ふぇるまーた2

かたよらず、こだわらず、とらわれず。好奇心のおもむくままにどこまでも。

 どうしてもプラトニック絡みになっちゃうこの頃(笑) 5話まで

「どうしても」とくっつけたのは、他の日記から書こうと思っているのに、どうしてもこっちから書かずにいられないからです。
展開やセリフに、多分に想像の余地が残されているので、いつも終わった後に「あれはどういう意味だったんだろう?」「このシーンではどういう気持ちだったんだろう?」となんやかんや考え始めると、止まりません。
そうやって1週間、次の回が放映されるまで、ああでもない、こうでもない考えている時間込みでドラマを楽しんでいる感じです。
ただし、あんまり先走り、深読みし過ぎると違うかも?とも思い始めてます。
赤毛のアン的に言えば「お化けの森」(想像力を駆使し過ぎて、自分の想像したことに過度に期待したり、あるいはおびえたりすること)にならないように気を付けないとね(笑)

とりあえずは感じることに集中しようと思います。
ああ、つよしさん大好き。
こんなに好きが加速する6月になるとは!!
久々どーんと来ましたよ。
恐るべしプラトニック効果!

5話をリピートしながら、ものすご〜く浅いところから攻めると(笑)
たとえば風呂あがりの「爪切りありますか」な表情とかめっちゃ好き。
そのあとの爪を切ってる丸まった背中とか。
ああ、あんな人が目の前で爪を切ってるなら、アイロン掛けもさぞや楽しいだろうなぁ、何時間続けたって全然平気だ!あんな人貸し出してもらえないかしら?なんて思ったり。

さらにかなりのファン目線だけど、先週そこだけめっちゃ違和感があった「探偵さんが持っていた写真」の違和感の正体がわかったこと。
「あの写真だけなんだか青年じゃなくて、まるでドウモトツヨシ」ってみんなと言っていたのですが、やっぱりあの写真は青年じゃなかったんだ!という衝撃。
写真から伝わった「愛されキャラ」のオーラは、青年じゃなくて弟だったのですね〜
ファンってヤツはすごいなぁ。彼が意図していることを直感的に、敏感に感じ取っちゃうんだもの…と再確認(笑)
み〜んな、その違和感の正体に早くから気づいてましたよね〜

そんなシーンもあり〜の。

あのラストのベッドの中でふんわり微笑んだ顔。あんな顔をする瞬間があってほんとによかったと安堵したり。
予告の海辺のひざまくら!!いーな、みぽりん(笑)

あんなシーン、こんなシーンと限定せずとも、全編を通してなんといっても印象的なのはあの声ですよ、声。
わたしは普段、圧倒的に歌声のファンだと思ってるのですが、話す時の声のトーンにも同じくらい引き寄せられちゃう…とこのドラマであらためてそう思いました。


ちょっと巻き戻して3話の印象的だったアナザーストーリー。
元カノを失った彼が、スケートリンクで空(くう)に向けて高く伸ばした腕。
この手が無意識に探し求めていたのは、意識してはいなかっただろうけど、きっと元カノのそれじゃなかったのかも。
ずっとずっと無意識に「誰か」のことを探していて、5話まできて、やっと見つけたのが沙良さんの手だったんだなぁきっと…なんて。


そんななんやかんやは、実は、いつもは修行な感じのカーブスの階段を上がる途中でふと頭をよぎったもの。
ぼんやりうわの空でドラマのことを考えながら階段を上っていたら、気がつけば6階でした。
ぜ〜んぜん、疲れてない!(笑)
きっともっと先があれば10階までだって平気で登ったかも。
ああうわの空ってヤツは時に麻酔効果まで発揮するのか〜とうれしくなってみたり(笑)
電車の中でぼんやりとドラマのことを考えていたら、あっという間に最寄り駅に着いてみたり。
これじゃまるでわたしが恋をしているみたい。恋をしてるのはドラマの中のふたりなのに。
(いやいや、ある意味わたしもか!!笑)


それにしても、つよしさんの演技力にますます引き込まれています。
以前から上手い人だとは思ってましたけど、正直ファンながら、ここまで凄い人だったってことはうっかり忘れてたかも。
久しぶりに本気で思い出しました。


