ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 玉置浩二さんと「戻ることが未来」

いろんな方に読んでいただきたいという思惑の元(笑)書いたら、ちょっと意味深なタイトルになってしまいました。
中身はそんな作為的には書いていませんので、どなたのファンの方も…長いですけど、お暇な時にちょっと読んでみていただけたらうれしいです。
昨年は一年を通して常に本命氏の動きに常に心を奪われいていたので、タイミングがむずかしくて触れ損なっていましたが、玉置さんファンとしても、とても充実の一年でした。

春のツアーは初日と最終日にライブ参戦が叶って、その進化っぷりに感動したし、何より昨年は、玉置さんの心の安定と心根の温かさがストレートに音楽に反映して、素晴らしく包容力のある歌声、そして音を鳴らしていました。

その正直さゆえに、ただ身勝手な人だと思われてマスコミや一般の方々からサンドバックのように叩かれたり、細やかにあちこちに気を遣うからこそ、どうにも動けなくなって立ち往生したり、気持ちがついて行かず身体や心を病んでしまって、さらにそれが誤解を生んだりもしたけれど、今の玉置さんはいくつかの山を乗り越えて、ようやく進むべく道を見つけつつあるように見えます。

本来彼が持っている情が深いところ、懐の深さが表に出てきて、たくさんの音楽仲間との交流やコラボも目に見える形でずいぶん楽しませていただきました。

沖仁さん。生前親しかった桑名正博さんの息子さんの美勇士くん。
EXILEのATSUSHIさん。
ギタリストのMIYABIさん。
ドラマ「東京バンドワゴン」の流れから、亀梨くんや金子ノブアキさん。

多分その流れからかな。金子マリさんとの素敵なコラボ曲「かくれんぼ」金子ファミリーみんなとの交流。

そして提供曲のカヴァーアルバムだった「Offer Music Box」や最新のカヴァーアルバム「群像の星」を経て交流が深まった、オリジナルの製作に関わったアーチスト、作家さんやそのご家族とのご縁。

たまたまご縁があった気の合う音楽仲間たちを、どんどんステージに招き入れたり、レコーディングを共にしたり。
一緒に音を鳴らし、相手を笑顔にして自分も笑顔になり、観客はそこで行われた音楽から、たくさんの愛を受け取る…そんな玉置さんのステージはいつだってとても素敵でした。


わたしは昨年、このツアーの2回の他に、ブルーノート東京で1回。そしてサントリーホールで一回、玉置さんの生歌に触れることができて、さまざまな大きさ、さまざまな音響のハコで彼の歌や音楽を楽しむことができて、本当にhappyな一年だったと振り返っています。

彼が作った大好きな歌、「JUNK LAND」はこういう歌なのですが、一部だけ引用させていただくと、こんな歌詞があります。

待ってる人のその前で
泣いてる人のその前で
困ってる人のその前で
迷ってる人のその前で
笑ってる人のその前で
祈ってる人のその前で
遊んでる人のその前で
愛してる人のその前で

心配ないといいたくてこんなボロボロのままで

この詞は、ずいぶん前に発売されたものだし、今の玉置さんというわけでもないですが、一方でこの詞はとてもとても玉置さんらしさ、芯の部分が表現されているような気がします。

なんにつけても誰に対しても「ほっておけない人」なのですよね。

ここから「がらくただけど〜心をこめて〜♪」という、音楽的にもとってもかっこいい怒涛のサビへとなだれ込んでいくのですが、いつ聴いても愚直と言ってもいいほどの正直さと、圧倒的な歌唱力にメロメロになります。

この人にとって、今のような「力ずく」とも言える感じになってきた社会、ずる賢く立ち回れる人が勝つみたいな世の中は本当に生きずらいだろうなあと思います。

でもでもでも。
一方でこういう人にこそ、歌っていて欲しいし、励まされる人もたくさんいると思うので、どうぞこの世界に留まって、その歌声をずっと聴かせて!!と切実に思います。

