ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

  TU FUNK TUOR 2015  10月8日&9日 東京国際フォーラム いきなりの番外編!

最終日は前日と同じメンバーでスタートしました。
特に最終日という気負いもなく、前日と同じように茶の間トークのようなMCと、隙のないとってもカッコイイ音楽とのコントラストがとてもおもしろくて、あっという間に時間が経ってしまいました。

前日に、もしかしたら最終日はその日出る予定がない方も飛び入りされるかも?みたいなことを言ってました。
そしてそのとおり、屋敷豪太さんと、SWING-Oさんが飛び入りで、アンコールからステージに上がられました。
屋敷豪太さんは、ステージに上がられる直前までお客さんとして客席からご覧になっていたそうです。

なぜか拡声器を片手に最後の挨拶をしてらした彼は

「今、こんな風にFUNKできるバンドは、日本で・・・というより世界でもないと思います!」

と話していらっしゃいました。

需要はいくらでもあると思うのですよ。
知られてないだけで。
かつてのギター少年だった同世代とか、洋楽好きの昔少年少女たちとか!
もちろん若い方たちの中にだって、こういうジャンルが大好きな人はきっといっぱいいるはずなのに。
圧倒的に回数が少ないので、チケットがほとんど世に出ないうちに、ファンにすら完全には行き渡らない間に終わってしまいます。

そのことがとても残念です。

と、ここまでは一見普通の感想風ですが・・・

本当は両方まとめて、ちゃんと流れに沿って書き始めようと思っていたのですが、どうしても真っ先に書きたいことがあってどうにもこうにもあらがえない状態に陥ったので、最初に書くことにしました。
東京フォーラム最終日のある場面について主に書きます。
これは本当に個人的な「どうしても言いたいこと」で、いつも言っているようにレポでもなんでもないのはもちろんのこと。
普遍的な感想でもなくて、もしかしたらわたしが勝手にそう思っただけかもしれない・・・くらいの話ですが、その辺をご理解いただいたうえで、読みたい方だけ読んでいただけたらと思います。
とりあえず、音楽の話題はさておき・・・

(っていうか「ふぇるまーた」のクセに音楽をさておいちゃダメなんだと思うのですけれども、どうしても書きたかったのです、笑)

この日のライブを見ていて、ここのところわたしがずっと頭の隅っこで考えていたことに、とっても大きなヒントがもらえたような気がしました。

仕事上の悩みだったり、政治の行く方向を見て懸念していることだったり、オトート絡みの心配だったりした・・・

「生まれも性格も個性も能力も体力も違う人たちが、どうやって社会の中でみんなでうまくやっていくか」という問題についてです。

答えの一端がおぼろげながら見えたような気がしました。



というのは・・・



目の前でレベルの高い音楽を繰り広げていらっしゃるあの方たちは、17人もいるので、たとえるならひとつの「社会」のようでもあり。

たとえば優等生もいれば、授業中でも立ち歩いちゃうような好奇心旺盛な人もいて。

しゃべりたがり、絡みたがりもいれば、寡黙な人もいて。

自然と真ん中に立つリーダー的存在の人もいて。

上手にみんなを交通整理ができる人もいて。

おっちょこちょいで心優しい人もいるかと思うと、すごくいい場面なのに、途中でこらえきれずトイレに行っちゃうような人もいて(笑)

