ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

この世界の片隅に

この映画は、以前からどうしても見たかったのですが、最初、上映している映画館がとても少なくて、なかなか見ることができませんでした。

今回、見終わったあとでアンケートに答えたら、上記の絵葉書をもらいました。

コンサート会場や映画館などで、しばしばアンケート用紙が配られることがありますが「ぜひぜひ答えたい!」「この気持ちをどうしても作り手に伝えなければ!」と思ったのも久しぶりでした。

周りの方々もそうだったみたいで、みなさんなかなか席を立たず、たくさんの方がアンケート用紙に鉛筆を走らせておりました。

葉書には、上映館が最初は63館だったこと。
口コミでどんどん増えていって、今では累計200館にまで増えたことが書かれてありました。

この映画が口コミで広がったわけは、実際に見たら一目瞭然で。

わたしもとても人に勧めたくなりました。

映画の公式サイトはこちらです。

当初はメディアでもあまり取り上げられず、上映館もとて少なく、いろいろと苦戦したそうですが、作品の良さが口コミでだんだんに広がり大ヒットになったそうです。

主役のすずさんの声をあてた「のん」ちゃんがまた、すずさんの声にとてもぴったりでした。

普段のおっとりとして、どこかひょうきんな広島弁の語り口のところも、後半であまりの運命の過酷さに徐々に限界を越えて、行き場のない怒りに震える時の迫真の演技も、とてもとてもよかったです。

そして同じくらいベストマッチだと思ったのが、コトリンゴさんのオープニング曲です。
そよ風のような、ふわっとしているのに、とても伸びやかな声で歌われる「悲しくてやりきれない」がもうほんとにこの映画にぴったりで。

あまりにも合い過ぎているから・・・ラストにこの曲が流れたら号泣モードになりそうでイヤだなと変なことを思っていたのですが、ラストでは流れず、ラストそのものも、号泣モードになるようなトーンでもなく。

ちゃんと希望が生まれるラストで。

見終わったあとに「ああ、ほんとうに救われない(涙)」という気持ちにはならなかったところもよかったです。

主人公のすずさんは戦争の時代の広島で生きた人なので、この映画にはたくさん戦時中の描写が出てきますが、だからと言って決して「戦争映画」という趣ではなく。

ことさらに「泣かせよう」として作られたような映画でもないので、「ほたるの墓」のような、見ていてとことん辛くなるような映画を想像して敬遠されている方がいたら、全然違うから見てみて!と強く言いたいです。

生活の中に戦争は否応なしに入りこんで来ますが、終始、ひとりの女性の暮らしや日常がテーマになっていて。
おっとりとしたすずさんが巻き起こす、さまざまな日常にくすくす笑ったり、まるでサザエさんちびまる子ちゃんか?と言ったような、一家のほのぼのとした描写のシーンも少なくないです。

無理矢理そう見せようとしている感じでもなく、すずさんや家族の日常を追いかけていたら、そうなったという自然さです。

実際「ええ?なんで?」とびっくりされるかもしれませんが、わたしは前期の超人気ドラマ「逃げ恥」のことを思い出しながら見ていて、一見まったく趣が違うふたつのお話の核の部分にある、共通点のようなものをぼんやりと感じ、後でゆっくり考えようと心に止めつつ見てました。

それはもしかしたら、主人公のすずさんが、夫になる人の顔も知らず、婚家の名字さえろくろく知らずに嫁いで、だんだんに心を通わせていく過程が描かれていたからかもしれません。

ドラマ「逃げ恥」が、意外と見合い結婚も多かった高齢者層にうけていたという記事を読んだことがあるのですが、この映画を見てみたら、その心がちょっとわかったような気がしました。

嫁いだすずさんと旦那さんが、過酷な時代のなかで、ひとつずつ一緒にいろいろなことを乗り越えながら、だんだんに心を通わせていく。
それも大切なテーマの一つのように思えました。

