- 作者: 三浦しをん
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/10/30
- メディア: 単行本
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シリーズ三作目。
作者は三浦しをんさんです。
2作目までは出てすぐに買ったのですが、この3作目だけは文庫が出たらにしようと思っていて。
そのうち忘れてしまったのですが、先日図書館で偶然見つけて借りてきました。
図書館の返却期限までは2週間もあるし、ゆっくり読むつもりが、あまりにもおもしろくて、寝る間も惜しんで468ページ、ほぼ一気読みしてしまいました。
わりと最近ドラマ化や映画化もされたので、そのイメージが強くてタレントさんの顔が浮かぶかなぁと思いきや、わたしは本が先だったせいか、そうでもなかったです。
そして、この三作目では、これまでの2作に出て来た便利屋のお客さんたちがたくさん出てきて、ずいぶん前に読んだ本なのに、みなさん強烈なキャラ揃いのせいか、たちまち旧友に再会したような懐かしさでいっぱいになりました。
どの人もなかなかのくせ者で(笑)変人ばかりなのですが、とっても魅力的な方々でもあって。
言ってること、行動パターンが、昔からちっとも変わらないなぁと苦笑したりしつつも、どのキャラクターも生き生きしてて。
しをんさんの小説に描かれる「人」がわたしはとても好きなんだということをあらためて思い出しました。
誰もが聖人君子ではないにしても、極悪人でもなく。
無駄に自分と違うタイプの人を毛嫌いしたり、どこまでも追い詰めたりもしない。
自分の流儀はきっちり持っているけれど、自分なりの道徳倫理もちゃんとあって。
自分さえよければよしとはせず。
助けてもらった借りはちゃんと返すし、ここぞと言う場面で、とっておきの励ましの言葉を投げたり、助け合ったりもできる。
まほろ市に住まう、さまざまな人々。
大人も子どもも、老人たちも。
レストランを経営している未亡人も、法に触れるか触れないか、ぎりぎりの稼業で荒稼ぎしているおじさんたちも。
娼婦もヤクザもおまわりさんも。
バスの運転手さんも、あやしげな宗教活動をしている人たちも。
みんながみんな、この町で一生懸命生きてるんだなぁ〜!なんて(聞いた風な某セリフ風、笑)
しみじみとほほえましく感じながら読みました。
この「狂騒曲」の特徴として、多田さんと行天が幼児のはるちゃんを預かることになるのですが。
最初はほんとにしぶしぶ。ムリ!絶対ムリ!という感じで強引に預けられることになってしまったのに。
いざ、はるちゃんが来てみると、いろんな新しい関係性が生まれ、関わり合いになる登場人物たちの行動も、なんだかとてもほほえましくて、ほっこりしました。
そしてこの子との生活によって、思いもよらぬことに、多田の日常に彩りと潤いがもたらされ。
行天をこれまでずっと抱えてきたトラウマから救うことにもなるのです。
この子との生活がほぼ軌道に乗り始めた頃、多田が抱いた気持ちの描写がとても心に残りました。
仕事をしながら、日常的にお世話しなくてはならない子どもを引き受けたことで、夜も十分に眠れず、腰も痛くて、身体も心もくったくたになりながらも、こんなことを思っているんだなぁという描写です。
はるは多田に、新しい世界を教えてくれる。喜びや腹立ちや楽しさやさびしさ。なんの変哲もない日常に、豊かな感情が宿っている事実を、あらためて気づかせてくれる。
多田にとってはるは輝かしい相棒だった。
ここ、すごく好きでした。
そして、このはるちゃんの描写がまた素敵です。
おままごとをしているときの、ひとりふた役の会話。
多田さんや行天とのおしゃべり。
トラックの荷台や、便利屋さんとして行っているおうちの隅っこを借りたお昼寝。
ちっちゃな心のさまざまな揺れ。
あり余る元気。
かわいい勘違いの数々。
それらは、はるちゃんの体温までもが伝わってくるようなリアルさがあって、知らず知らず、多田くんと行天、彼らを取り巻く友人たち、仕事場で出逢うさまざまな人の心の凝りをほぐします。
彼らの友人の、娼婦のルルとハイシーが、はるちゃんがかわいくて、ヒマさえあれば連絡してきて、自分たちのチワワと一緒に遊んであげたり、お世話をしたがったり。
仕事をしに行った先の変人のおじいさんが、はるちゃんを見るなり、さすがに相好を崩して手放しでかわいがったり。
おばあちゃんにおにぎりをもらって、お行儀よく、はるちゃんがうれしそうにほおばる描写。それを見てほっこりしている多田さんの描写。
現代社会は余裕がないうえに、核家族化とか防犯とかさまざまな問題があって、生活の中に子どもが入ってくることがほとんどない人も多いと思うのですが・・・