思慮深く見守るタイプの心強い人もいれば、パワーの塊のように、まずは行動という人もいて。

「ヘンな人」が褒め言葉で。

ガキ大将もいれば、にこにこと少年のような瞳で場を和ませる人もいて。

年代も様々だけど、そんなことはまったく関係がなくて。

いろんな人種の人がお互いに思い遣りながら仲良く共存していて。


みんな全然違うのに、ちゃんとそれぞれの人の気持ちに寄り添うことができて。

誰の痛みも自分の痛みとして感じることができるから、誰かが痛そうにしていると、みんなが痛そうな顔になる。

誰かがうれしそうだと、みんながにこにこと笑顔になれる。

そして「ここぞ」という「場」がくると、誰もがマネじゃない、自分だけの才能とその世界観を遠慮会釈なく発揮できて。

いい空気に満ちているからこその、素晴らしいものが次々と生まれて。

誰が創造したものであっても、みんながみんなの創り出した世界を自分のことのように喜び合える空気があって。

誰にもちゃんとその人なりの役割があって、それがとても尊重されていて。

個が集まって素晴らしい塊になって。

表に出ている人だけじゃなくて、縁の下の力持ちの存在が自然と想像できる空気もあって。

みんながみんなお互いに感謝の気持ちを持っているのが伝わって。

ただただそこにいるだけでしあわせで。

ただただそれを見ているだけでしあわせのおすそ分けをもらったような気持ちになれて。

だからと言ってその小さい世界だけでは決して完結してはいなくて。

排他的でもなければ、定員もなく・・・誰でも受け入れてくれそうな懐の深さがあって。

まさしく理想的な世界観は、創りうるのだと知れたことがただただうれしくてしあわせで。

そんなことをずっとつらつらと、心の奥で考えておりました。



たまたまツイッターで目にしたシミーさん、ギターの清水ひろたかさんの前日のツイートにはちょっとだけびっくりしました。

「誰からも愛されてないような気がしていた」とおっしゃっていたのです。
で、ありながら、最近は人の愛情を感じるのだと。「ありがとう、がんばろう」と。

この言葉はとても刺さりました。

こういう気持ちに、わたしもわりと最近までなっていて、とてもとてもいろんなことから逃げ腰だったので、その気持ちが痛いほどわかってしまいました。

そんな清水さんが、最終日の自己紹介の時「つよしくん、ありがとう!」とだけ、短く2回言ってらっしゃったその言葉に・・・万感が込められているような気がしてなりませんでした。

もちろん前日のあのツイートすべてがこのライブ関連ではないかもしれませんが、多分彼の気持ちを変えた一端にこのライブやこのメンバーたちのことが頭にあるのは確かだと思うのです。



そして、ひとつ信じられる場ができると、その場所を支えや足がかりにして、他の場所へ行っても人を信じられるようになる気がして。
そういう風に人ってヤツはできているような気がして。

それはステージだけの世界ではなくて、客席から見守っていたわたしたちとておんなじで。

清水さんのあの言葉は、わたしの思いでもあり、みんなの思いでもあり。

このひとつの場所から、自分の世界へと・・・個が集まって世界はできているわけだから、ひいては世界中に広がっていけば、争うことなく、みんなが安心して暮らせるのに・・・
この空気をみんなが持ち帰れば・・・もっともっと世界は自由で生きやすい場になるんじゃないか・・・
な〜んて。

壮大なことを壮大に思っていたことを告白しておきます。



さて。



最終日のアンコール後のMCの中で、つよしさんは18歳から24歳くらいまでの間、ほとんど記憶がない・・・という話をしました。
一年に3回くらいしか休みがなかった・・・と淡々と言ってました。
だから今や未来のことは歌えても、過去のことは覚えていないので歌えない・・・というようなお話を。

その話は長くファンをやっていれば、一度は聞いたことがあるものですが、何度聞いても本当に気の毒だし、哀しい話だと思います。

なによりも気の毒だと思うのは、皮肉にもほとんど覚えていないという人は、日本中を見渡してもご本人だけだと思うのです。

当時の彼は知らない人がいないくらいの超有名人で超人気者で、表舞台で八面六臂の活躍をしていた頃で。

この日、会場に集まったすべての人たち、ステージに立たれたすべてのメンバーさんたち、裏方さんたちも含め、誰も当時の彼は誰の心にも強烈な印象を残しているはず。

なのにあんなキラキラの中にいた当のご本人だけがそのことをほとんど覚えていないだなんて。
本当になんて痛ましい。



そんな話が繰り広げられている中、時間になったのか、ひとり、またひとりとメンバーさんたちが話しの途中に割って入るように、次々入って来られます。

DUTTCHさんが「ええ声出てたわ〜っ!!」とにこにこと言いながら、つよしさんのお尻に触れつつ定位置へ。

さらにタイジさんも、まるで親戚のおっちゃんみたいににこにこと、やっぱりさわりながら通り過ぎていきます。

つよしさんは「なんなの?きのうといい、今日といい、ボディータッチが激しくない?」と半ば茶化しておりましたが、多分そのみんなの気持ちは痛いほど感じていたのではないかしら。


その後から入ってきた渉くんは、つよしさんとしばし目線を合わせて、なんとなくバトル勃発的小芝居をしたあとで、不意に距離を思いっきり縮めて、あれ?この雰囲気は?と思わせる近づきっぷり(笑)

