ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

ENDLICHERI☆ENDLICHERI 10周年

この間、確か2月1日だと思いますが、ツイッター界隈で、ENDLICHERI☆ENDLICHERIは10周年!!とみなさんがつぶやいてらして、ああもうそんなに経つのかとびっくりしてます。

なんかいたよね〜キャラクター!!

ってことで思い出の扉を開いてみると・・・

ありました!ありました!


いやいやいや。それは似てるけど。
蚊取り線香立てだから!

むふふ。



ああ、なつかしい!!
これは友達がガトードボアさんのケーキに書いた「くーさん」でした(笑)
なんだか大きな通り沿いにできたガトードボアさんに連れて行ってもらったんですよね〜
これはどの年で、どのライブの翌日だったかしらん?
あまりに奈良に行き過ぎていて、記憶がとっても曖昧です(恥)




そしてそして。

おっ!!これはやっとホンモノのそれなんじゃないの?

となりにいるのはのだめカンタービレのキャラクターですけれども(笑)

ああ、なつかしいな。



そしてこれこれ!友人が作ってくださった、手作りのくーさん。
お仲間が全国の友人宅に散らばってるはずのこのコです。

我が家のコは、ずっとピアノ部屋のグランドピアノの上に飾ってあって、ご機嫌を損ねて泣いてしまった子を慰めてくれたり、和ませてくれたりしている働き者です。
ちなみにとなりには、やはり同じ友人作のかわゆいベレーを被ったカバさんがいらっしゃいますが、これは「カバ2」を求めてますよ〜の意思表示です。
洋楽のカヴァーも聴いてみたい気がするし、あえて日本の名曲集、たとえば美空ひばりさんとかのカヴァーも聴きたいし。
KinKiでなら王道ジャニーズ名曲カヴァー集を出せるならKinKiでしょっ!!という気持ちもあります。


さて。

やっと本題。

ENDLICHERI☆ENDLICHERIが始まって10年と聞いて、もうそんなに?という気持ちと、まだそのくらいか・・・という気持ちの両方を抱きました。
このプロジェクトが始まって以来、ずっとずっとそばにある音楽だからかもしれないですが、距離感がもはやわからなくなってます(笑)

ただし、我が家の子ども達の10年前とかと考え合わせてみると、その月日の長さに愕然とするわけですけど。
たとえばオトートの10年前は中学生になったばかりだし、アネの10年前は高校生です。

そして10年を経て、FUNKというジャンルとも仲良くなってきたなぁと思う今日この頃。
少なくとも10年前は、町でFUNKナンバーがかかっていても、テンションがあがるなんてことはなかったような気がするし、16ビートの刻みだけで心躍る日が来ようとは、とうてい思ってませんでした。

そう考えると、本当に思えば遠くに来たもんだ〜♪という気持ちになります。

さて。

せっかくなので、これを機会に、当時の「ふぇるまーた」では何を書いていたのかを検索してみました。

これが2006年2月1日の日記です。

ああ、進歩がないなぁ・・・というのが最初の感想でした(笑)
ついでにくっついで出てきたレッスンのなんやかんやを見ても、テレビ誌チェックに余念がないところも、そしてCD発売にわくわくしているところに、突然に降って沸くチケット問題!!
(泣笑)

やってることがほんとに変わってないではありませんか!!

そして当時のふぇるまーたは改行が少なく、めっちゃ読みにくいです。ダメダメ(笑)

さらに。

もうちょっと日にちが経って、2月4日のこの日記あたりは、とっても生々しくMステの感想を書いてるのですが、今と比べるともっともっと感情がむき出しである意味「イタイ日記」を書いていたんだなぁとしみじみしちゃいました。

実を言うと、多分わたしの中身はあんまり変わってませんが、最近よくも悪くもいろいろな人の声を推し量ったり、いろいろな人の気持ちに、自分の気持ちを寄せすぎてしまっていて。

あんまり素直な気持ち、「むきだしのわたし」を発信できてないなぁとちょっと反省しました。

そっか、こういうのがつよしさんの言うところの「あちこちに気を使い(つよしさん的に言えば「やさしく」かな。わたしは全然やさしい人ではないけれど、むふふ。)過ぎると個性がなくなってしまう」のくだりなのか!!とわかったような気持ちになってみたり。