たまには疑問や不安も抱きつつ、とんでもない命の危険にさらされ、おびえながらも、徐々に仲むつまじい夫婦になっていく過程は、世代を超えてきっと普遍的なんだなぁなんて思いつつ。

そしてその映画の中の日常には、古き佳き日本の景色や心がたくさん描写されていて、懐かしいとほっこりしたり、ああ、どこへ行ってしまったんだろうとせつなくなったり。

見える景色やしきたりだけじゃなく、日本人の日本人たる自然と誰にでも礼を尽くす誠実なところや、隣近所とも普通に助け合う精神とか。
ていねいな家事、工夫をこらすことをいとわない心とか・・・

そんな昔の話じゃなくて、わたしが生まれるほんの数十年前の話なんだなぁと思うと、複雑な気持ちも抱きました。

文字通り「この世界の片隅に」きっとこんな家族もいたんだなぁ。彼女たちの暮らしの延長戦上に、わたしたちもいて。
彼女たちが想像を絶するほど過酷な戦争の世をくぐりぬけ、一生懸命に守りつないでくれた命を、日本という国を・・・わたしたちは大切にできているだろうか?

そんなことも思わされました。

物語の性質上、話が進むにつれ、否が応にも「戦争」がどんどん忍び寄り、生活を一変させていくのだけれど、そこに住む人々の暮らしぶり、特に主婦の日常はどんなにまわりが変化していってもやはり淡々と続く毎日の繰り返しで。

日々ご飯を作り、掃除をして家族を送り出し、ご近所に回覧を回したり、お当番をしたり。

やがて食料が減り、配給になっても、配給が減っても、やっぱり日々の生活は毎日同じ繰り返し。
ものがないからと言って、いちいち腐ってもいられない。
手に入れられるものがあるのなら、がんばって手に入れるし。
あるものでできるうちはあるもので作るし、配給がさらにどんどん減っていっても、ことさらに嘆くでもなく、淡々とないもので工夫をしながらごはんを作る。

たまに大失敗をしたり、まずいものができちゃっても、まあまあまあ・・・と家族みんなで笑い飛ばして明日へとつなぐ。

すずさんの日常の景色の中には、普通に「呉」の軍港が見えていて、お義父さんや夫も普通に海軍に関連した仕事に携わっていて。

戦争が切羽詰まったものとして語られるというよりは、お義父さんが日本の軍船を作る技術に誇りを持って目を輝かせて「仕事」のことを語るシーンや、姪っ子が毎日広がる景色を見ながら普通に軍艦の名前を言っていくシーンは、まるでオトートが小さい頃、線路際の道路に張り付いて電車の種類を得意げに語ったり、見て喜んだりするシーンとなんら変わりがないように思えました。

すずさんは絵が大好きで、スケッチブックに日常を描くシーンがたくさん出てきます。

そのスケッチブックにまつわる印象的なシーンをひとつ。

彼女が家のすぐそばにある段々畑の中に立ち、港に寄港している軍艦の絵を描いていたら、憲兵が追いかけてきて、スケッチブックを取り上げられてしまいます。
家族にも「この女はスパイかもしれないから、ちゃんと見張っているように」と厳しい言葉を残して帰っていきます。

ところがそんなシーンでさえ、ただただ恐ろしい場面としては描かれておらず。

憲兵が帰るまで神妙な顔をしていた家族が「この子のどこを見て、スパイに見えるというのだ!!」「ありえないでしょ。」と、口々に、そろいもそろって、涙が出るほど笑い飛ばすのです。

そういうところが、とてもほんとっぽい。

とんでもないことでも、笑い飛ばす賢さのようなことにホッとする。
そういうシーンもたくさんありました。


わたしたち映画を見ている人たちは、先の空襲だったり、やがて落とされる原爆だったり、待っている敗戦の日のことを知っているから、ドキドキやきもきしながら見ているわけですが、前半の場面では、あたりまえですがその時代を生きている人にとっては今がすべてで。

