず溜まっているメールの返信からさせていただけたらと思います。


勝手に黙って滞らせてしまい、友人のみなさま、本当に失礼しました。


たくさん拍手コメントもいただいてますので、レスもしたいと思っています。

銀魂ももう一度くらい行けるかしら。

止まっていた時がやっと動き出しました。

9月も大事に過ごして行けたらと思います。