全然レベルは違うけど。

そしてそんな感情の流れがあって、当時の曲をいろいろと聴いていくうちに、いろいろと発見がありました。

たとえば最も単純に思ったことは・・・今のFUNKという音楽に慣れ親しんだ耳と心の状態で、もう一度「tank」にタイムマシーンで戻って、当時のまんまの音を聴いてみたいということだったり。

これ、本当にもったいないことをしていると思うのです。

つよしさんが言うところの「ぽっかーん!!」な状態で、かなり大事なところを聞き逃しているような気がしてなりません。
今だって全然十分ではないけれども、もうちょっといろいろと聞き分けられるようになった耳で、あのバンドの生音を聴いてみたいです。

イントロダクションのENDLICHERI☆ENDLICHERIは1も2も、もう一度生でしっかりと味わってみたいし。

当時聞き分けられなかった進化とか、こんな音あんな音が、絶対違う風に聴こえてくるものと思われます。
今の耳で当時の音・・・聴いてみたいものだなぁ。

さらにさらに。

インストつながりで言えば「The Voice in My Heart」を久々に聴いて、泣きのギターに仰天しました。こんなんだっけ?
まだまだ今と比べたら全然荒削りにも聴こえるけど、このひたむきに向かってくる音はまさしくThe Voice in My Heartなんだろうなぁ〜
全力で今の持っている力でできることを全部やってやる!的なアグレッシブな感じもあるし、なんといってもその音のひたむきさに打たれます。

一方で、今のつよしさんでこれをもう一度鳴らして欲しいという気持ちも沸々としてきます。

あの頃のも強烈に惹き付けられたけど、今、同じモチーフを弾いたとしても、もっともっとパワーアップして、洗練された音になっていることでしょう!!
両方聴いてみたいなぁと思う今日この頃。


そして、その流れで「Coward」からスタートして、再度いろいろと紐解いてみると、この頃の特徴的なことってなんだったんだろう?と考えるに、たとえば「濡れ鼠」だったり「a happy love word」だったり、「16」だったり。

美しく在る為に」だったり、めちゃくちゃむき出しで刺さる曲が多かったんだなぁと改めて思ってみたり。

それはソメイヨシノにも言えることで、なんだかとっても心がちくちくして、絶対に触ったら火傷しそうなのだけど、でも触れずにいられないような、そんな切羽詰った感情を運んでくる歌声で、音楽たちでありました。

今回これらの曲を久しぶりに聴きまくってみたら、やっぱりとてもとても魅惑的で。

たとえば「美しく在る為に」の

心の皮膚をはぐ

なんて言葉!簡単には出て来ないぞと思ったり。

欲張り花は咲かないわ
欲張り花は枯れてるわ

なんていう表現とか。

信じる力は繋がるわ
清い抵抗は繋がるわ

なんて言葉のなんて強いこと。

たとえば「a happy love word」の

輝かしい自身を 素晴らしいあなたを ぶつけ合いたいのに 誓いは風がさらい 約束は海の底だ・・・

とか。

「16」で言えば

夕暮れが16を刻み あくる日を引きずり込みます

もすごいし

さっき観た綺麗な雲を塗潰すわ オレンジカッティング

と続くのもスゴイです。


もうちょっと後になって出てくる曲だけど「OH!LRAD!」の

世の中が 愛が死んでいく

の刺さること。

「I want the Real thing! きみ 信じてるはfake!」
「I want the Real thing! きみ すがってるはfake!」

以下同文!

この言葉たちの重さは今の時代にもとてもとても効いていて、というよりも今の時代だからこそ効いている気もして。
やっぱり彼はいろんな意味で何歩も先に行く人だし、勘所が素晴らしいんだろうなぁと思ってみたり。

普段は温かい曲、耳障りがいい曲も大好きだし、美しい声が生かされたものだったり、ソフトにオブラートにくるまれたもの、何より彼が穏やかなしあわせな気持ちに包まれていることを望んでいるファンなので、そういう曲もとても愛してるし、好んで聴く傾向もあるのですが・・・

今回に限り、なんだかそういう痛みを伴うものをなぜか選んで聴いてしまうわたしがいて、今回のこの過去への旅はわたしにとってはとてもレアで大事な旅になったような気がします。

