ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

あなたが笑っててというのなら!(プラトニック最終話)

週末はものすご〜くいろんな出来事があって、猛烈に右往左往して。
日曜の夕方は不意に入ったレッスンやら「家族がせっかくそろった日曜なんだっからシャーロックの続きをみようよ〜」な一時間半とか(楽しかったんですけどね、笑)
台所の片付けやらお風呂やら、生徒からのメールやら愚痴やら、ろくに心の準備もできないうちにプラトニックの時間になり…

予想はしていたのに、思ったよりずっと大きな大きな渦にのまれて、最後の20分くらいはずっとハンカチを握りしめて見てました。

それにしても、あんな結末?…青年があまりにも浮かばれなさ過ぎる…なんであの終わりにした?とあまりにも意気消沈して、終わったあとしばらく呆然としてしました。

ドラマ中は妻に気を使って2階に行っていてくれたオットが戻ってきて「で、どうなったの?」と聞かれた時、思わず絶句して言葉にならない妻(笑)
どんなにドラマに心を持っていかれたとしても、ここまで口ごもることなんて滅多にあることじゃないし…
それで「はは〜ん」と察したらしく、その場では「ああ、そういう系…」「なんとなくわかった」と言い、それ以上は聞かれませんでした。
よほどこりゃ妻にとって辛い最後だったんだなぁと思ったのでありましょう(笑)
実際その通りだったんですけどね。

そしてまんまBSプレミアムで始まったライブ映像のジュリーについて、オットがツッコミを入れるのをぼんやり眺め、なんだか笑ったような気もするけど、なんで笑ったかも覚えておらず。
はなはだしく心ここにあらず!あっか〜ん!


その後始まった堂本兄弟では、さっきまで号泣を誘っていた人がすっかり元気でにこにこしているので、半分くらいはは立ち直り「コウイチさんかわいい!」「つよしさんかわいい!」やっぱりKinKiさんいいね!とにこにこ見ていたのですが、なぜか後半の浴衣姿で突然スイッチが入って、ずっとうるうるしながら兄弟を見てしまったという…

ああ、もうちょっと落ち着いたら、もっとちゃんと兄弟も見返したいです。
ドラマ中の5月最後ら辺から今週のまで全部。
今週ので言えば、アカペラのところとかもっとちゃんと反芻したいし、お陽さまの下ではしゃぐメンバーみんなかわいかったなぁ。

それにしてもそれにしても。

プラトニックから京都の兄弟への流れはそんなに甘くはないぞと覚悟はしてましたが、あれほどキツいことになろうとは!!

あれはほんとうのことじゃなくて、ドラマの中のことなのに、ありえないくらい悲しみを引きずっている自分にびっくりでしたよ。

その後、兄弟がいよいよ終わり、いつもならドラマをもう一回見ようかなとなるところ、今回はとんでもなくせつなくて、絶対に見れない!ダメだ!封印!と思いながらも、なぜか防犯カメラに映っている青年の姿が脳裏に焼き付いて離れず、何度も脳内再生されて、さらに眠れないモードに(涙)

寝室に上がっていったら、ありえないほどの蒸し暑さの中で、すでにぐーぐー寝ているオット。
見なきゃいいのに部屋の温度計を見たら32度でした。

これはムリだ…と判断してエアコンを入れたのですが、1時間経ってもちっとも冷えず。
あたまは相変わらず沸騰してるし、これはわたしが発電してるのか?くらいに思いつつ何度も寝返りを打ったけどちっとも眠れず。

困ったなぁと水を飲みに部屋の外に出たらなんと外の方が涼しいという不思議…???

あれ?