5話では、シーンごとの表情の違いが本当にリアルでびっくりしました。

テツさんとの急な別れで、命が消えることへの恐怖にかられた追いつめた表情。

すべてあきらめたような、疲れきったどこかうつろな表情。

万引きの女の子の痛々しいリストカットの跡の残る手に手を取られて振り払った時の「一緒に墜ちていく相手を探そうとしているわけじゃないんだ。」という言葉。

沙莉ちゃんに「死ぬことは怖くないの?」と聞いてしまったあとで、怖がらせてしまい「ほんとごめん。」とささやくようにうるんだ瞳であやまる立ち去る寸前の顔。

そしてやっぱり自分が探し続けている人は彼女じゃなかったと気がついて思わずつぶやく「違うんだ、本質的に」のセリフ。

沙良とのやり取りの中で、本当に探していたのは彼女だったのだと徐々に気がついていくあたりの、刻々と変化していく瞳の色。

心の変化がうるんだ瞳やその表情の変化でものすごく伝わって心がぎゅーっとなりました。

どうしてこんな風にうるうるした瞳で、いろいろなことを目だけで語れるんでしょう。

ほんとうにほんとうに上手い人なんだなぁと、呆然と画面にくぎ付けになってました。

こんな風に多才な人だからこそ、主演ドラマがいっぱいあった頃はいちいち注目を浴び、しなくてもいい苦労をいっぱいしてきた側面もあるのだろうし。
だからこそ、こんなに時間が空いてしまっても、また素敵な機会が巡ってきたということでもあるのだろうなぁと思います。

最近では彼のコメディーじゃないドラマが見たいという気持ちがありながらも、他にも彼が彼らしく、才能を発揮できる場所もあるんだし…なんてちょっとあきらめモードだったのが、このドラマでやっぱりここ、ドラマの世界にもいなくちゃダメな人でしょと思うに至りました。

彼にしかできない役、彼にしか寄せられない役はきっとたくさんありそうです。

こういう非凡な才能を見せつけられてしまうと、やっぱりドラマにも時々出てほしいなぁと本気で思ってしまいます。

ドラマと言えば…
脚本家さんが書いたオリジナルはイマイチつまらないと言われた時代もありましたが、ここのところ、また変わりつつあるような。

もうひとつ、今季オットと共に欠かさず見ていた同世代ドラマ「続最後から2番目の恋」も岡田恵和さんのオリジナル脚本で、これも本当にいい味を出していて、ゲラゲラ笑いながらも時々しみじみしつつ鑑賞していていて。この二つのドラマはわたしの心の中でずいぶん大きな場所を占めてます。

「続最後から二番目の恋」も、この物語も、勧善懲悪じゃないところがすごく好きです。
どうもわたしは勧善懲悪な世界が苦手みたいです。

誰か本質的に徹底的に悪い人を作らないところがとっても好みだと思って見ています。

いやいや、プラトニックは野島さんだからね。これから「悪い人」が出てくるかもだし、まだ誰が悪い人なのか、ほんとの意味でこっちが気がついてないだけかもよ〜。なんて、ニヤニヤと友人。
かもしれないけどさ〜たとえそうだとしてもさ。今の時点ではさ、まだまだ信じていたいのだ!

プラトニックの中では、青年の回りのひとたちは、一見臓器だけが目的のようにも受け取られかねないこの状況下でも、わりと無防備に青年と会話をしてて。
佐伯にしても和久にしても、ちゃんと青年と血の通った会話をしてるし、自分の弱いところも隠さないところには結構好感を持ってみています。

主な登場人物たちは、みんな弱いところがあって、虚勢を張っていたり、時に小さくずるい瞬間もあるけれど、基本みんな相手に対しても自分に対しても誠実なんだと思います。
へたに保身に走ったり、カッコつけたり、いい人ぶったりしないところに、かえって人としての誠実さを感じます。
そういうシーンにとっても安心できるから、少々つっこみどころ満載でも、リアリティーに乏しいと思っても、なんとなくファンタジーの衣に包んでふわ〜っと見れちゃう気もします。


前回の放映では「救世主」という言葉が何度も出てきて、それに対して「時に照れながら微笑む」青年は、救世主でいることで、自分の短い命の存在意義を見出そうとしているのかな?とも思っていたけど、今回でまた全然違う色が出てきました。