逆に「この頃はまだこんな感覚だったのかもしれない!」とリアリティーを感じました。

開戦したあとも、すぐに激戦になるわけでもなく、ほんとうに戦時中なの?というシーンがあるかと思えば、だんだんに空襲の回数が増えていく過程も淡々と追いかけていて。

どんどん空襲が激しくなるシーンでは、当時の毎日のお天気と、当日の空襲の回数が淡々と朗読されるのですが、その事実の重さ。恐怖。

市民が何もしらない間に、気がつけば戦争の影が忍び寄り、遠い世界のことのように思っていたら次第に巻き込まれ、気がついたときには、なすすべもなく命の危険にさらされてしまう恐怖。

昼夜を問わず鳴り響く空襲警報に人々が振り回され、命の危険にさらされている間も、小さな生き物の世界は変わらず営まれていて。
空にはとんぼが飛び、砂糖に蟻がたかり花は咲き・・・季節の針は進んでゆく。
同じ地面の上で起こっていることとは思えない大きなギャップ。

映画に出てくる広島や「呉」の景色は、小さい頃山口県に住んでいたわたしにとっては、とても懐かしさを覚える場所で。
さらに、おとなりのおじいちゃんが隣県にもかかわらず、原爆の光を見ていたり、おじいちゃんの友達が原爆病で亡くなっていたり。
土地柄小さい頃からわたしもあちこちで話を聞いたり、反戦教育をたくさん受けてきたので、戦争がいかに怖いものかは身にしみているのですが・・・

今回あらためて空襲の描写を見せられて、遠く軍港が爆撃されるのを恐怖とともに見ていたら、次第に爆撃の範囲が広がって、次々と段々畑にも、家の中にまでも焼夷弾が落とされるシーンとか、アニメとはいえ、映像で見せられて、戦争の描写が心底怖いと思いました。

とはいうものの、この映画、どう思うかは見る人に委ねられていて、押しつけがましいところがまったくないし、戦争はイヤだ!!してはいけない!!と声高に登場人物に言わせるようなシーンも出てきません。

もちろん見ているだけで、戦争なんて絶対に嫌だ!懲り懲りだ!という気持ちになりますが、それは「わたしの思い」であって、画面から押しつけられるような感覚にはならないのも新鮮でした。

要は見る人の感性に任せられた映画で、極端に説明も少ない映画でした。

たとえば最後の方で、すずさんの広島に住む妹をお見舞いに行くシーンが出てきますが、妹さんの手に「青あざ」があって、寝付いているシーンの描写だけ。
それがどういう事実を示しているか、わたしたちの世代なら、ああ、原爆症!(涙)とわかることも、もしかしたらアネ世代くらいの子たちにはわからないかもしれません。

でも、それすらことさらに説明をしていません。

いつか「ああ、もしかしたらあのシーンはそういう意味だったのか!」とわかる日が来るかもしれないし、見た人が疑問に思えば自分で調べるかもしれない。

それはどこまでも見る人に委ねられているところもいいなぁと思いました。

よかったらぜひぜひ、映画をご自分の目で確かめてみてくださいね。

本当にオススメです。

と、ここまで読んでも、あんまり映画を見るのは気が進まないなぁと思う方は、ぜひぜひ下記の文章を読んでみるだけでも・・・

我が家はこっちが先でした。

大事なところのネタバレは一切されてないので、どっちが先でも大丈夫です。

そもそもが、一度見たくらいじゃ伏線やら細かな暗示にも全部にたどり着けてない気がするし、2度、3度と見たいと思わされる映画でした。

その文章、こちらは、オットがいつも聴いているラジオ「たまむすび」にて、町山智浩氏が映画評のコーナーで、赤江珠緒嬢たちとトークしたものの文字興しです。

このトークをたまたまラジオで聴いて、オットとわたしは、どうしても見てみなければと思ったのでした。

よかったらぜひぜひリンク先に飛んでみてくださいね。

そしてもうひとつ。

こちらはクローズアップ現代で1月12日にこの映画が取り上げられた番組です。

これもまたとてもいい番組だったので、リンクを張らせていただきました。