よ〜くエアコンのリモコンを見たら、なんと暖房を入れてました、わたくし(笑)…ありえない…

「なんで暖房入ってた?」
と小声で言ったつもりだったのに、不意に一瞬起き上がったオットが
「おまえ、俺らを蒸し焼きにする気か?」とか言い…
夜中のテンションもあって、なぜだかその言葉がめっちゃツボで(笑)
暖房から冷房に切り替えて、あはは!と笑っているうちに、いつの間にか寝てました。

多分暖房から切り替えた時間が2時過ぎだったと思うのですが、そこからは6時過ぎまでぐっすり。
とんだ夜でした。

さて。

一夜明けてもまだいろいろと悲しくて、目が覚めるなり、もう青年はいないんだなぁと苦しくなり…
胸にずーんと乗っかった重しを持て余しつつ、雑巾がけとか始める始末。
ああ傷心(笑)

それでも気を取り直して、ずっと先にワールドカップサッカーの決勝のために起きていたオットに、ふっつーのテンションで、あらためてドラマの最後を説明しようとしたのに、しゃべっている間に途中でなぜか涙声になる妻(笑)
どうなってんだ!この引きずりようってば(笑)

ああ、しばらくは封印かも?
ダメだこりゃ。

ところがところが…
昼過ぎ、たまたまテレビをつけたらEテレで風間くんが出演している福祉番組「ハートネットTV」をやっていて、発達障がいを持つ漫画家さんの特集だったのですが、それを見てまたもや涙があふれちゃって。
生きづらい世の中で、苦労してなんとか歩いてきた道のりを、「ネタの宝庫」と初めてポジティブに認めてくれた人と出会い、それを笑いに変えて発信することで本来の自分らしさを取り戻した方のお話だったのですが、えらく目からうろこの内容で…
それを見ていたら、夕べからの逃げの一手の自分とか、「封印」なんてことで感情に蓋をしようとしている自分が恥ずかしくなったりもして…
のろのろと見てみるか〜と思い腰を上げました(笑)

なんてったって、この2か月どれだけこのドラマのことで頭がいっぱいだったか思い出したのです。

そもそもドロドロを運んでくるもの、負の感情だらけになるドラマは、すぐに引っ張られるのであんまり見ない傾向にあるのですが、今回のはつよしさんに引っ張られてがんばって見始めた感じで。
いろいろツッコミどころはあるにせよ、あんなシーン、こんなシーンどれだけリピートしたかを考えると、結果的には、どれだけ楽しませてもらったか!!と感謝の気持ちが沸いてくるくらいHAPPYな二か月間をもらったわけで。

台詞が入っちゃうくらいリピートしたシーンの数々。
美しい映像。
そして、つよしさんがラジオであんなにがんばってた裏話をいろいろと聞いたのに、そんなに簡単に封印しちゃっていいの?なんてことまで想い…

意を決して見てみたら…

ずいぶんオンタイムで見た時と違う感想を持ちました。

一部都合がいい解釈かもしれないけど、わたしなりに昇華できたと感じたので、あらためて感想を書くことにしました。

ここからはネタばれ感想です。

前夜のような嘆くテンションとはちょっとだけ違うので、一緒に「ひどいじゃないか〜!!」と思いたい方にはちょっと違うかも。

そもそもあのドラマ事態がファンタジー的要素を多分に含んでいたし、どうにでも取れるところがあるから、これが正解のはずなんて思って書くつもりもないです。

あくまでも、自分が楽になるための解釈かもしれないとちゃんとことわった上で書いてみます。
どう感じるかはあくまでもその人の自由ですからね。

私信ですが、週末暖かい拍手コメントをいくつかいただきました。
のちほどちゃんとお返事したいと思ってますが、今日はこれからちょっと出かける予定なので、帰ってきてからあらためてお返事させてただきますね。
ドラマの囚われ人だった日々に一応?終止符が打たれたので、これからはちょっとずつ冷静なモードにシフトしていきたいです。
さて。
ドラマプラトニック。
オンタイムで、もっとも腑に落ちなかたかったところは、青年は最後「自分から死を選んだのだろうか?」と言う疑念でした。
見返す勇気がなかったので、ただただ一回だけ見たあのシーンが怖くて、物語の中とはいえ、あれほど大事に見て来た物語の最後が自死じゃ悲しすぎる…と思ってしまったわけです。