歌の表現で言うと「Rainbow wing」の最後みたいな、天井を破ってしまうんじゃないの?ってくらいの熱唱もまた聴いてみたいなあと思うし。

彼自身の楽器の演奏もまだ途上な感じがするところもあるし、バンドのみなさまも徐々に参加し始めたばかりでまだまだ手探りな感じもあったりして。
これからまとまっていく途上かも?と思う曲もありますが、生々しくて重機のように重たくまっすぐに向かってくる音や声の直撃具合が半端ないです。

ああ、これはこれで本当に魅力的だなぁと思います。


それにしても。

ファンテンションはほとんど変わっていないのに、最近、特に彼のソロごとに関しては、とても語りづらくなったように感じています。

なぜそうなったかと言うと、ひとえにあまりにもチケットが取りづらいという現実がある気がして。

それがとても残念でなりません。

ここ数年、ストレスなく取れたチケットってあったかなぁ?と考えるに、ほとんどなかったことに気づきます。
ソロライブも小喜利もチケット取りのことを考えるだけで胃がぎゅーっと締め付けれるように痛いです。
圧倒的に彼の「人気」と「箱」が合っていないと感じるし、常に探している人がいる状況を見ていると、どんどん無口にならざるを得ません。

「取れた」とも「取れない」ともうっかり言えない気がしているし、取れたとしても「もっと行きたい」なんて思うことも憚られる雰囲気で、どんどん内にこもってしまいます。

でももちろん、彼ごとがすべてではないけど、かなりの時間、彼の音楽を聴き、彼のことを考えたりもしているので、仲良しさんと直接逢えば、いっぱい曲やライブの話もするし、盛り上がったりもするのですが、なんだか日記に書くのをためらってしまう現状があって。

実際にここ数年「参加できないことがどんなに哀しいことか」というような個人的なメールが、メールフォームからびっくりするほどたくさん送られてきたというのもあると思うけど。

(こんな辺境の地の小さなサイトのメールフォームであっても、そういう「はけ口」という側面も担っているかも?と思っていたのです。
それがあるから、なかなかに閉じる勇気がなかったし、今も本当に閉じてよかったのか、単にわたしが弱いだけじゃないか。もっとできたんじゃないか?・・・なんて思い始めると苦しいです。)

当たり前だけど、誰だって切実だし、誰だってとてもとても行きたいのです。

それなのに、毎回手に入らない方が多いことをとても残念に思うし、なんとかならないかなぁと思います。

事務所もやっと重い腰を上げ、すでにいくつかのコンサートでは顔認証制度を導入して、誰もがなるべく1公演は取れるようなシステムを作ろうとしてくれているみたいですが・・・

まだまだいろいろな欠陥はあるにせよ、誰もが平等に参戦できるようになるのなら、わたしは基本賛成かな?と思っていて。

ただし、行く気満々で申し込んでも、状況が変わることはいくらでもあるから、行けなくなった場合に、チケットを一旦返却して、また売ってもらえるようなシステムがあったらいいなぁとか。

新規で「たとえば行ってみてよかったら、あらためてファンクラブに入ろうかな?」という人にはチャンスはないのか?という問題もあるし。

実際そういう「生でたまたま聴けたから」というきっかけで足を踏み入れる人って意外といるんじゃないかと思うのです。

ああ、なんだかなぁ。

それよりなにより、つよしさん関連だと、やっぱり真っ先にして欲しいのは、キャパの大きなところでライブ・・・かなぁと思ったりもしていて。

ツアー全部がそうじゃなくても全然いいのですが、たとえば昨年みたいに、せめて一公演くらいはアリーナ規模でやってくれるとか、そういうのがあったらいいなぁと思います。

欲を言えば、西と東で一度ずつとか。せめてそのくらいは大きな箱のライブがあると全然気持ちが違うのになぁと思うのです。
箱が大きければ新規の人も誘いやすいし、何回も入れなくても、望んだ人みんなが一度でも入れれば置いてきぼりにはならないし。

たくさんの人と共有できた思い出はこたえられないしあわせにつながる気がするし。

何より昨年のツアーの初日のような大きなライブが、彼だってバンドのみなさんたちだって、きっとしたいんじゃないかな?と思われるのに。
そしてその場には居られなかったけど、きっといつかと思っているわたしのようなファンは、きっとたくさんいるはずだと思うのですよね。

