ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 やっと回復傾向 そして。

ここ数週間はいろいろとKinKiさん三昧で追いかけても追いかけてもまだまだ番組や雑誌類が控えていて、こんなにしあわせなことはない!!と思いながらへらへらと堪能しておりました。

そのわりに日記も書けず、Twitterにもあまり顔を出さなかったのは、なんだか体調がイマイチだったからなのですが、熱もないのに頭痛がひどくて、そのうちに節々が痛くなってきて、どうにもこうにも文字が打てない感じだったのです。

ことの起こりは先々週の土曜日の朝。

起きた時に…というか寝ている頃から猛烈な首と肩の痛みに襲われていて、それがなかなか治らず、日常生活に深く支障をきたしてとても困っていました。

マッサージを受けても、整体に行っても、一度や二度薬を飲んでも全然回復せず。
何より明け方に何度も痛みで目が覚めるので、唯一寝るのだけがとっても楽しみという人種のわたしにとって、そのダメージはものすご〜く大きいものでした(笑)

どうも背中も首もガチガチで、そもそもが少々のことでは治らないみたいです。
ウワサによれば(笑)スマホのメールの打ち過ぎという説もあり…

実はここのところいくつもの幹事事が並行してあって、あっちで場所を決め、こっちでプレゼントを選び、集まりの企画をし、そっちでお金を集め、そのたび大量にメールを打ち、いただいたお返事に返信をしていたので、そのツケが回ってきたのかもしれません。

かと言って熱もなければ咳も出ず、寝込むほどでもないので、いつもの必殺ロキソニンちゃんのお世話になりつつ、でも癖になると困るので、ピンポイントでだけ使ってなるべく我慢し、ちょろっと動いてははぁ〜っと座り込んでKinKiさん三昧の雑誌をめくり、もうちょろっと動いてはMステのSPEAK LOWをリピってみたり(いくつか出た露出の中で、歌の部分はやっぱりこれが一番のリピートポイントです、笑)…

いわば、コウイチさんでいうところのエナジードリンク系?(これ、つよしさんが小喜利で教えてくれたコウイチさんが好きな飲み物情報です、笑)がわたしにとってはKinKiさんということで、いろいろと師走業務に追われてました。

生徒たちもまた、体調を崩す子が続出でなかなか12月の予定が定まらないし、娘のことは前の日記にも書きましたけど、ふたりともなんだかいろいろ抱えていて、一人ずつやってきては結構深い悩みを打ち明けられるし、両親からも頼まれごとをしていて、親戚に電話をして両親の代わりにお手伝いに行きましょうか?と問い合わせたり。

そして年末も押し迫り最後の幹事ごとは、ご近所の赤ちゃん誕生のお祝いごとで、赤ちゃんの新米おばーちゃんがうちの生徒さんということもあり、気がついたらわたしがお祝いを買い、みんなからお金を集め、カードを選び、みんなにお祝いのメッセージを書いてもらい、赤ちゃんのおばーちゃんであるお友達の都合を聞いてみんなで赤ちゃんを見に行き、そのたびみんなに連絡をする…という一連の流れをすべて引き受けていたという(笑)

この時は確か、写真立てとカードを買に行きました。
たまたまこの日しかないという買い物の日は、あまりに体調が悪すぎて、オットに車を出してもらって、生徒が来るまでの合間を縫って、デパート滞在なんと30分という短期決戦でなんとか切り抜けたのですけれども。

そういうのを引き受けるのは元々全然イヤじゃないのですが、さすがに重なり過ぎで、いくつもやってるとあちらこちらの会計やら連絡やらがひじょうに混乱して、あちこちでかえって迷惑を掛けました(ダメじゃ〜ん!笑)

そして…
そしてその合間にもちっとも収まらない首や頭の痛みというのがキーンと奥に響くようなイヤな痛みで、少し弱まったり、また強まったりしながら、10日以上も続いてました。

その後、たまたまアレルギーの薬をもらいにいった内科でそのことを相談したら…

朝症状があまりにひどく、神経に触るような痛みがあるということは、もしかしたらリウマチとかそういう因子があるのかも?と言われ、そのご意見にはぞーっとしたわけですが(わたしの祖母はリウマチで生前ずいぶん苦しめられたので)とりあえず効くかどうか飲んでごらん!痛みを止める薬はみんな嫌うけど、ここまでこじらせちゃったものは早々治らないから、とりあえずだまされたと思って5日くらいは続けて飲んでみて…とロキソニン系の薬と一緒に出されたリウマチを抑える薬を飲んだら…その日のうちにあんなにしつこかった痛みから解放されました。

以前にリウマチに関しては遺伝的因子があるので、それを含む血液検査を受けたことがあるのですが、その時は何も出なかったので、違うかもしれないですが、確かに薬は効いてるみたいで、一応約束した分だけは続けて飲んでみようと思ってます。