そこからこそこそと2人で何か言い合って・・・

つよしさんがネタばらし。

「これはチューする流れなの?」と渉くんに聞いたら「しなくてもいいんじゃないですか。」と渉くんが言ったのでやめた!!と(笑)

ここ、仲良しさんのおふたりにほっこりしつつも爆笑の流れだったのですけれども。



表に見えているところと彼や彼らやわたしたちが感じている「真意」みたいなものはちょっと別のところにあるような気がしていました。


普段から飲み会などで、誰かが悲しい話をすると、みんなで泣いたりするという話をしていらっしゃるこの方々の、誰にでも寄り添い、誰の気持ちにもなれる感じを目の当たりにした気がしました。

メンバーさんたちは、裏でつよしさんの話を聞いていて、きっと心の中でつよしさんの痛みを、一緒に強く感じていたんじゃないかな?いろいろと思うことがあったんじゃないかな?

そんな風に思いました。


つよしさんはあえてそこを強調しなかったけれども、メンバーさんたちが言葉じゃないところでつよしさんに伝えたかったであろうことを、実はちゃんとわかっていたように思えてなりませんでした。

このボディータッチや、みなさんの表情には、言葉にできないやさしさとか、思いやりとか、キミのことはみんなちゃんとわかってるよ!大丈夫。ここにいるよ・・・そんな空気が満ち満ちていて。



その後で歌われたのが「今あなたと生きてる」なわけです。

「世の中誰もが痛みやどうにもできない過去を抱えて生きてます。そういう人の背中を押してあげられたら」
「誰かの痛みや苦しみは全部は理解してあげられないし、その人にしか解決することはできない。」
「大切な場所や人を思い浮かべて聴いてもらえたら。」

と、この辺りは多分ほとんど決まり文句で、違う日のライブでも聞いたくだりですが、この日は否応なしにつよしさん自身の痛みや過去が浮かんで、彼の言葉をそのまんま彼その人に投げてあげたいような、そんな気持ちで聞いていたら、なんだか瞳に涙が浮かんできてしまって参りました。

この目の前で繰り広げられたできごとを目撃したあとで、この歌を歌われた日には、この曲が沁みないわけがなく。

そのまんまあのホーンのイントロが流れただけで、すでに涙腺が決壊!あっか〜ん!!



いつ以来だろう?と思うに、多分「水声」の時の「春涙」以来だな。

つよしさんのライブでは、よく号泣している人を見掛けるし、感動するのはよ〜くわかるのですが、わたし自身はわりといつも「音楽的な楽しさ」だったり、表現の素晴らしさを「音楽」という側面に強烈に惹きつけられて見ていることが多いので、わりと感情的になりすぎずに見ている方だと自負してます。
でもこの日この場面は、いろんな想いがあふれてしまって、なすすべがない・・・という感じになりました。


あの場面はずっと覚えていて、これからも「わたしはもしかしたらひとりかもしれない。」と思いそうになったとき、折に触れて思い出すんじゃないかと思います。

きっと気がついてないだけで、誰もひとりなんかじゃないのだと思うのです。



ラストのラスト、シミーさんが「つよしくん、ありがと。」と言ったのとタイミングを同じくして、タイジさんが「これからもつよしくんをよろしくお願いします。」と言ってらしたのがとても印象的で。

またしても、頼もしい親戚のおっちゃんみたいだ!とほっこり(笑)
あんなにギターの上手なパッションのあるおっちゃんはなかなかいないと思うけれども、タイジさんもすっかりともう仲間の一員で。
もちろん他のみなさまも。

ほんとによかったね〜つよしさん。

「愛をしてる」「愛をしたい」とひとりマイクに向かいながら、涙で歌えなくなったあの頃の彼はもういません。

今はたくさんの愛に囲まれて真ん中で堂々と笑顔で立ってらっしゃいました。


ちなみにもう一箇所だけ、堪えきれず涙を拭いた場面があったのですが、それはバンマスの「じゃがいもの袋」の話の時で、笑いすぎて涙が出て止まらなくなったのでした。

ぬぐってもぬぐってもまた笑わされて、涙が止まらなくて往生しました(笑)

いろんな意味で久々に泣かされたライブでしたよ!

というわけで、どうしても真っ先に書きたいことをやっぱり書いてしまいました。

感情的過ぎる文章だったかしらん。
書いておいて言うのもなんですが、ちょっと恥ずかしくなりつつ・・・でもやっぱり書かずにいられなくて・・・書いちゃったよ!失礼しました〜♪(書き逃げ!笑)