そして最後のアナザーストーリーのところの佐伯氏と沙莉ちゃんと沙良さんの楽しそうな場面。

あの場面があまりにも…元の家族があまりにも元通りな感じに楽しそうに見えて…そこがさらに青年がいなくなったさびしさを増幅させたのだと思います。

でもあれをもう一度見ずに、そのまんま蓋をするなんて。
なんだか自分がフェアじゃない気がして…

勇気を出してあのシーンからちゃんと見たわけです。

そうしたら、わたしにはですけれど、青年は自分から死を選ぼうとしたわけじゃないんだと言う風に思えました。

強盗が入ってくるという恐ろしい予期せぬ事態の中で、事件が起こった時点ではちゃんと抵抗をしていた彼が、あるタイミングで絶体絶命を悟り、『観念した』んじゃないかと思ったのです。
ライオンに追われたヌーとかヘラ鹿がもうここまでだ…と観念した瞬間のようなイメージ。

こんなことは滅多にないだろうとも思うけど、ここのところの社会情勢を見ていると、たとえば突然車が突っ込んできたり、予期せぬ事件に巻き込まれたり、突然の天災に巻き込まれたり。
予期せぬ恐ろしい出来事は気がつけば追いきれないくらい起こってる。

不意の事態だし、冷静に考える余裕もなく、当然本能的に逃げようとしたけれども、ある瞬間もうダメだ…とあきらめた。

その時に彼はとっさに何を考えただろう?と想像した時に、最初に浮かんだ言葉は「無駄死にはイヤだなぁって」と以前検査を受けた時、医師に語った青年の言葉でした。

自分がとても理不尽な死を迎えることがほぼ決定して、ほんの短い時間に彼が考えたことはなんだろう?という観点で考えてみると

とにかく心臓を守らなければ。
死んでしまうことが確定なら、せめて自分と同じように死と隣り合わせの気持ちと常に闘ってきた沙莉の役に立ちたい。

そしてあとはただただ沙良への愛だったんじゃないかと思いました。


強盗に追いつめられた瞬間は、あくまでも最後の力を振り絞って胸をかばい必死に手に力をこめていて…腹部にナイフがいった時点で、不意に抜いた…

あれはきっと自分から死を選んだのとは違う…

画面を見てそう思えたとき、ちょっとだけ救われたような気がしました。
ほんとうのところどう意図したかはわからないけれども。

少なくともわたしはそう思いたいな。

そして、沙良に残した防犯ビデオのメッセージは、青年にとっては最初で最後の沙良へのとびきりのラブレター。
友人が「わたしだったらきっと毎晩のように見返すだろうな」と言ったら、それはホラーと言われたと言ってましたが、わたしもきっと見返す派です。
あのビデオはあのアナザーストーリーの場面までに、きっとすでに擦り切れるほど見返されているに違いないとすら思いました。

防犯ビデオの中で空(くう)へと伸ばされた手は、3話のアナザーストーリー、スケートリンクで元カノに?伸ばした手と対になっていて。

3話の時は、彼から醸し出されるあまりにも孤独な空気。
不治の病に侵されながら、世界中でひとりぼっち。伸ばした手を握ってくれる人は誰もいないの?という絶望的な空気感に胸が締め付けられましたが。

8話の最後の瞬間の映像では、沙良の愛をみじんも疑っていない、ある意味しあわせな表情にさえ見えました。

空に伸ばされた手はきっと握られると確信している顔。
メッセージはちゃんと沙良が思ったとおりに受け取ってくれることをまったく疑っておらず、その瞬間の彼は孤独とはまったく無縁な気がして…

前夜とは違う意味で涙があふれ、ある意味心からほっとしました。

愛し愛される人に出会えたしあわせが、命の炎が今にも消えそうな瞬間なのに、青年の表情にあふれている気がして…ただの悲しい場面として捉えるのはちょっと違う気がしました。