それがやっと火曜日の夕方で、それでもちょっと根を詰めてメールをたくさん打ったり、目を使ったりするのが極端に怖くなっていて、なかなか思うように電子機器と向き合えない状況でした。

さて。

体調が悪い時は、しがみつくようにKinKiさんのMアルバムを聴いてました(笑)

テレビもかなりリピートしましたが、やっぱり何をしながらでも聴けるのはCDだし、少なくとも聴くだけなら、身体に負担はかからないし、聴きながら動けば、いくらか気が紛れますしね。

この話に関連して、Mアルバムの好きな曲の話も一緒に書いちゃおうと思って、昨日だいぶ下書きしたのですが、体調不良の日記にくっつけるのは違うだろうということで、これはまたエントリーを分けます。

代わりに、なぜか体調不良の折に、一心不乱に読んでいた本の話をします。

整体の先生にも、内科の先生にも、なんでよりによってそんなに頭が痛い時にそんな本を読むの!と笑われたんですけどね。
たまたまこのタイミングでどうしても読みたい本に出会ってしまったのです、仕方ない。

そもそもが、たまたまついていたモーニングバードで、この著者の方の特集をしていて、どうしても今読まなきゃいけないような気がして、アマゾンで注文してやってきたのがこの本です。

笑顔で「さよなら」を―在宅ホスピス医の日記から

笑顔で「さよなら」を―在宅ホスピス医の日記から

筆者は内藤いづみさん。
この方は山梨県で日本ホスピス・在宅ケア研究会理事をされている方です。

商品の説明のところには、こんな風に書かれていました。

商品説明
いまや日本人の死因の30%ががんである。あなたは余命3ヵ月、と突然に告知されるのは他人事ではない。その時、残り時間をどう有意義に過ごし、人生をハッピーに締めくくれるか。本書は終末期医療を考えるいい機会を与えてくれる。
著者の内藤いづみさんは、山梨県甲府市を舞台に医療活動を続ける在宅ホスピス医。本書には末期がんの患者たちが、自宅で愛する家族に囲まれ、いのちの輝きをみせて最期の時をまっとうする姿が描かれている。モルヒネの正しい処方でがんの痛みが消えれば、患者は笑顔を取り戻せると著者は書く。激痛に苦しみぬいていた45歳の女性は、街の喫茶店でショートケーキを味わえるまでに回復し、その嬉しさを著者に携帯電話で伝えた。44歳の母親は台所で娘のお弁当のおにぎりを弱る手で握り、80歳の男性は春に孫たちを喜ばせたいと、死の直前に庭にチューリップの球根を植えた。かつて日本の終末期医療のあり方に失望した著者は、夫の国であり、ホスピス発祥の地であるイギリスに渡りホスピスの立ち上げに参加した。イギリスの末期がん患者たちの笑顔が今日の活動の原動力となっている。

現代医療はめざましい進歩を遂げたが、人間的な温かさを失い営利に走りがちだ。著者が往診できる患者の数は多くて3人。患者の心身の苦しみにしっかりと向き合い、気さくに家族を支える医師の存在を知ることで、医療とはこういうものだったのだと再認識させられる。(藤原瑠美)

内容(「BOOK」データベースより)
がんはけっして恐くない。旅立ちの日まで大切な人たちと、「生きる」ことに真剣に向き合える時間が与えられるから。
内容(「MARC」データベースより)
がんは、けっして恐くない。旅立ちの日まで大切な人たちと、「生きる」ことに真剣に向き合える時間が与えられるから-。在宅ホスピス医である著者が、仕事の難しさ、患者やその家族との交流などを描くエッセイ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
内藤/いづみ
1956年生まれ。山梨県六郷町出身。福島県医大卒業後、東京女子医大内科等に勤務。86年から英国プリンス・オブ・ウェールズホスピスで研修を受け、95年、甲府にふじ内科クリニックを設立、院長となる。日本ホスピス・在宅ケア研究会理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

内容は扱っているのが人生の最期で、こういう内容なわりに、決して暗くなく、先生の日常は先生の穏やかでほがらかな性格もあって、温かく優しいです。

読み始めた際は、わたしも娘として、この年代の女として、そろそろ「送る」ということと真剣に向い合わなくてはならないなぁという気持ちがあったからなのですが、文頭、いきなり出てきたエピソードは、わたしとほぼ同性代の女性患者さんのお話でした。

この頃たまたま体調が最悪だったこともあって、自分がどういう最期を迎えたいかということも徹底的に考えさせられることになったのですが、確かにこういう本を読み進めるには決していいタイミングだったとは言えず(笑)珍しくいろんなネガティブに襲われて、とても苦しくもなりました。

いえいえ、本自体は決して苦しくなるような内容ではないのですけどね。体調がよい時に読むことはオススメいたしますけれども(笑)