昨年のツアー後半は、ASKAさんのニュースが広く世間を騒がせていた頃で、そのことについても何かの形で触れなければ、応援しなければ…という切実な思いがあったのだと思いますが、彼の名前は一切出さずに(でもみんなわかってた)玉置さんがステージからエールを送ったことがありました。

その時のコメントもほんとに口だけじゃなくて、自分もどん底まで落ちたからこそ言える「またきっとやり直せる!」はやさしさにあふれてました。

ちなみにこの歌「JUNK LAND」は、尾崎豊さんのプロデューサーとしても有名な須藤晃さんとの共作で、玉置さんの作品には須藤さんがとても重要なポジションで関わってくださっているものが多いです。


数年前にはファンクラブが一旦解散して表舞台から消えたり、復帰後も最初の一年はいろんなことがありました。
そんな日々を乗り越えて、今は心身ともに充実して、友人や周りのミュージシャンにも呼びかけたり、手に手を取り合って、日本の音楽シーンをもっと豊かにしていこうという心意気を感じるし、特に近年、春風のようにやさしく、心温かい曲がたくさん聴けてとってもしあわせに思っています。

そうそう。昨年のツアーメンバーには、つよしさんのライブでも欠かせない方でもある、平岡恵子さんもコーラスやボーカル、時にはギターも持って参加されていて、ツアー最終日には、客席では、ご主人の名越さんや、TIGERさんもご覧になっているのをたまたまお見かけしました。

そんなことがあったり、堂本兄弟で聞いた、つよしさんとの偶然の遭遇話を聞くにつけても…

そしてなんといってもあのハグですよ!!ハグ!!
つよしさんに「あんな気を許した顔をさせる」玉置さん。
ちょっとかなり遠回りなやり方で賛美してますけど(笑)

時を経て、玉置さんとつよしさんが、本気で一緒に歌ったり、一緒に曲を作ったり、ギターでセッションしたりする場面が見れたらどんなにいいだろうと思う、両方ファンのわたしです。

つよしさんもジャニーズだからというだけで、その音に触れることもなく敬遠されてしまうことがありますが、玉置さんもまた、今までの数々の武勇伝?もあって、聴く前から敬遠されてしまうことがよくあります。

でも、いいかどうか、聴く価値があるかどうかは、ちゃんと音楽と向き合っている人ならば、誰にでもすぐにわかります。
もちろん好き嫌いはあるにせよ。

ブランドとか評判とか噂とかに惑わされて、聴く耳を持たないのはとってももったいないと思うのです。
もしご興味があるならどうぞ惑わされずに聴いてみて…と自信を持ってオススメしたいです。

玉置さんの音楽も。そして玉置さんワードの検索でいらっしゃるかもしれないみなさまには、堂本剛さんの音楽も同じくらい自信を持ってオススメしたいと思います。

さて。

ここから、ちょっと今さら感はありますが、玉置さんのCDのご紹介です。

年末の音楽番組で、どうして玉置さんがたかじんさんや寅さんを歌ったの?と疑問に思ってらっしゃる方もたくさんいることと思いますが…

それはこのアルバムが出たからです。

「群像の星」は昨年のおしまい頃に発売となったカヴァーアルバムです。

群像の星 (通常盤)

群像の星 (通常盤)

商品の説明のところには、こんな風に書かれています。

内容紹介
歌は星である。空に輝き続ける。そしてまた歌は石ころのように街に転がり、人の心の中にも小さな花のように咲き続ける。 玉置浩二がいま、彼の心に宿る数々の群像の星たちを歌い綴る。 同じ時代を共有してきたアーティストの名曲を歌うことによって、孤高の位置に存在し続ける玉置浩二は歌に対する敬意と愛情を表明したのである。選んだ歌に対する想いをいずれ彼は静かに語るだろう。すべての曲に彼の想いがある。それらはアルバムの中に書き綴られるだろう。