こんな風にいろんな人との関わりができることで、めんどくさいことも増えるかもしれないけど。
一方で、子どもにとっても、そして関わった大人にとってもさまざまな化学反応を生み。
社会が健全化していくんじゃないかな?・・・みたいなことを漠然と考えたりしていました。
そして誰もが心に傷があったり、トラウマを抱えていたり、辛い現実があったりする中で。
何かをきっかけにヒントを得たり、新しい世界へ飛び込んだりもできるのだなぁと、なんだかとっても気持ち良く読めました。
そのきっかけのひとつが、この物語では「小さい子」だったわけですが・・・
子どもは恐れとか遠慮とかためらいとか・・・時として、そういうものを好むとこの好まざるによらず、軽々と飛び越えさせてくれるところがあるから。
飛躍的な変化が起きたようにも思えるし、結果的には大団円になってよかったです。
総じてこの巻では、行天の過去がつまびらかになり、いかに彼が小さい頃から苦悩してきたかがわかります。
そんな中、自分と同じように親に巻き込まれた宗教絡みで、がんじがらめにされている少年に行天が贈った言葉がよかったです。
「正しいと感じることをしろ。だけど、正しいと感じる自分が正しいのか、いつも疑え」
ここはとても心に残りました。
そして、ちょこちょこ描かれていく、まったく別々のサイドストーリーが、やがて、一つの事件へと終結していくのですが。
この辺りのドラマの描き方が、さすがしをんさん、とてもとても上手です。
今までの登場人物たちが、ぐっちゃぐちゃにどんどん絡み合って、さらに事件をややこしくしてゆきます。
一体、誰と誰が敵なんだか味方なんだか、闘っているんだかなんなんだか?・・・という大混乱が大団円に収まる終盤は、時に脱力しつつ(笑)とてもわくわくしながら読みました。
みんなやっぱりどこかヘンだけど、どうしてこんなに魅力的なんだろう(笑)
そして、誰もがどこか人にちゃんとやさしくて、やっぱりムダに追い詰めたり苦しめたりしないです。
職種や年齢、表稼業か裏稼業かに関わらず、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉を、何度も何度もイメージしました。
そういうところがこの物語全般を通して、いつも流れているテーマで。
人っていいなと思わされます。
そう考えるとこの本は、現代社会に疲れた心のカタルシスでもあり。
ちょっと大げさに言えば、わたしにとっては、「希望の書」でもありました。
今回特に、ジェットコースターのように、どんどん出来事が散発的にあちらこちらで起こって、多田さんはとてもとても忙しいのに。
そんな最中、彼の恋愛も動き出します。
よりによって、こんなややこしい時に!!
と思わなくもないけれど、意外とそんなものかもしれないなぁと思ったり。
忙しいから恋愛はできない!!なんてことはないのだなぁ(そりゃそーだ、笑)
そしてそして。
付かず離れずだった行天と多田との関係性も、より強固になるような出来事が!!
その辺り、あんまり書いちゃうと、万が一これから読もうという方の邪魔になっても悪いので割愛しますが・・・
ラストの多田さんのこの文章がとても好きです。
「しょうがない。厄介事を抱えこみ、人々の暮らしのなかで生きていくのが便利屋だ」
わたしはこの「便利屋」のところを「町のピアノ教室」に置き換えたり。
「家庭の主婦」とか「おかあさんという種族」に置き換えたりもしました。
厄介事を避けて、誰とも関わらなければ、一見すると、心の平安が保たれるように思えるかもしれないけど。
きっとそうじゃないんだなぁと思います。
人はやっぱり人と関わりながら、変わってゆく生き物だし、時として無理くり変わらされる・・・と憤慨しつつも、結果的には大きく考えれば、きっと生き生きしていくのではないかしら。
誰かをワルモノにしたり、誰かを「素晴らしい!」とわざとらしく祭り上げたりしなくてもいい。
人はみんなどこかヘンだし、どこかにトラウマを抱えているのだし。
何か一つや二つは臑に傷を持っている。
でもでもでも。
きっとそれもまた魅力のひとつ。
そんなことを思わされた本でした。
そういえば、この本はドラマや映画にもなっていて。
いい意味でそれらは、ゆるくっておもしろいと思っていたのですが。
原作は、決してゆるい話ではないように感じます。
むしろスピード感があって、人を飽きさせないようなイメージも持って読んでいて。
どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、料理する人の感性が入ることによって、また違うイメージができあがるのもまた、おもしろいなぁと思いました。
ああ、楽しかった!!
元気になりました。
またがんばろう!!