だとすれば、その後の沙良に向けた裏ピースのメッセージは、沙莉ちゃんに聞いて沙良さんに話した「笑う練習」…の話を思い出して!と言っているであろうことは容易に想像できるわけで。
「最初は作り笑いから」
「こうして二本の指を口元に当てて、開いてVサインを作る」

そしてあれがもし、沙良との「ノーと言わないゲーム」の続きだとしたら。

青年が最初で最後に沙良に出題した「笑って!ねえ笑って!あなたはこれからもずっと笑顔で生きて!自分の分も生を全うして!」だとしたら…

そしてそれを沙良がちゃんと受けとめて「秘密の恋」を心に秘めたままのラストの沙莉と佐伯に向ける笑顔なのだとしたら…

「女がどんなに辛い時でもしあわせでいられる秘密の恋」「誰かに聞かれても決して言ってはいけない。」「口にすると幻になってしまうから」「最後に思い浮かべる顔はひとつだけあるの」

あまりにも青年の死に方がアレでショック状態だったが故に、この辺の大事なセリフがオンタイム視聴後にはちっとも思い出せませんでした(笑)

多分青年に気持ちを入れ過ぎて見てたから、別れの唐突さ、悲しさもあいまって、冷静さを欠いていたに違いありません(笑)

よく見ると最初に青年が沙良に渡したグリーンの香水のビンが、海辺のシーンにもちゃんと映りこんでいて、ふたりの恋は永遠になったのだということがちゃんと暗示されてました。


さらに香水のビンつながりで、佐伯のビンのことも思い出し。

青年にビンを渡された時、照れくさそうな、調子狂っちゃったよ!とでも言わんばかりの微苦笑を浮かべていたシーンを思い出して、佐伯自身も沙良の気持ちがずっと青年にあることは重々わかっていながらも、青年がそうであったように、どこか青年に親近感を持っており…
青年からこれからの沙良を守ることを託されたような気持ちになったんじゃないか?なんてことを思ったり。

沙莉ちゃんにせよ、和久や綿棒ちゃんにせよ、みんなきっと青年のことを一生忘れないだろうし、まさしく彼はみんなの心の中に生き続け、救世主になったのかもしれない…なんて思ったり。
そうやってちゃんとみんなの物語の中に足跡を残し、自分の存在がみんなのしあわせにつながったことが、青年にとっては何よりのしあわせだったかもしれないと思ったり。

もちろん救世主になんてならなくていいから、彼にはずっと生きてて欲しかったという気持ちは多分にあるけれど。
この辺がつよしさんファンとしての気持ちなのか(すっかり役と本人を混同してる、笑)ストーリーを見ての気持ちなのか、もはや区別できないけれども。

もし青年がこの家族に出会わなければ、あんな死になることはなかったんじゃないか?とも思うけど、沙良に会わなければ腫瘍が小さくなることもなかったのだろうし、そもそももうちょっと寿命が延びたとして、あの孤独な青年のまま亡くなることになるのだとしたらどうだろう。

「生きることと、ただ生きていることは違うんです。まるで違う!」
という3話ラストら辺のセリフがよみがえり、納得せざるを得ない気持ちにもなりました。

だからといって、疑問のまま残っているシーンもないわけじゃなく。

たとえば、じゃあなぜ青年はまだ可能性はあったのにナイフを抜いてしまったのか…とか。
あそこではもっとぎりぎりまで生にしがみつき、生をあきらめないで欲しかったとか。

いろいろとむずかしい気持ちは残るにせよ…


いろんなことを考えすぎず、ファンタジーとしてこの物語を感じることに専念するなら…

やっぱり核は「青年と沙良の恋と愛の物語」なのかもしれない…とあらためて。

恋して焦がれてただただ一緒にいたくて、その思いだけでいっぱいだった沙良の気持ちが「彼にはどうしても生きていて欲しい」という気持ちになって愛に変わった時。
離婚届を渡すという行為は、沙良にとっては究極の愛の表現なわけで。
青年もきっとそのことはわかっていたはず。

