ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 吉野弘さんのこと

まだまだ書きたいことがいっぱいあって、さらに久々の水曜日のお出かけ話についても書きたいのですが、だんだんに整理していきます。

まずは時系列に…ということで。

ちなみに色が変わっている部分にはリンクが貼ってあります。よかったらクリックしてリンク先に飛んでみてくださいね。
(時々、どこに飛べばいいですか?的なことを聞かれることがあるので、ほとんどの方がご存知とは思いますが、一応説明しておきます。)

先日たまたまクローズアップ現代を見ていたら詩人、吉野弘さんの特集をやっていました。

この方は大正15年生まれで、すでに亡くなられているのですが、彼の詩が現代を生きる人々の間で静かなブームになっているのだそうです。

最初はお名前を聞いても全然ピンと来なかったのですが、見ているうちに、ああ、あの詩の方だと気がつきました。

「夕焼け」という詩です。

どんな詩かはここで読めます。
ぜひぜひリンク先をのぞいてみてくださいね。

この詩をわたしは、国語の教科書で読みました。
同世代の方々なら記憶にある方もいらっしゃるのではないかしら。

ちょっとせつなくて、ほろ苦い気持ちになるこの詩のことは、ずっと心に残っていたのですが、すっかり記憶の隅っこに畳まれたままでした。

そして、このところずっとひっそり悩んでいたことに、ちょっとだけ答えをもらったような気がしたので、日記に書き残しておこうと思いました。

ちなみに、吉野弘さんで検索してみたらこの方についてのまとめサイトもできてました。

まだちゃんと隅々まで読めていないのですが、とても興味深かったので、紹介しておきます。

さらに、大好きな合唱曲の中にも、彼の詩があったなぁと思い出しました。「真昼の星」という曲です。
この曲は、当時ママさんコーラスをやっていた母に頼まれて、一緒にピアノの鍵盤を叩きながら、譜読みを手伝っていて出会いました。

女声合唱組曲「心の四季」という曲集です。作曲は大好きな高田三郎さん。

この歌の詞もとても美しいです。

「真昼の星」は太陽が燦々と輝く日中の光の中では見えないけれど、いつもちゃんとそこにあって、ひそやかに静かに輝いている…というような詩でした。

サン・テクジュペリの「星の王子さま」にも確か「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」という言葉がありましたよね。

あれがほんのり思い出されるような気もするし…
もっと単純に考えればですけど、まがいなりにも?(笑)おかあさんをやってる者としては、おかあさんってヤツもまさしく真昼の星なんじゃないの?と思ったり(笑)
ひそやかかどうかは別として。わはは。


そしてどうしても彼の詩をもっと読みたくなったので、これも買おうと思います。

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

吉野弘詩集 (ハルキ文庫)

ちなみにこの日のクローズアップ現代は、この公式サイトでほぼ全文文字で読めるので、ご興味がある方はどうぞごらんになってみてくださいね。

このサイトに飛ぶと、最初に「不完全な人間を愛する」と大きく副題がついていて。

このページの吉野さんの紹介文のところに

人間は不完全な存在であることを認めたうえで、生きる意味や他者とのつながりの大切さを様々な詩でつづってきた吉野弘さん。

と書いてあります。

この文章は吉野さんの素敵さを表しているだけでなく、現代を生きるわたしたちにとって、とても大切なキーワードだと思いました。

そして、わたしが番組の中で一番心に残った部分は、吉野さんの書斎から見つかったという次の文章です。
この文章や、前後の経緯についてもリンク先で詳しく読めます。

“人間は、その不完全を許容しつつ、愛し合うことです。
不完全であるが故に退け合うのではなく、人間同士が助け合うのです。
他人の行為を軽々しく批判せぬことです。
自分の好悪の感情で、人を批判せぬことです。
善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。”

こういうご時勢なので、人とのかかわりって本当にむずかしいなぁと感じることが多いです。

特に最近、社会全体として、すごく自分に甘くて人に厳しい世の中になってきた気がして…

何かを見てどう思ったかを容易に発信できるツイッターフェイスブックのような場所があるから、時としてとんでもなく生々しく無遠慮なひとことが撒き散らされたり。

そもそもSNS系の発信って、小さな画面を開いて、ボタンひとつで気軽に送信できるから、一見内緒でこそっとつぶやいているように錯覚するけど、実は全世界に向けて発信していて…

わかりやすく言えば、回覧板で地域に「わたしはこう思う」と文章を書いて、平気で回しているようなもの。
いえいえ。そんなもんじゃなくて、渋谷のスクランブル交差点に立って、拡声器を持って語っているようなもの。
いえいえ。もっと言えば、全世界に向けて「みなさん見てください!」とテレビで訴えているようなもの。

鍵なんてしてたって時と場合によっては簡単にはずれてしまうし、何か事件に巻き込まれれば、その人の断片として、ニュースやワイドショーにも事細かに簡単にさらされるのですよね。

今までは、自分のことも人のことも、誰かが考えていることは、そこまで知ることも知られることもなかったですが、今はそれがわかる手段があって、同じ女性でも、同年代でも、同じ学校に行っていても、同じ職場で働いていても、同じような兄弟構成でも、考え方は本当にそれぞれだということが、徹底的にわかるようになってしまいました。

そんな中、誰とであっても、一歩踏み込んだ付き合いをすることはとてもむずかしいし、答えが出ないことが多すぎる世の中です。

ましてや外国の方とだったり、宗教観が違ったりしたら尚のこと。

人と人が、もっと言えば、国と国、地域と地域が分かり合うことは容易なはずがありません。

でもでもでも。

たとえ何かを発信するには至らなくても。
気の利いた一言が何も出てこなくても。
たとえ「夕焼け」の詩の女性のように、結局何も行動できないで、心の中だけで痛みを嚙みしめたり、行動ができない自分を歯がゆく思ったりしながらも、そのまんま終わることがあったとしても。

誰かの気持ちを想像し「心を寄せる」ということはとても大切なことなのだろうなぁとしみじみと。

一見見ないふりをして通り過ぎたようでも、「見なかったことにする」のと「心だけはちゃんと相手に寄せていること」のとでは、やっぱり大きな違いがあるような…そんな気がしてきました。

祝婚歌」とか上にも挙げた「夕焼け」とか、吉野弘さんの代表作もたくさん紹介されていますし、この日のクローズアップ現代はいろんな意味で興味深い回だったので、紹介してみました。