内藤先生が力を入れてらっしゃる「緩和ケア」については、たまたまここ最近、同世代の友人たちからも聞くことが多くて、こんな最期を迎えられたらしあわせだろうなぁと思うことがたくさん書いてありました。

たとえば、死ぬぎりぎりまで家で、いつも通りの生活をすること。
たとえば、主婦のわたしで言えば、いつも通り家事をして、家族の大好物のものを作り、家族のために動き、仕事もいつも通りして、どうしてもやりたいことをそれなりにやってこの世とお別れできるなら、それはとてもしあわせなことだと思うのです。

我が家の今で言うならば、お弁当を持って行かない代わりに、朝必ず、二人とも温かいお茶を水筒に入れて持っていくのですが、これはわたしがおまじないのように必ず子どもたちのために朝作って手渡していること。

こういうなんてことないことを、命が絶えるぎりぎりまで、できる限りいつも通りに続けられたらどんなにいいだろう?なんてことを思ってしまいました。

もちろん常日頃はめんどくさいこと甚だしい日常の一部分なわけですが、多分もう時間がわずかしかなくて、家族のために何ができるか?わたしのしあわせのために何ができるか?と考えるならきっと「いつも通りの日常を最期まで」なんだろうなぁと思ったの。

そして、我が家で一番お年なコ、もう15歳を過ぎたおばーちゃん猫のルナを見て思うこと。

最近のルナは、それはそれはとってもしあわせそうです。
一緒に暮らしてたシャム猫ミントさん亡き後、とてもおだやかに家族みんなに見守られながら、のんびりと過ごしてます。

この日はちょっとだけしかないひなたを上手に見つけて、ベッドの上でまどろんでました。
近くに行っただけで、ゴロゴロ喉を鳴らしていて、なんてかわいい子。
思わず頬ずりをしたら、目を細めてました。

最近は、ちょっと高いところ、1mくらいのところに上るのもよっこらしょという感じ。

ミントは注射も薬も全然苦にしない、病院も病院スタッフさんたちも大好きな猫だったので、亡くなるまでできる限りのことをしてあげられたのですが、このルナはあんまり病院が好きじゃないので、きっとこれから病気になったとしても家にいた方がしあわせかもしれません。
命の最期の火が消えるまで、こんな風にお家でのんびりさせてあげるのが、彼女にとってのしあわせかなぁなんて思ったりします。

そして、こんなおばあちゃんな彼女の命と日々向き合っていると、自然に命と向き合うことの大切さを日々教えられている気がするのですよね。

もちろん今はわりと健康にしているし、まだまだ彼女を失うことは考えたくないし、言うほど常には考えてはいませんが、でも、心のどこかにお別れの日を覚悟して、それまではぜひぜひ、しあわせに。とびっきりのしあわせをいっぱい味わってね…という気持ちもあるわけで…

そんなことを考えてみたり。

あるいは、あまりに頭痛がひど過ぎた時のわたしは、このころ、あんまり周りにやさしくする余裕を失っていたのですよね。

で、いづみ先生の本を読んでいると、この本の中でとても大事にしていることは「ガンによる痛みを極力取ること」で、それがご本人の生をまっとうするために、どれほど大切なことなのかということを思い知らされた気がしました。

痛い痛い痛い…だけに捉われながら、病院で辛い治療をし、あるいは点滴やたくさんの機材に縛り付けられて最後の数か月を過ごすか、痛みを上手に緩和、コントロールするのを先生にお任せして、家で死ぬまでにどうしてもしたいことを穏やかにしながら時を過ごすか…

ここのところはとっても大切なところだな!と実感させられました。

もちろん、その残り少ない日々を支える家族やいづみ先生のようなお医者さまは、それはそれは大変だし、哀しみも涙もたくさん経験しなくてはならないし、神経も考えられないくらい使わなくてはならないでしょう。

それでも、家族みんなで大切な命を見送ったという経験は何事にも代えがたいだろうし、送られる人はもちろん、見送る人たちにとっても後悔を残すことが少ない、とっても貴重な経験になるのではと思ったりもしました。

いずれにしても、人を送るということはとてもむずかしいことですし、送られるということもまた同じ。
さらに、そういうことを考えるだけで、滅入ってしまうわたしもいるのですが、今まだ両親が元気なうちに、覚悟を決めることは必要だなぁと痛感したわけです。

さらにさらに…
思い出していたのは、プラトニックの青年のこと。
彼はあの苦しいもう治らないとわかっている脳腫瘍とひとり闘いながら、最後の時を一緒に過ごした人たちひとりひとりに、大切な贈り物をしました。
彼の精神力とか、元来持っていたであろうとっても強いところとか、やさしさとか…
あらためてそういうことをいろいろと考えては、「ああ青年〜(涙)」となっておりましたのことよ(笑)