実は気がついてしまったのですが、「最後から二番目の恋」でも言い方は違うけど、同じように「余命」という重い荷物を肩に背負った過去に「天使」の役割をしていた坂口憲二氏扮する真平がいるのですよね〜

そして考えてみれば、こっちの天使さんも双子ではありませんか!!すっごい偶然!マリコちゃん。

このふたりの天使さん、今現在、どちらも周りからとっても愛されてるキャラだけど、何かが違う、どこかが違う?それは何?と思っていて…

プラトニック5回目を見ていて、ああ、違うのは「家族からの絶対的な愛情に対する信頼」なんだなぁと思いました。

長倉さんちの弟、真平くんにはそれがあるのですよね。
沙莉ちゃんもまた、狭い病室の中で周りの人に愛されてあたりまえという環境の中で生きていて、この子もまた真平くんの側の仲間です。

個人的にはですけど、わたしは青年だって両親に愛されてないはずがないと思っていて。
それは物語の本当とは違うかもだけど、少なくとも母親としてのわたしはそこを信じたいなぁ。
でも、そんな個人的な見解は置いておいて、青年は確かに自分は弟ほど愛されていないと思っていて。
生まれてこのかた、回りの愛情を信じて育ってきているか、信じられないで来てしまったかでは、今になってみるとずいぶん大きな差がある気がします。
だからこそ、青年は一方的にみんなを救うことだけでは、本当の意味で救われない。

そう思ってみると、「誰かいないのか この世界には」がさらにズキンと心に刺さります。

彼はどこかで無意識に、常に自分にとっての救いの手を持つ誰かを探していて。
お互いに求め、与えられる相手、それこそが沙良さんだったということなのだろうなぁと思います。

ひたすらに白い迷路の中を歩いている時に、鏡の中に見出したのは、多分自分であって自分じゃなくて、弟の顔…だったりするのでしょうか?

そしてそして。

これだという扉を見つけ、沙良に辿り着いてしまったことは、新しい苦しみを生むことになるだろうことは容易に想像できますが、それでもやっぱり心で繋がる相手、多分野島さん的な意味で言えば「プラトニック」な心をまるごと裸にできる相手との出会いがあるかどうかでは、世界中が敵になるか味方になるかくらい、違う道になったんじゃないかなぁ?なんて想像しました。

あくまでも5話までの中では…ですけれども。


そういえば…
キスシーン、ふたりが間近まで近づいてからのシーンがあまりに美しかったので、うっとりと何度かリピートしていて、ふと、うちのルナ(猫)を思い出しました。
あのキスシーンは猫の愛情表現と微妙に似てるなぁなんて思ってしまいました(笑)

二人はちょっとこわごわみたいに、ためらいがちにぎこちなく、そっと近づいていくけれど、いきなり抱きしめ合ったりはしないで、手は床についたまま。
一瞬かすかに唇だけがそっと触れ合うシーン。
とても美しかったです。
ルナはそっと鼻先だけをくっつけてきて、それだけで満足しちゃってゴロゴロ言いながら去っていくみたいな挨拶をよくするのですが、まるでそれみたいだと思ってしまった(笑)

その後のベッドシーンも、ちっともいやらしくなくて、夢の中のできごとのように幻想的で、とっても美しかったです。
ふたりの笑顔が無邪気で儚くて、初めて恋をした少年少女のようで…寄り添っては手のぬくもりを伝え、確かめあうその場面は、何度見てもうっとりでした。

何度も出てくる「つながれた手」のシーンは、ふたりの深いところにある「心」の象徴で、今までどんな相手と出会い、恋をしたり、たとえ身体を繋いでも辿り着けなかった場所なのかな。
ずっと見たかった同じ景色を、今やっと出会えた相手と共に見ていて…まどろむように安心して、そのつながりに身をゆだねてる。

こういう精神性こそが野島さんの描きたい「プラトニック」なのかな?とおぼろげな輪郭が見えてきました。

まだまだ残り3話あるから、これからどんな駒が出てくるのか全然わからないし、あれ?違った?なんてところもありそうだけど、それもまた楽し。
あんまり考えすぎずに、感じるまま、存分に味わっていきたいです。