もうすでにこの世にいない偉大な音楽家たちの、昭和の名曲がずら〜っと並んでいます。
その方たちに敬意を表すために玉置さんが新しく名曲に息を吹き込みました。

CDのブックレットの最後に玉置さんご本人のメッセージが載っていて、そこにはこう書いてあります。

もう星になってしまった戦友たち
まだ私と一緒に夢を追いかけてくれる仲間たち
このアルバム「群像の星」に関わった
全ての方に敬意を表し、皆さんの幸せを願い
声の限りに歌っていきます
最愛を胸に

たまたま別の人(笑)狙いで買った「音楽と人」に編集長金光さんのレビューが載っていて、

このカヴァーアルバムは、原曲の歌い手さんへの憑依というより、もはや乗っ取りだ!!

というようなことが書いてあったのが印象的でした。

そのくらい、原曲と趣が違う曲もありますが、どれも玉置さんの温かい心にあふれています。

たとえば1曲目の「みんな夢の中」は、わたしはまったく聴いたことがなくて、オットがうんと子どものころに聴いたことがある気がする…というくらい古い歌謡曲です。
原曲をyoutubeで探して聴いてみたら、女性の声の、まったく趣が違う曲が流れてきましたが、玉置さんバージョンもおだやかで温かくて、夢見るようなとても美しい曲に仕上がっています。

「愛の賛歌」は前にも触れたことがある気がしますが、わたしの祖母が越地吹雪さんのファンで、よく聴いていたのを覚えているのですが、玉置さんが歌うと本当にスケールが大きな愛の歌になります。

桑名さんの「月の明かり」や村下氏の「初恋」の言葉選びの美しさには、玉置さんの美しい歌声を通してあらためてハッとさせられたし、「圭子の夢は夜ひらく」を聴いて、ここまで暗くずしーんと胸にくる曲は最近ないなぁと思ったり。

いずれにしても、昭和の歌には最近の歌にない、多くの人の心をえぐるような何かがあったんだなぁというのを強烈に感じます。
誰もが手を取られてぐいぐい引っ張られるような。老若何女、誰が聴いても惹きつけられるような…
子どもが意味がわからず聴いても、やっぱり歌いたくなっちゃうような。
誰かがふと歌い出すと、みんなが調子を合わせて歌い出してしまうような…
故郷を離れている人が、ああ自分も日本人だなぁとしみじみしてしまえるような…

昨年このアルバムが発売されるちょっと前に行われた、ブルーノート東京でのライブで、幸運にも2mという近さで生歌に触れる機会に恵まれたのですが、この時に聴いた「上を向いて歩こう」は秀逸でした。

確か同じ日、坂本九氏の奥様、柏木由紀子さんがライブを見にいらしていて、玉置さんが敬意を表しつつ歌ってらしたのですが、この曲はよくテレビで誰かが歌う時のような、王道系バラードとしては歌われませんでした。

口笛を吹きながら鼻歌交じりに街を歩くかのような軽やかさで、遊び心満点、軽やかで自由自在な歌声でした。
これはこれで全然アリだと思わされるやわらかな歌声。
「涙がこぼれないように」の歌詞が、深刻過ぎないテンションで歌っているからこそ、すんなりと心に沁みて、笑顔がこぼれつつ瞳に涙が溜まる…みたいな。
いろんな感情が心に呼び起こされました。
同じ場にいらした奥さまも、とてもうれしそうにされてました。

びっくりしたのが「あの素晴らしい愛をもう一度」で、わたしは原曲世代ではなくて、合唱曲としてこの曲を知った世代で、そのことを言うといつもオットがのけぞって、信じられん!と笑うのですが、玉置さんが歌うと、原曲とももちろん合唱曲とも、また全然違う味で、わぁ、こんな風に郷愁すら感じられる曲になるんだとびっくりしました。

幸いにも合唱をやっていたおかげでハモリパートが完璧に歌えるので、いつもCDをかけていて、この曲になると玉置さんの歌声に勝手にハモるというお楽しみ付きで楽しんでいます。