そして、今も答えは出ないのですが、命のことについても、もっともっと考えなくてはいけないなぁとつくづく考えさせられました。

そしてそして…

思い出したことがあって。

この本を読んだり、追い込まれている日常と向き合いながらずっと思っていたこと。

全然記事にできてないのですが、先日小喜利最終日、横浜に出かけてきました。

つよしさんは、最後の挨拶で、アイドルという立場でありながら、真剣に取り組んでいる小喜利について

自分がすべるのが恥ずかしいと思うなら、舞台に上がらなければいいわけだから。
すべろうがすべらまいが、恐れずに答えを出していく。いつも自分らしくチャレンジしていくだけ。

そんなことを言ってました。
(文章はこんな感じというくらいのアバウトなものですが、こんな中身のことを言ってたと思います。

この数週間というもの、何かをしていて不意にこの言葉を思い出すことが多かったです。
なんだかくじけるたびに思い出して、ああ、わたしもがんばる!
恥をかいてもいいから、ダメダメでもいいから、恐れずに最後までやる!
体裁どうこうじゃなくて、まずはやってみる。

そんな勇気をもらって、今この限られた時間の中でやれることって何だろう?と常に自問自答してました。

大きくなったなぁ、つよしさんと思いつつ…

そんなこんな、頭痛の日々は、ものすご〜く一人で自分と向き合う時間になって、よかったかもしれないと思う今日この頃です。
(治ってきたからこそ、言えることでもありますけどね。)

そうそう。

めっちゃ脈略のない文章になっちゃいますが、先日整体で電気を当ててもらってる時、BGMがうっすら流れてるのですが、「あれ?つよしさん?」と思われる声が聴こえてきて、あれれ?とよく聴いたらかなり昔、わたしもよく聴いていた頃のミスチルだったの。

やだ、なんでつよしさんだと思ったんだろう。
やっぱりある意味当時の声は似てたのかしら?なんて今さらながらに思ったりもしたわけなのですが…

その後にかかった曲がなんとつよしさんの「街」でした。
今度こそ本当に求めていたつよしさんの声だったわけで、肩と首に電気を当てられながら、思わず涙ぐむわたし(笑)

多分かかっていたのが有線だったから、たまたまこんな流れになったのだと思うけど。

横では、同じく電気をあてられながら、かしましくおしゃべりしているおばーちゃんたちが「また元気でここで会おう」な〜んて、整体らしからぬお話をしてて、こっそりくすくす笑ったりもしていたわけですが、一瞬にして涙を誘ってくるつよしさんってば、さすがすぎる(笑)

っていうか、わたしが弱ってたのもあるし、ミスチル、つよしさんの流れがなんだかとってもなつかしい感じだったのもあり。

おもしろい経験をしましたよ。

さて。

話は戻って。

生まれたばかりの赤ちゃんの贈り物を買った翌日。

12月7日の日曜日は、たまたまなのですが、この空前の露出三昧な日曜日はオットの誕生日でもありました。
折が悪いことにオットは仕事の日でもあって、早朝6時前からご出勤。

オット誕生日の日の帰宅は、ちょうどトーキョーライブの直前、お天気予報バックにつよしさんが手を振っているのが流れてた頃でした。
そして、うわ〜ん、本編はともかく、またここを録るのを忘れたよ!と思った瞬間に「ただいま〜♪」とオット。

この日ばかりはさすがにオット本位で過ごそうと思っていたので、ご機嫌が悪そうならテレビを消そうと思ってたのですが、意外とだいじょうぶそうだったので、ふたりでトーキョーライブのつよしさんを見ながら誕生日の宴的なものを軽〜くしました(笑)

ここのところ、わたしはなぜか家族ごとにどっぷりな毎日なのですが、ふと考えるに、一番近しい人に信用されないようじゃ、きっとわたしはどこへ行ってもダメだなぁと思うようになっていて…

たとえば、アネやオトートに、オットに、両親に、レインはちっとも信用できない。どうせいい加減なことばっかり!!と思われてしまうようではオトナとしてダメでしょう。

たとえば生徒たちに本当に困った時に「ああ、先生がいた!」と思ってもらう人になろうと思ったら、やっぱりまずは身近な人にそう思われなきゃダメだと思うのですよね。

そんなこんなで、書きたい時に書けず、出てきた言葉を思うように紡げないのはちと残念なのですが、まずは家族最優先ということで、頭痛期間中は、日記を書いたり、人にメールをしたり、Twitterに入ったりするのは極力やめておりました。

やっと治ったので、ちょいちょい書いていきますが、どうにも時系列がめちゃくちゃでごめんなさい。

でも、やっぱり大事な出来事がたくさんあったので、書き残しておこうと思います。

そして次の日記はこのオットのお誕生日騒動とつよしさん、KinKiさんとのシンクロというテーマです(笑)