元々はつよしさんのファンは、いろいろとむずかしい局面を何度もくぐってきているから、かなり譲り合いに長けたやさしい人たちが多いと思っているのですが、それにしてもチケットがなさすぎて、譲り合いができる状況ですらないような。

「行けないならせめてどんな雰囲気なのか知りたいからレポを探そう!」とか「ブルーレイになるのが楽しみ!」とか言えるうちはまだいいと思うのですが、度を越すと「さびしくなるかからファンの人が集まっているようなところは見に行かないようにしよう」「ブルーレイを観るとさらに行けなかったことが辛くなっちゃうから少し離れよう」になっちゃいました・・・なんて話を聞くと、本当に残念でなりません。

さらにさらに、さっき新しいチケットシステムのところでも触れた話と一部重なりますが・・・

10年前もチケット関連は厳しかったですが、ここ数年の「ファンクラブ」でほとんどのチケットが終わってしまう現象を考えると、興味を持ってもほぼ新しい人たちが入り口を入ってみる余地がなくなってしまったのも気がかりです。

実際オットや音大時代の友人の中には「ちょっと見てみたい」と言ってくれる人が結構いますが、ファンですら手に入らない人がたくさんいる現状では、とても外部の人を誘ってみようかな?なんて言えません。

そういうちょろっと新規さんとかがバンバン体感できたら、ファンも増えるだろうし、売り上げも増えると思うのに。
何よりご本人がそれを望んでいるだろうと思うのに、とてもとても残念です。

そんな問題点も孕みつつ、10年の時を経て、E☆Eから始まったFUNKなつよしさんの旅は、今後どのように進化していくのでしょう。

とっても個人的なことを言うと「OH LORD!」の最後のところ「僕は愛になる」というところが大好きで。
苦しみも痛みもすべて連れて、愛に昇華するその過程を、わたしたちファンにも体感させてくれている気がするし、みんなだってできるよ!とお手本を示されているようでもあるし。
今の時代にこそ絶対に必要な、さまざまな要素を孕んでいると思うので、まだまだこれからも、どんどん進化しつつ続いていくといいなぁと思っています。

わたしはKinKiもまた大好きで、どちらにも垣根を感じる方ではないと思っているのですが、一見真逆に見えて、相反するものではないと思っているし、どちらも応援して行きたいです。

ちなみに・・・

ここからは余談中の余談ですけど(笑)

ちょっと前に友人たちと「つよしさんのバンドメンバーに友達や自分をたとえるとしたら、誰だと思う?」というとっても楽しくも罪のない遊びをしていたのですが(笑)

たとえばだれだれはKenKenじゃない?すっごく自由で温かいもの!とか。
だれだれは名越さんだね!無口だけど、音がキラリと光ってるイメージ!とかね。

そんな話のつれづれに「じゃ、レインは?」と聞かれたので、思うままを言ったら「意外だわ〜!」と言われました。そうかなぁ?

ちなみにわたしが自分自身で似ていると思い、心を寄せているメンバーさんはサックスのかわ島さんでした〜。

同じAB型っていうのもあるかもしれないけど。

彼の「わたしはわたし」な超マイペースな感じとか。
でも、一見した感じよりもずっとハートフルな音とか(げほげほ、失礼!笑)

思いっきりジャジーな感じに振れたと思いきや、いつぞやかのフルートを持ったときの清潔な音!・・・という多面体な感じ。
ほんとは熱い人の一面もありそうなのに、一見フラットで感情変化がさっぱりわからずらい感じ(笑)

そして他のみなさんやつよしさんとも、ちょっと色が違っていて、ちょっとだけ距離を置いて立ってる感じも含め、なんだかとっても親近感を感じるんですよね〜むふふ。

もちろん音楽の実力ははるかかなた、遠くにいらっしゃる素晴らしいプレイヤーさんだし、見かけとはぜ〜んぜん違うかもだけど。
そう見えるってだけの遊びですから!・・・ええ、遊びです(笑)

さてさて。

みなさんはバンドメンバーさんにたとえるとどなたですか?
そんなことを考えたことはありますか?