たかじんさんの「やっぱ好きやねん」に関しては、某テレビ特番で関西地方の一部の皆さま方に滅多打ちされていたのが記憶に新しいですが(怖かったしちくちくと胸が痛かったです…わたしが、笑)一説によれば、あの時は関西人ではない玉置さんが、へたに関西弁をまねるのはかえって失礼だとあえて、北海道人として、文字の表記の通りの歌い方をした…というのをどこかで見ましたけれども。
その真意はともかくとして、CDバージョンの方はあそこまで表記通りではなくて、「すっきゃねん」寄りに歌っているので(笑)だまされたと思って聴いてみて!という感じ。

「時代おくれ」「男はつらいよ」などを聴いていると、旧き良き時代の日本男児ってこんな風だったなぁとぎゅっと心を掴まれます。
先日亡くなられた高倉健さんの特集番組を見ていた時に、玉置さんが歌ったこれらの歌が脳裏に浮かんで仕方なかったです。
不器用でやせ我慢をしても男らしくあろうとし、日々、愚痴を飲みこみつつ酒を呑む。

寅さんは、実はわたし、映画は全然知らないのですが、この歌を聴くといつもなんだか泣きたい気持ちになります。

奮斗努力の 甲斐もなく 今日も涙の
今日も涙の 日が落ちる 日が落ちる

中略
男とゆうもの つらいもの 顔で笑って
顔で笑って 腹で泣く 腹で泣く

(奮闘努力だと思ってたわたし。誤植かと思って検索したら「奮斗」で正しかったです。)
この辺りとか、ほんと泣けるなぁと思います。

「時代おくれ」は引用し始めると全部になっちゃうのですが、一番ぐっとくるところを挙げておくと…

ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい

あたりかな。

もちろんどんな理不尽なことがあっても、黙って耐え抜くことだけが美徳とか言っているわけじゃなくて「ほんとは弱いところもいっぱいあるんだけど、芯がある、心が強靭なオトコでありたい。オトコたるものかくありたい!!」というような心意気のようなものが素敵だなぁと思ったのです。

どちらかと言うと玉置さんのイメージと遠いように思える曲たちも、その表現から「これ、玉置さんそのものなのかな?」と思わせるような…
これこそが表現力の巧みさなんだろうなあと思ったり。

いずれにしても、昭和の偉大な音楽家たちの作品を玉置さんを通じて聴いていると、これらの曲たちにふたたびスポットが当たり、世の中に出たことに大きな意味があると思います。

何より今聴いてもまったく色褪せていないし、「未来への忘れ物」が天国から届いたような気さえします。

これ聴いてみて?今を生きるわたしたちに、なんだかいろんなヒントがあるんじゃない?なんて思わされます。

今の日本に一番欠けていることはもしかしてこういうこと?と考えるきっかけになります。

新しいものを取り入れたり、怖がらず既成概念を一旦取っ払ってみることもとても大事だと思うけれど、一方で旧いものに蓋をしてしまうのはどうかなぁ?と思います。
先人の知恵、後世に伝えたいと残してくれたものを学ばずに、なかったことにしてしまっていいのかな?と思います。

今まで大切に積み上げてきたものを、たいして見ようともせずに葬り去り、自分が生まれてからの知識と経験だけでいいものが生まれるとはとうてい思えないのです。

最近はカヴァー流行りですけれども、ずっとクラシックをやってきた者にとっては、時代を超えて残ってきた音楽をいろんな人が勉強し、演奏するというのはとてもとても自然なこと。

むしろ音楽を使い捨てしてしまうことの方が、もったいなくて残念なことのような気がします。

なんだか語り過ぎました(笑)

興味を持たれた方がいたら、こちらの予告動画をちらっとご覧になっていただけたらと思います。

お気に召したらダウンロードでも購入できますし、ぜひぜひ全部聴いてみてくださいね。