夜番に入った時、荷物はまとめられて足元にあったし、まだ未記入らしき離婚届はちゃんとかばんの上に置かれていて…

でも、この日が奇しくも青年最期の日になってしまったわけで。

「愛した時が彼が死ぬとき」…というコピーはまさしくこの結末につながる…

哀しすぎるけれど、この辺りが着地点だとすると、わたし的にはもっとも理解しやすいかもしれない。
とっても客観的に見れば…ですけど。
そもそも客観的になんて見れないわけですけど。


それにしても…
野島さんのドラマはやっぱり普段は人が思っても口に出さないようなことをズケズケと言い合うシーンが多くて、苦手と言えばやっぱり苦手で。
あちこちで胸が痛むことも多かったけども。

それでもそのズケズケで不思議と誰かと青年の関係が悪くなることもなく。
互いを飛び交う言葉たちは時折決してやさしくはないけれど、登場人物がどうしてその言葉を発するに至ったのか、相手の言ったことの意味を考えたり、臆せず相手に反する自分の思いを素直に語ったり、時には同情したり寄り添おうとしたり…

そんなシーンは、人との深い関わりを極端に怖がり、すべてをオブラートにくるみ、あえて言わない、聞かない、気がつかないフリで逃げ切ろうとする現代社会とは真逆な側面もあって、総じてキライじゃなかったなぁと思います。

わたし自身がちょっと変わってて、「やられたらやり返す」「倍返しだ!」的ちょっと前の日本で大流行した世界観が本能的にとても苦手だということもあるかもですが…

青年の一見消極的に見えて、周囲の誰にも壁を作らない、誰に対してもまっすぐな心や行動力がとてもとても尊く見えてとてもとても好きでした。

最後、このまんま誰も死なずに、みんな生きてしあわせになってくれたらどんなにいいだろう…という希望の沸いた7話があって、そのあとの8話だったので、本当に悲しいという気持ちもありますが、それでもあの7話があってよかったなぁとも心から思います。

これからもやっぱりあの7話は何度もリピートすることと思います。
いえいえ7話だけじゃなくて、あんなに悲しい8話の中にも最初のシーンとか、かわいいシーンもいっぱいあって。

ファン的には最後の最後までとっても萌えシーン満載だったし、何よりつよしさんの繊細で心を揺さぶられる演技がたくさん見れて、本当にしあわせでした。

実際ご近所さんとか、カーブスの先生とか、友達の中にもこのドラマにはまっている人がたくさんいたし、誰に聞いても「つよしさんの演技すごいね!」「巧い人だとは思ってたけど、ここまでとは!」なんて言ってもらったり、ファンとしてもすご〜くうれしかったです。

結末があまりにも悲しくてせつなくなったのは、間違いなくつよしさんが心の機微を上手に表現していたからだと思うし、特に芝居の途中で涙が浮かんだり、とまどいから恋に変わったり、ひょうひょうとしたかと思うととびきり素直に微笑んだり…
その演技の多彩さにこれでもかと心を持っていかれました。

そして、次に芝居をするときは…なんて発言を本人の口から聴けたのもとってもhappyなことでした。

お芝居の舞台の真ん中につよしさんが確かに戻ってきたという手ごたえを感じた気がします。
お芝居もまた期待していいんだなぁというしあわせ。
もっともっとお芝居する彼も見たいなぁという欲も出てきました。
できたら次は、もうちょっとhappyな結末がいいですけれども。

さて。

まだまだ語りたいことは山ほどありますが、なんとなくトラウマも消えたので、ちょくちょくゆっくりリピートしながら、また思ったことがあれば補足していきたいと思います。

つよしさん、お疲れさまでした。

そして一緒に身を焦がし、涙し、萌え、リピート三昧したみなさま方も、お疲れさま…

みんなで集って打ち上げとかしたい気分です。

「あなたがそれでも『笑ってて!』というのなら、わたしもきっと笑っていよう。」
(と、ここはあえてとびきりイタイ感じに締めくくっておこうと思います。えへへ。)